長い間、入院していた友だちが退院し、庭の花木をフェイスブックに上げていた。元気になったのだと思い、「お茶でも行く?」とメールすると、「車イス生活なので自重する」と返信してきた。私が「閉じ籠り生活」を嘆いていた時、「読書、脳トレなど一杯あります。退屈せん世の中」と檄をくれた。
彼を見倣って、読書したり、時にはルーフバルコニーで花の世話をしている。けれど、カミさん以外の人と話したことの無い日々が続き、無性に誰かと話していたいと思う時がある。夫婦は長い時間、寝起きを共にしてきたから、それだけに相手のことがよく分かり、話していても新鮮味に欠ける。
書店に行ってみる。きわどい裸の雑誌コーナーがますます広くなっていた。中身が見られないようにヒモで閉じてある。男性客の中には手に取る人はいるが、買って行く人はいなかった。書店のレジ係は女性が担当している。レジでこの雑誌を見せる時、どんな表情をするのだろう。
市内の大学の学生が、高齢者の「話し相手になります」とボランティア活動をしてくれたら、希望する高齢者は大勢いるだろうが、実際に参加する人は少ないかも知れない。下心が見えそうで、照れてしまう。そんな恥ずかしい思いをしなくても済むためには、電話ボランティアが良いかもしれない。
高齢の母親が、娘のところにどうでもいいことで電話をかけてくる。娘でなくて、何でも聞いてくれるボーイフレンドに男性ボランティアが徹してくれるなら、母親も電話することが楽しいだろう。でも、顔がみえないと電話詐欺に遭うかも知れないし、やっぱり世の中、そううまくはいかないようだ。
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