マレーシア航空の旅客機が7月17日、ウクライナ東部の親ロシア派の支配区域で消息を絶った。ウクライナ政府は親ロシア派の武装勢力がミサイルで撃墜したと主張し、親ロシア派はウクライナ軍によるものだと、対立している。遺体の収容、撃墜された機体の捜査までも難航している。西欧諸国とアメリカは親ロシア派に武器援助しているロシアへの経済制裁を進め、ロシアのプーチン大統領に圧力をかけている。
中東のイスラエルのガザ地区では、イスラエル軍が飛行機による空爆では、敵対するイスラム過激派ハマスを一掃出来ないからと、地上部隊による大規模な攻撃を行なっている。ガザの死者は1000人を超えたという。避難所としてイスラエルに伝えてあった国連が運営する学校にも爆撃があり、大勢の子どもたちも巻き添えとなった。イスラエル軍の高性能な戦車や迫撃砲に対し、ハマスの武器はロケット砲と小銃だから戦いにはならない。
国連でもこの2つの事件は論議されているが、いったいどんな論語が行なわれているのだろう。マレーシア航空機の撃墜事件では、ミサイルを発射したのは誰かという犯人探しにやっきになっている。ガザの事件では、ハマスは停戦を守らないとか、イスラエルは無差別に爆撃しているとか、非難の応酬を繰り返すばかりだ。戦争をしているのに、どうして誰も戦争をやめさせようとしないのだろう。
作家の百田尚樹さんとニュースキャスターの辛抱治郎さんの会談が週刊誌「FLASH」に載っていた。「歴史問題がこんなにこじれたかといえば、日本が『相手が間違っている』とはっきりいえなかったからです。日本人がすぐ謝るからつけ上がる」と百田さんは言い、辛抱さんは「学生時代にゲバ棒ふるって暴れていた団塊左翼と呼ばれる人たち、ある日突然、スーツ着て就活して、マスコミで管理職になって、世論をミスリードした」と言う。ふたりの主張には、戦争のない世界を創るためにはどうするべきかという視点はなかった。
やられる前にやるのが世界の常識で、軍備の放棄などは非常識だと思っているのだ。飛行機の撃墜を非難するなら、大勢の人々の死を問題にするなら、戦争そのものを非難し、無くすべきではないのか。なぜ世論は「戦争ゼロ」を主張しないのか。