姉が12月1日、89歳で亡くなった。孫娘からのプレゼントで蒲郡ラグーナから豊川稲荷に向かっている時、姪っ子のダンナから電話が入った。「容態が悪くなってきている」と聞き、私とカミさんを国府駅で降ろしてもらい、駆けつけたが既に亡くなっていた。
出来ることなら、孫娘がオーストラリアで結婚式と重ならないで欲しいと念じてきたので、むしろ姉に感謝したい。姉は3月生まれなので、もう少し長生きすれば90歳を迎えられたが、「私は早死にする」と言っていただけに、よい時期を選んでくれた。
いや、何よりも感謝しなければいけないのは、姪っ子のダンナにである。嫁の母とは言え、血のつながりのない人のために、火葬の手続きから葬儀の支度まで、全てをやってもらった。姪っ子ひとりではどうすることも出来なかったし、私や妹も何もできなかったから、本当に申し訳なく感謝の気持ちでいっぱいである。
姉は昭和5年生まれだから、厳しい時代に子どもの頃を過ごし、戦後の解放感の中で青春を迎え、恋愛結婚する自由でたくましい生涯だった。姉が何を思い、どのような辛苦を舐めたのかは何も知らないが、新しい時代を生き抜いた女性のひとりであろう。離婚もしたし、援助してくれる男性にも出会った。そして家族の中で一番長く生きた。
私は、姉よりも先に死んでは姪っ子が困ると思って来たので、もう心配することが無くなった。火葬場の炉から出された骨は粉々だった。人の死は誠に呆気ない。しっかり見届け、姉の希望通り遺骨は拾わなかった。