「親も無し 妻無し子無し 版木無し 金も無けれど 死にたくも無し」という林子平の歌に出会った。6月21日、「今日は何の日?」というところに林子平が亡くなった日とあった。これは歌なのかと思って数えてみると、5・7・5・7・7になっている。「太平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も眠れず」を思い出す。林子平は黒船が来ることを予見し、『海国兵談』という本を出版して「海防に力を入れなくてはならない」と主張した。寛政3年というから、幕府崩壊の76年も前のことだ。
林といえば徳川家に仕えた朱子学派の儒学者である林羅山につながる人かと思ったら、どうもそうではないらしい。武士として仕えることが無かったのか、諸国を漫遊している。その結果、「海防に力を入れよ」という考えに辿り着いた。ところが幕府は「名も無き者が何を言うか」と出版を禁じ版木を押収、禁固処分とした。子平は兄の家で幽閉生活を強いられることになり、その時に作った歌である。号を六無斎と称したというから自嘲に徹している。
長男でなければ家督を継ぐことも出来ず、55歳で亡くなるまで結婚も出来なかったのだろう。何もないけれど、「死にたくも無し」とは誠に悲しい。小椋佳さんの新しいCD『闌(たけなわ)』を聴いていたら、「老いらくの相聞歌」という歌があった。万葉集の元歌は知らないが、歌詞はなんとも侘しい。「黒髪に白髪交じり 老ゆるまで かかる恋には いまだ逢はなくに」「ありつつも君をば待たむ うち靡く 我が黒髪に 霜の置くまで」「事もなく生き来しものを 老いなみにかかる恋にも我は逢えるかも」「ぬばたまの黒髪変わり 白けても 痛き恋には 逢う時ありけり」。
「闌」は、まっさかりのこと。まだ半ばというように取れるが、終りとか尽きるという意味もあるようだ。1944年生まれの小椋佳さんはきっと、まだまだという気持ちと尽きたという気持ちとが揺れ動いているのだろう。まだ道半ばとも思えるし、そうかといってまだ活躍できるとは思えない。若い人のような情熱的な恋は出来なくても、人生の末に辿り着いた恋なら出来るだろう。小椋佳さんの声が掠れているのがどうにも気になる。
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