友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

2つの三無主義

2013年12月12日 19時57分12秒 | Weblog

 今日も井戸掘りに行って来た。土曜日からほとんど進まない。限界ではないのかと思うけれど、「何でもすぐに諦めてしまうと、それがクセになってしまう。努力が足りない」と叱咤されてしまった。ただ、先の見通しがあれば一生懸命で努力もするけれど、闇雲に力を振り絞っても仕方ないのではないだろうか。こんな日はとっても気が重い。何をやってもダメな、そんな気分に陥ってしまう。愛する人に捨てられた気分だ。

 1970年代の後半、70年安保を初めとする学生運動が各地の大学で過激化した後、まるで潮が引くように消えていった。学生運動がゲバ棒を持った時から、一般の学生からも市民からも離れたものになった。学園は平穏になり、学生たちは「無気力、無関心、無責任」の体質へと変わっていった。それは世間一般にも広がり、テレビでは「しらけ鳥」の歌が流行ったりした。その頃、高校生だった彼らも定年を迎えた者、これから向かえようとする者たちになった。

 私が高校1年の時に、60年安保闘争が全国的に展開された。国会議事堂前には動員された労働組合員や学生たちで埋め尽くされた。組合員でもない一般市民もデモに参加したし、東京などでは高校生も隊列を組んでいた。芸能人や学者や僧侶なども参加していた。特定秘密保護法案の時とは比べ物にならないくらい大規模だった。それでも、日米安保条約は成立した。余り覚えていなかったけれど、資料を見ると、翌年の12月12日、破防法違反で検挙される事件が起きている。

 保守政党と結託した黒幕右翼、反共を声高に叫ぶ街頭右翼、その狭間で唐突に『三無主義』クーデター計画が発覚したのだ。「戦争を無くし、税金を無くし、失業を無くす」を旗印としていた。主な人たちは旧陸軍士官学校の卒業生だったようだ。世間が60年安保闘争の挫折感に満ちていた時に、こういうことを考えた「時代錯誤」の人々もいた。「しらけ世代」の三無主義と違って、主張そのものはいいけれど、クーデターは漫画の読み過ぎだ。自民党副総理の麻生さん、また漫画の世界を実現しようと思っていないだろうか。

コメント
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