高校で出会い、なぜか腐れ縁の男がいる。声が大きく、行動的でしかも楽天家だった。私にはそう見えていたけれど、彼の書いたものを読むと小心な面と思慮深いところが目に付いた。彼はこれまでの半生を地域新聞に連載していて、「本にしないか」と提案された。
悩むこともなく了承するタイプだと思ったが、「決断できないままズルズルと時間が経過した」と手紙をくれた。「本にする価値があるか」と考え、「俺はこんなことしかできなかった」「もうお終いだ」と悲観し、「(自分の)経験を若者のために何か役立ちたい」と望み、「躁鬱が交錯する」と吐露する。
それでも、「これからは『躁』を意識的に大切にしつつ、目の前の課題に対処していきたい」と結んであった。彼は東大へ進学できるほどの学力の持ち主だったのに、私が「新聞部に入ってくれないか」と誘ったために、「過激」な人生を歩むことになってしまった。
そのことに何も悔いはないし責任もない。学力の差はあったけれど、何か相通じるものがあった。退学覚悟で学校新聞に書けなかったものを自主発行したり、大学に進学してもなぜか共に、共産党のシンパにならずに、「反民青」の立場だった。
人が良くて面倒見がいいところは高校時代から変わっていない。私は日本の民主主義に虚無的になっているが、彼はドイツの緑の党に倣って、環境問題こそが政治を変えると頑張っている。その兆しは見えてきたようにも思う。
「俺が総裁の時は君が幹事長。委員長の時は書記長だ」と役割を見据えていた。その「夢」は実現しなかったが、私には豊かな青春時代だった。「本」のお礼代わりをブログに綴るのは失礼かも知れないが、彼のことだ許してくれるだろう。