友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「自分好みに育てたかった」

2014年07月22日 17時36分28秒 | Weblog

 梅雨が明けて、暑い日が続いている。南側のベランダにゴーヤで緑のカーテンを作り、西側のルーフバルコニーには天幕を張った。窓は全開にしているから風さえあれば涼しい。岡山県で49歳の男が小学5年の女の子を誘拐し、監禁していた部屋は窓がなく防音が施されていた。エアコンでもなければ蒸し風呂状態だ。警察官がこの部屋に踏み込んだ時、男は女の子を「妻です」と言ったという。男は女の子を「自分好みに育てたかった」らしい。

 公開捜査となって女の子の顔がテレビでも流された。とても可愛い顔で11歳にしてはちょっと大人びた雰囲気があった。「理想の女に育てたい」というと、浮かぶのは源氏物語の紫の上である。源氏は母によく似た藤壺とは今で言う不倫だった。幼い紫の上は藤壺の姪なのでどこか似たところがあったのだろう。源氏はこの女の子をさらってきて、理想の女性に育て上げる。けれど、紫の上の最期は決して幸せとは言えない。

 女の子は肌も艶々していて、柔らかで、それだけでとても美しい。男たちが幼い女の子に興味を持つのも理解できるが、私は大人の女性に憧れる。川端康成の『眠れる美女』は若い女の子の裸を眺めて満足する話だったし、ロシアの作家ナボコフの『ロリータ』の主人公は病的なくらい少女を愛撫する。彼らの女の子の描写は活き活きとして美しい。男が女に求めるものと女が欲しいものとは大きな違いがあるようだ。

 小学5年の女の子を誘拐した49歳の男は結婚したことがあり、理由は分からないが離婚している。小さな女の子を理想の女に育てたいというのは、余程惨めな結婚だったのだろう。この男のように、源氏が紫の上を育てたような欲望を、男たちは一度くらいは抱くけれど、すぐに現実は理想通りにいかないと気付く。女たちも3高だとか5高だとか理想の男を捜すけれど、たとえ条件に叶っても生活は別だと知る。

 地球上に何億人といるのだから、男と女が理想の相手と出会うことはまず無理だろう。だから、出会った人が、心がときめいた人が、理想の相手なのだと思う。理想の相手に結婚した後で出会うこともあるだろう。それもこれも、生きているが故に起きる幻覚である。だからそこ、より美しくより満たされる幻覚へと向かうのだろう。

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