今日は七夕。けれど今年も星は見えない。たとえ雨降りでも、彦星と織姫は天の川にカササギが橋を架けてくれるので、1年に1回でしかないけれど、逢うことができる。愛し合った男と女を逢わせてやろうという伝説は各地に存在する。この名古屋市でも庄内川によって引き裂かれた男女が逢瀬を迎えられる昔話がある。悲恋に同情的なのは世界共通なのかも知れない。
韓国ドラマで「韓国人は悲恋が好きで、最後は結ばれてキスで終る」というセリフがあった。日本の歌舞伎で人気の高い心中ものは、結ばれない男女が最後は一緒に死んで恋を成就する話で、ハッピーエンドで終らないところが日本人の情緒的な感覚を捕えていると思う。ハッピーエンドよりもアンハッピーに心が惹かれるのはどうしてなのかと思うけれど、現実の生活ではみんな幸せになりたいと思っているから、不幸なものを見ることで自分の幸福を受け止めているのだろう。
七夕にはまだ、月見草は早い。もっと夜空がきれいになってこなければ月見草は咲かない。「富士には月見草がよく似合う」と太宰治が書き、「ONは太陽に向かって咲く大輪のヒマワリ。俺は日陰にひっそりと咲く月見草」とぼやきで有名な楽天の野村克也元監督のセリフで、月見草は知られている。富士に似合う月見草も野村さんの月見草もマツヨイグサのことだから、日陰ではなく月夜で見たのだろう。
中でもオオマツヨイグサは花も大きく、群れて咲くから見事でもある。月の光を受けて咲く姿は妖艶だが寂しくもある。「待てど 暮らせど こぬひとを 宵待草(よいまちぐさ)の やるさなさ」と、竹久夢二が歌ったように切なくて悲しくなる。ただ待つだけの恋、自分から連絡することが出来ずに、ひたすら待ち続ける恋、そんな心情がよく現れている。マツヨイグサはどこか悲恋を思わせる。
川原にマツヨイグサの群生をよく見たけれど、最近はめっきり数が減ってしまった。これもまた寂しい。