小学校の運動場から子どもたちの元気な声が聞こえるようになった。9月に入り、少年野球やサッカーのクラブチームも活動を始めた。コーチの大きな声が飛び、子どもたちが揃って「いいぞ、いいぞ」「ワッショイ、ワッショイ」と声を上げている。
『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(石井光太 文芸春秋)を書店で見て買ってきた。今日の中日新聞の書評欄にも取り上げられていた。「若い世代の活字離れを憂う言説をよく耳にする。しかし、現在の日本が直面しているのは、そんななまやさしいレベルの事態ではないのだ、と本書は告げる」と。
確かに、序章の授業風景を読んでビックリした。愛知が生んだ童話作家、新美南吉の『ごんぎつね』を読み、班ごとに話し合うどこの学校でも行っている授業である。兵十の家で母親の葬儀が行われている場面についての意見交換が凄い。「死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところです」「死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」「死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたのだと思います」。
子どもたちは真面目にそう考えて答えている。今の子どもたちは、葬儀に立ち会ったことが無いし、会館で行う葬儀しか知らないだろう。私の子どもの頃までは、葬式は家で行った。ご近所さんが総出で手伝いに来て、料理を作ってくれた。鍋で煮るものはその料理なのだが、見たことが無ければそういう発想が生まれてくるのかも知れない。
スマホで見るアニメは問答無用に殺してしまう。文字を追えば想像力が必要だが、映像は想像することを妨げる。子どもたちは「エグい」とか「ラグい」とか、英語なのか日本語なのか分からない言葉を使う。中学生の孫娘の発する言葉もよく分からない。聞き直せば、「ウザ」とそっぽを向かれてしまう。会話が成り立たないのは寂しい。
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