近頃よく夢を見る。目覚めた時、思い出そうとするが思い出せない。いつも同じような夢の気がするのに、それさえも確かではない。願っていても叶わない、そんな情けない夢だったような気がする。映画『遠い空の向こうに』のような、夢中になるものは無かった。
亡くなったジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』を聴いたのは高校生の時だった。父や兄が通った地域の伝統校へ私も入学した。高校に対しては漠然とした憧れを抱いていた。中学校までは全く子ども扱いだったが、高校は人生や恋愛を語る場と勝手に決めていた。
ところが進学校は、大学入試の話ばかりで、国語の文章の解釈にしても別の見方は否定された。数学は推理だと教えられたのに、実際は公式の暗記ばかりでウンザリだった。新聞部だけが高校へ通う目的になっていた。
学校新聞の記事で校長から注意を受け、それならと自主出版の新聞を作って郊外で撒いた。学校が予備校になっていると批判する記事を大手新聞に投稿し掲載された。3年になると夏休みに補講が行われた。予備校化に反対してきた私は補講を拒否し、3泊4日の旅に出た。
日本海が見たかったので若狭湾に出て、小学校の修学旅行で回った京都と奈良を自分の目で見た。宿は決めてなかった。法隆寺の門前に着いた時は暮れかかっていた。たまたま乗り合わせた電車で、若い女性と話すことが出来て、宿を教えてもらった。
室生寺を眺めていると、女子高生が「ひとりで来ているの?」と声をかけてくれた。もっと話していたかったのに、彼女は友だちに呼ばれて行ってしまった。法隆寺の若い女性、室生寺の女子高生、私の運命の人だったのかも知れないのに、住所を聞くことも出来なかった。
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