地域新聞を始めて5年が経った時、彼女が現れた。私のところで働きたいと言う。新聞は広告収入で経営していたが、広告の依頼が増えて集金が遅くなくなっていたので、友だちに頼んで女性をひとり雇用したばかりだった。聞けばパソコンが出来ると言う。おかげで新しい企画が打ち出せた。
大学の公開講座やボクシングの世界チャンピオンの祝勝会、小冊子の発行など、彼女がいてくれたおかげだ。狭い編集室が一気に華やいだ。ただ、新聞を作るだけでなく、みんなで行楽にも出かけた。新婚の彼女の家に行ったこともある。実家の畑にチューリップが植えられていて、私のチューリップ好きの原点になった。
彼女の家で、彼女の素足を見て、その美しさに驚いた。美術教室に置かれた女性の足の石膏像のようにほっそりとしていた。彼女のお母さんは長女の彼女に求めるものが多いようで、よく愚痴を聞かされた。私から見れば、母親の期待なのだが、彼女には重圧だったようだ。大人になった息子をとても愛しているように、彼女の母親も彼女を愛したのだろう。
彼女のブログを読むと、時々、こんな使い方でよいのだろうかと思う文章がある。今日も「大学の難易度など‥かまびすしくなってきたけれど」とある。「かまびすしい」は「騒々しい」の意味のある古語だが、彼女はどういう意味で用いたのだろう。大学の非常勤講師も務めている彼女だが、ちょっとそそっかしいところもあり、そこがとても可愛いのだが‥。