「今日は赤穂浪士の討ち入りの日だ」と言うと、カミさんが「雪降りのイメージ、無いわね」と外の景色を見て言う。「旧暦だから、1カ月先になる。その時は雪かも知れないよ」と答える。私は三河の刈谷の生まれだから、赤穂よりも吉良の方が馴染みがある。
実際、西尾へ行くと上野介は名君と称えられている。「忠臣蔵」は何度も映画になったけれど、吉良上野介を善人として描いたものはなかったが、仇討を果たしたらその功績でどこかに仕官するつもりというリアルなものはあった気がする。
知らない土地に行けば、知らないことを知ることも出来る。ジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』が流行ったのは、私が高校生の時だった。低音でなんとなく甘酸っぱい歌声が気に入って、私も「知らない街を歩いてみたい」と口ずさんでいた。
高校3年の夏休み、補習授業に出たくなかったのでひとり旅に出た。父が「太平洋は青いが日本海は黒い」と言っていたので、「確かめたい」を口実にした。「知らない海を眺めていたい」し、「知らない街を」当ても無く歩いた。
奈良の法隆寺では、「愛する人と巡り」遇えたのかと思うことがあった。宿が決めてなかったので、電車内でOLらしい綺麗な女性に、「泊まれるところ知りませんか」と声をかけた。親切な人で、法隆寺の前の旅館まで案内してくれた。
せっかくの機会だったのに、名前も連絡先も聞きそびれてしまった。しかも、「明日の朝、この人はきっと会いに来てくれる」と思い描いていた。何もしなければ決してドラマのような展開にはならない。77歳の今なら少しわかる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます