友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘の反抗

2007年11月26日 18時40分03秒 | Weblog
 孫娘は明日から期末試験である。昨夜は12時近くになっていたのに、今朝は「4時に起きる」と言うので、私はつい「そんなことはやめなさい。4時間しか眠らないのはダメです」と言ってしまった。「4時に起きないと、勉強できない。朝やる方が能率がいいの」と孫娘。「じゃー、もっと早く寝なさい」と言えば、「頑張っても結果は出ないかもしれないけど、頑張らなければ結果は出せないんだから、ほっといて!」と言い切る。

 私の言うことを聞かなくなったというよりも、孫娘が自分の生き方をハッキリ持っていることに、驚きとともに、この子も手元から離れていくんだなと思うとちょっと寂しい気もした。我が家の子どもは女の子ばかりの2人だが、中学生くらいになった時から、やはり親に逆らうようになったと思う。逆らうこと自体は自立への道だから歓迎すべき現象なのだけれど、実際の場面となると、それほど理解のある親を演じることは出来ない。

 先日も宴席で、友人が「子どもさんに甘すぎる」とご指摘を受けた。私は勉強しなさい、どこかわからないところはないか、学習塾に行きなさい、小遣いは足りているのか、そんな風に子どもにかかわったことはないが、子どもが小さい時はよく一緒に旅行に出かけたし、大きくなってからは、私の考え方や価値観を無理やり押し付けた。かまいすぎるということであれば、確かにそのとおりだったかもしれないが、「甘すぎる」という指摘は当たっていないように思う。

 年金以外にほとんど無収入となった今、私は子どもたちに対し、自分の意見は言っても強要はしないでおこうと決めている。私の意見は参考程度でいい。私が自分の意見や自分の価値観や自分の好みを表明しないことは考えられないことなので、あくまでもあなたたちの父親はこうだと頑固に表明するけれど、決定は子どもたち自身が行っていくだろう。子どもたちは社会で働き、社会と深くかかわっているが、年金生活者はひたすら自分の生活を送っているだけなのだから。

 年金の話が出た時、カミさんが「あなたの年金は65歳からは減るのよ」と言う。日教済でカミさんが掛けていてくれたものがなくなるというのである。私は年金のことは誠に疎い。なにがどうなっているのか、ほとんど何も知らない。65歳からはとにかくカミさんの年金で暮らすことになるらしい。いずれそう長く生きるわけではないから、よろしく頼むというより他はない。教員を辞めてからはずーとカミさんの世話になりっぱなしだ。カミさんよりも多い収入を目指したが、残念ながら一度も実現できないままだ。

 選挙の時、相手候補の陣営の人が「彼は髪結いの亭主だ」と揶揄したそうだが、その時はそうではないことを見せてやると思ったけれど、髪結いの亭主の域を脱することはできなかった。こうなれば死ぬまで髪結いの亭主でいくしかない。
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