友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

百田尚樹さんに欠けているもの

2014年07月25日 18時45分03秒 | Weblog

 暑い。死にそうなくらい暑い。全室の窓を全開にして、風を入れている。風は通り抜けているのに、夕方6時に温度計を見たら34度もある。屋外はもっと高いだろう。昨日、姉を見舞いに介護施設へ行ったけれど、今日ほどの暑さではなかった。ひとり暮らしの時は、もったいないからと言ってエアコンをつけずにいることがあった、姪っ子が「お母さんはケチだから」と心配していたが、施設では快適な日々のようで、以前よりも穏やかで元気な顔をしていた。

 姉は昭和5年生まれの84歳。結婚した義兄は「予科練に行っていた」と言うが本当か怪しい。中学校の国語の先生は「オレは予科練の出だ」と言い、「オレが殴った生徒は東大にいった」と自慢していた。そういえば、カミさんの叔父も予科練崩れだったようで、飛行機に異常なほど関心があった。終戦直後に生き残った青年たちは「予科練」であることが誇りだったのかも知れない。姉とは14年も違う私も、どういう訳か「予科練の歌」を歌うことが出来る。

 百田尚樹さんの『永遠のゼロ』を読んだ。井上真央ファンの孫娘と映画『永遠のゼロ』を観たけれど、本を読みたいとは思わなかった。男の生き方としては納得するけれど、反戦という意識はないように感じた。たまたまカミさんが友だちから勧められて読み、「あなたも読んで感想を聞かせて」というので読んでみた。カミさんは「戦争のこと、知らなかった」とか、「ゼロ戦って、凄い飛行機だったのね」とか言うが、私は子どもの頃に戦記物を読んで知っていた。空中戦は映画で見るよりも事実がよく分かった。

 百田さんは軍司令部の無能さを小説の中で暴いている。多くの無駄死が出た戦略・戦術を批判している。私も無能な将軍たちを暴いた本を読んだことがあるが、そういう人はいつの時代にもいると思う。むしろ、軽々と兵士を死に追いやってしまう戦争そのものを憎むべきだろう。戦争という悲劇の中でも美しい物語があるのではなく、戦争という悲劇を根絶することが今、生きている私たちの使命だと思う。百田さんはその視点が欠けている。

 明日は夏祭りの第1弾のため、ブログは休みます。

 

 

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