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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

働くことの意味

2014年07月05日 19時37分44秒 | Weblog

 私たちの親たちは「戦争」という、生きるか死ぬかの体験をした。同級生の中には父親が戦死した者もいたし、戦場に行かなくても空襲で家を焼かれたり機銃掃射を受けたり、それは想像を絶する体験だったと思う。戦地で何をしたのか、どんな戦いだったのか、生き残って帰ってきた人は多くを語らなかった。そして敗戦は、さらに生き方の混乱となった。忠君愛国の教育が否定され価値観が大きく崩れた。

 それでも戦後の焼け野原で、必死に生きていく術を編み出していた。黙々と働き、これまで以上に勉強し、知識と技術を身に付け、少しずつでも生活を変えていった。民主主義は個人を大事にすることから始ると理解しつつも、家ではまだ家長が君臨し、会社や商店などの職場では家族のような一体感で成績を上げてきた。私たちもまた、親の世代が築きつつあった社会の「まだ古い残滓」に反発しながらも次第に染まっていったと思う。

 私たちの後の世代である団塊の人たちは、大学解体まで叫び全ての既成のものを壊そうとした。国民主権の民主主義は幻想に過ぎないと大学を占拠したり、街頭に出てバリケードを構築したりした。けれども何も変わらなかった。彼らもまた、社会に出て、ある者は優秀な会社員や公務員になり、ある者は世をすねたヒネクレ者となった。それでも必死で働いて、少しでも豊かな生活を目指した点では変わらなかった。

 その息子や娘も結婚し家庭をつくり子どもを生んでいる。私たちの子どもの子どもは、ゆとり世代と呼ばれている。自ら課題を見つけて自ら学ぶことを目指した理想の教育だったが、競争よりも個性の充実に重点を置いたので、学力が低下したと批判された。そんな彼らだが、デートよりも残業を選んでいる。愛社精神というよりも、お金が欲しいだけのことらしい。40代の働き盛りの人が、「仕事は二の次でいい」と言っていた。彼の一番大切なものは何だろう。

 働かなければ生きていけなかった私たちの時代とは大きく変わった。生きていることの幸せや意味が広がったと思う。素晴しい時代になったのではないだろうか。たとえ苦悩はあるとしても‥。

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