午後5時くらいからパソコンの前に座り、30分ほど新聞を見たり、今日は何の日といったヒントになるものを探し回り、これでいこうというものが決まると、パソコンのキーを打ち始める。何も考えなくても文章がスラスラと出てくれば30分くらいで完成する。ところがどうだろう、今日も5時過ぎからパソコンの前にいるのに、これというネタが見つからない。
昨日、鍵は「真実の愛」と書いたけれど、「真実の愛」とは何かと思う。そしてまた、西洋の昔話は「愛」によってふたりは結ばれたという話が多いが、日本の昔話は「よいこと」をした人が幸せに暮らしましたという話が多いのはなぜだろうとも思った。台風一過で蒸し暑く、家でボーとしていると考えることもまとまらない。困ったものだと昨日のことを思い出す。
テレビで泣き叫び、世界中の話題になった兵庫県の県議が辞職した。「全ての混乱の全責任を取り議員を辞職いたします」と言うけれど、最後まで政務調査費の使途について明らかにしなかったが、その方が逆によかったかも知れないと思った。全国に議員と名のつく人が何人いるのか知らないが、圧倒的多数の議員が彼と似たり寄ったりだろう。これでは自分も辞職に追い込まれるとエリを正すことにはなったはずだ。
知り合いのオンブズマンから電話があって、「相当なワルだと思うけれど、なかなか尻尾を捕まえられない。何か知ってることがあったら教えてくれないか」と言われたことがあったけれど、悪質な議員ほど用意周到で、証拠を残さないようにしている。けれどもやはり、問題は有権者だ。けれど、「だって、選挙公報を見ても、話を聞いても、悪い人かどうかは分からない」。そのとおりだと思う。
「真実の愛」と同じように、何が正しくて何がいけないのか、判断は難しい。落選した議員が「有権者は何を見ているのだろう」と嘆いていたけれど、伝え切れなかった本人の問題もあるだろう。「大衆は愚衆」であるとするなら、どうすることが賢い庶民を育てることになるのだろう。