友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

青春時代を彷彿とさせる作品だった

2011年09月16日 21時54分14秒 | Weblog
 友だちが車谷長吉さんの本を貸してくれたので、毎日少しずつ読んでいるけれど、余りにも私と同じ世界に生きているようで、気持ちが悪い。生まれたのは昭和20年とあるから、昭和19年生まれの私とはほぼ同年である。見てきたものが似ていると感じ方や考え方も似ているのだろうか。しかし、同じ歳でも必ずしも似ているとは言えないし、中学校のクラス会などで話していると、思わぬ人が自分と同じような感じ方をしていたり、社会の捉え方が似ていたりすることに出会うこともある。同年代であることから共通するものがあるのだろうけれど、それでも結局は持って生まれた資質によるような気がする。

 『赤目四十八瀧心中未遂』に続いて、『飆風』(ひょうふう)を読んでいるが、ここには3編の小説と「私の小説論」という論文が入っている。車谷さんの小説は私小説なので、最初の「桃の実1ケ」などは車谷さんの家族の話なのか実は虚構なのかわからなくなる。ただただ、読んでいるとそうだよねと妙に納得してしまうから不思議だ。その次の「密告」(たれこみと読ませている)は青春小説そのものだ。高校の同級生で、「わいの骨を拾ってくれるか、拾ってやるかの男」とは「水魚の交わりを結ぶこと9年、入学した時からの付き合い」の仲である。高校時代は新聞部でいっしょだったばかりか、別々の大学に入っても一緒に同人誌を出している。

 高校時代のその男のことを、「学校の文芸誌『アゴラ』に、高村光太郎「智恵子抄」の中の「おそれ」や「レモン哀歌」などの詩を取り上げて、抜群の詩論を展開していた」と評価している。主人公はその男を「これまで彼には、表立った指導者(支配者)に祭り上げられそうになると、すぐに背後へ退いてしまうことが度々ございました。彼に言わせると、決して自信がないからではなく、内心に忸怩たるものがあるからだ、と臆面もないことを言っていましたが、私に言わせれば、この言葉は眉唾物、とんでもない思い上がりか、恥じらい、謙虚さの安売りに他なりません」とも分析している。

 高校時代はそんな時代だったなと私も当時を振り返る。私はどちらかと言えば、頂点に立ちたい気持ちが強くあったのに、日頃はおとなしく真面目で修道士のような一途な面を見せていた。文芸部の友だちに頼まれて、詩や小説も書いたけれど、その当時は抜群のセンスの友人が文芸部にいたので、とても彼にはかなわないと諦めていた。諦めていながら、高校1年の初めての国語のテストで彼とは同じ点数で学年のトップだったという自負が、自分にも才能はあるはずと思い込もうとしていた。

 結果的には、彼が文芸部の機関誌に書く戯曲に感嘆してしながら、私は新聞部で記事を書く上では誰にも負けないと思うようにしていた。車谷さんの小説「密告」では、そういう友情と裏切りが余りにリアルでドキッとさせられる。私たちにはそんなことはなかったと思うけれど、それに近いことはあったかも知れない。私が知らないでいたために、相当に傷つけていたのかも知れない。青春時代を彷彿とさせる作品である。
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