83歳になる大和塾の先輩が、不定期に刊行してきた通信が100号を超えた。昨日は先輩を囲んで昼食を共にした。終戦を14歳で迎えた先輩は、この頃のことを鮮明に記憶している。本土決戦に備えて兵士が塹壕を掘り、それを少年だった先輩たちがモッコで運び出す。兵士たちの食事は雑炊ばかりの粗末なものだった。炊事係りの兵士が先輩に、「飯を持ってるか?」と聞く。握り飯を差し出すと兵士はそれを自分の物にしてしまった。
本土決戦と言いながら、軍隊には決戦できる士気はなかったという。武器もなく、ただ上から言われることをやっているに過ぎなかった。百田尚樹さんの『永遠のゼロ』は、戦闘機乗りの物語だが、戦線が拡大するにつれ武器も物資も不足していく様子がよくわかる。アメリカはゼロ戦に負けない戦闘機を次々と送り込んでくるのに、日本の軍部は机上作戦ばかりで現実を知ろうとしないこともよくわかる。
ゼロ戦の飛行士は、初めはよく訓練されていたから、空中戦は滅法強かった。しかし戦局が悪化すると飛行機による体当たり攻撃が指示され、飛行士も未熟だが覚えの良い学徒から選ばれるようになった。さて、『永遠のゼロ』のテーマではないが、兵士たちは自ら志願し喜んで死んでいっただろうかと昨日も話題になった。自分が命を懸けることで、家族が守られるなら、いや、今の状況ではそれも無理かも知れないが、それでも何かの役に立つならと兵士たちは思っていただろう。そう思わなければただの無駄死にとなってしまう。
世界各地でいまだに戦闘が絶えないのも、戦うことが何かの役に立っていると教え込まれ、そう信じているからだろう。「ポツダム宣言を読んだことがあるか?」と先輩が聞く。「誰も読んでいないだろう。安倍総理も閣僚たちも官僚も、誰も読んでいないはずだ。読んでいたら、安倍さんもあんな発言はできない」。「日本は戦争をして負けた。二度と戦争はしない。これはその時の国民の気持ちだった。それを伝えることは戦争を体験した者の務めだ」。先輩から学ぶことは実に多い。