友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

マンションの人たち

2017年07月07日 19時36分23秒 | Weblog

 マンションの玄関に3度降りたが、3度とも馴染みの人たちだった。ひとりは私と同じ干支の一回り上の男性で、早大の政経学部を出たインテリ。最近、奥さんを亡くされ、嫁に行ったが戻ってきた娘さんとふたりで暮らしている。娘さんも高学歴で亡くなられた奥さんに似たきれいな人だ。私の長女よりも少し上の学年だったように思う。

 余りの暑さに男性は、「こうも暑いと、ますます先が短くなる」と話しかけてきた。短パンにアロハそしてサングラス姿だったので、「大丈夫ですよ。その格好なら」と答えると、「いや、もう若くないからなあー」と言う。奥さんが元気な時は、毎日のように洗車をし、ピカピカの車で出かけていた。しかし、どういう訳か、彼の駐車場は我が家の駐車場の向かい側だが、我が家の駐車場に車を移動して洗車されるクセがあった。

 2度目は髪をアップにしてしっかり化粧をした女性とエレベーターが一緒だった。マンションでは犬猫の飼育を禁止しているが、この人のダンナは柴犬を飼っていた。犬が老齢になると叔母車に載せて散歩に出かけていたが、犬が死んでからは全く元気がない。マンションの周りをウロウロと徘徊している。周りの人は「認知症ではないか」とウワサする。私がテーブルセットを運んでいた時、彼は何も言わずに手伝ってくれた。

 玄関先で人を待っていると1組の夫婦が手を繋いでやってきた。男性の方の両親は私と同じ団地からこのマンションに移り住み、同じようにここで仕事を初め、今では名の知れた会社に育て上げた。男性は小さな時からよく知っている。「やあー、仲良くて羨ましいね」と冷やかすが、ふたりは笑うばかりで手を放そうとしなかった。彼は長女よりも年下ではなかっただろうか。

 マンションで暮らすようになって40年。住み続けている人は多いが、家族構成はずいぶんと変わった。家を建てて出て行った人もいる。年老いてから入居してくる人もいる。「老人ホームではないから」と年寄りの入居を敬遠する人もいるが、40年経ても入居してくれる人がいるからゴーストタウンにならずに維持・管理が出来ている。

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孫娘と百人一首

2017年07月06日 17時52分42秒 | Weblog

 小2の孫娘が来た時、「百人一首がやりたい」と言う。1年生のクラスで流行っていたようで、「得意だった」とニヤッと笑う。「パパちゃんとやるから、ママちゃん、読む人ね」と決めていく。カミさんは小学校の元先生で百人一首クラブの顧問だったから負けるかも知れないが、私となら勝てると踏んだのだ。

 やってみると、「この頃はやってないから」と下の句が思い出せないことを言い訳していたが、それでも上の句を聞いただけで下の句を暗唱出来るものが結構あった。歌の意味ではなく、リズムで覚えているのだろう。言葉の意味を尋ねてもきっと何も分っていないはずだ。孫娘の父親がかつて、「こんな歌を覚えさせていいんでしょうかね」とFBに載せていた。

 柿本人麻呂の「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかもねむ」。ひとり寝の寂しさを詠っているからだが、人肌が恋しくなるにはもう少し時間がかかるだろう。そのうちには分かるが、今はただ、歌のリズムの面白さから覚えているに過ぎない。この歌は言葉による連想が巧みに使われているから、枕詞についての問いにもなるはずだ。

 百人一首の中で「恋」をテーマにしていない歌がどのくらいあるのだろうと思うくらい「恋」の歌は多い。歌を作ることは遊びであったが、同時に教養でもあったから、「歌合戦」まで生まれたのだろう。中国の慣習や漢詩、伝承なども知っていないと奥の深い歌は作れない。たった31文字で、よく感情を伝えられると感心する。17文字の俳句では短過ぎて難しい。

 「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」(藤原義孝)

 ▽ あなたへの思いが叶うなら命も惜しくなかったのに、叶った今は長く生きたいと思うようになった。

 「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」(和泉式部) 

 ▽ 私はもう長くない。思い出に、せめてもう一度だけでいいから、あなたと愛し合いたい。

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『近現代 日本絵画展』を観てきました

2017年07月05日 18時37分25秒 | Weblog

 友だちが「絶対にお勧め」と教えてくれた松坂屋美術館の『近現代 日本絵画展』を観て来た。展覧会のサブテーマに「明治から受け継がれてきたもの、未来へ受け継いでいくもの」とあった。洋画の部の最初に浅井忠氏の『農夫帰路』があり、続いて黒田清輝氏の『洋燈と二児童』があって、日本の洋画の先駆けの作品が続く。日本画の横山大観氏や川合玉堂氏らと同年代の洋画家である。

 見慣れた作品が続く中、洋画の部の最後の辺りで人の列が滞っていた。私が作品を見ていると隣に来た女性が「これ、写真ですか?」と言う。それくらいリアルなのだ。「油絵ですが、写真を使っているのでしょうね」と答える。山本大貴氏の『離岸の唄』はフェルメールの作品を意識したような光の使い方で、写真以上にリアルに見える。石黒賢一郎氏の作品も諏訪敦氏の作品も共に裸の女性像だが、乳首など写真以上にリアルで怖いくらいだ。

 絵画は写真機が生まれて大きく変わった。写真は絵で描くより正確に仕上がるから、絵画の記録性は無くなった。「心にあるもの」を表現するため、人々には理解できないような抽象絵や画家なのか演技者なのかの区別のない「作品」まで生まれた。私が画学生だった頃も、芸術論や絵画論は盛んで「何をどう表現するか」と模索した。私は「写真よりもリアルで、現実にない世界」を描くことを目標とした。

 写真以上にリアルな作品作りに取り組んでいる若い画家たちがいることを知り、自分が求めた道が間違いではなかったと同時に、今からでは彼らに追い付けないことも知った。私たちの時代には吹き付けという技法が生まれていたが、彼らはどのようにしてあのようなリアルな絵を描き上げているのだろう。私が学生の時に憧れていた先輩のひとりは亡くなり、私をインドに誘ってくれた先輩はますます「妖怪」にのめり込んでいる。

 さて、私はどうして行こうか。

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台風が接近

2017年07月04日 18時10分20秒 | Weblog

 「台風が接近」とテレビで報じていたが、朝は余りに穏やかな空だったので、「東海地方は関係ないのか」とさえ思ってしまった。カミさんは朝5時に起きて、「雨の中のプレーはイヤだ」と言いながらゴルフ大会に出かけて行った。私は洗濯物を干した後、無風で蒸し暑いルーフバルコニーに出て、台風に備えて排水口の掃除をする。見ごろになったバラを切り取り、花瓶のバラと入れ替える。

 今晩も熱帯夜になると予報されていたので、エアコンの掃除をする。家事を一通り終え、12日に延期した高校新聞部のOB会に持って行く資料を引っ張り出してみる。私の過去の物では、大学時代のものが一番少ない。教育実習に行った時の記録ノートはあるが、卒業制作の作品は1つも残っていない。搬入はしたが、撤去した時はどうしたのだろう。高校の教員になった時、科長だった先生から「卒展を見て、あなたに決めた」と言っていただいたのに。

 私は大学4年の大半を東京で働いていた。「出版社で働きたい」と言う私の希望を活かすため指導教官が行ってくれた配慮だったが、「この上司の下では働けない」と12月末で引き上げて来た。暮らす場所がなかったので、姉のところに居候させてもらい、そこで卒業論文と制作に没頭した。3月に同級生は次々と赴任校が決まっていくのに、何の連絡もなく焦った。春分が過ぎ、もうダメかと思った時に赴任校の通知が来た。

 「65歳までは働いて、そうしたら我が家を開放して、誰が来て、何をしてもいい、そんな家にしたい」と地域新聞を受け継いでくれたかつての部下が言う。創刊5年目の時、ひとりでは手が回らなくなり、集金係を雇ったばかりの時に若い女性を紹介された。彼女はパソコンが出来たから、私の夢は一気に広がり、大学の公開講座、プロボクシングチャンピオンの祝勝会、美術館や名所巡り、冊子の発行などが実現できた。

 20年前、後を継いでくれた時は30代だったのに、そんなことを考えるよう歳になっていた。どこでどう人生は変わるとしても、その人の人生はその人でしか生きられない。高校新聞部の連中も、思えば皆それらしい人生を歩んで来ている。午後6時過ぎ、カミさんたちはまだ帰って来ない。

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負けた

2017年07月03日 18時50分28秒 | Weblog

 負けた。自民党は東京都議選挙で惨敗だった。藤井聡太君は30連勝にならなかった。敗因が何だったのかと評論家の人たちが分析している。勝ち負けがあるなら、「絶対勝利」はあり得ない。気を取り直して前に向かうしかない。藤井君はある意味ではホッとし、ますます闘志を燃やすことだろうが、自民党が闘志を燃やさないようにと願うばかりだ。

 それにしても、確かに自民党は惨敗だったが、投票率が51.27%と低いのはどうしてなのだろう。自民党に「NO」を突き付け、「都民ファースト」を支持したが、私には自民に代わる新しい保守が誕生したとしか思えない。地域政党の「生活者ネット」が議席を増やすのかと期待したが、逆に減らして1議席しかない。社民党の凋落は目に余る。

 民進党も「都民ファースト」へ鞍替えする議員が続出し、存在感を失った。「その分、共産党が議席を増やした」と評価する人もいるが、今後どういう活動をするのかを見ていきたい。小池知事がいち早く、「知事の仕事に専念するため代表を野田に譲る」と発言していた。代表を知事が務めることには違和感があったので退くのは当然と思うが、「野田に譲る」とはなんと無礼な発言だろう。

 「都民ファースト」には代表を選挙で選ぶルールはないのか。この地域政党の民主主義はどうなっているのか。安倍首相を「政治を私物化している」と批判するが、これでは小池知事も「都民ファースト」を私物化しているのと同じだ。名古屋市の「減税日本」も実態はひどいものだった。政党はどこも意外に路線論議がないし、人事の公明性もない。本当にそんな政党で政治ができるのだろうか。

 有権者の良識がどれほど発揮されたのか。投票へ行かなかった半分近い人々は何を考え、何を求めたのだろう。それでも東京都議会はもうすぐ始まる。国会は閉会したが、この選挙結果を受けて、閉会中審査をするのか、ダンマリなのか、あれ?私はますます客観視してしまっている。

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恋愛は不滅

2017年07月02日 17時41分00秒 | Weblog

 NHKの朝の連続ドラマ『あさが来た』で主役を演じていた女優の波留さんは背が高く、目の大きな女性で、優等生なのかも知れないがそれほど魅力のある演技とは思わなかった。その後、同じNHKで『お母さん、娘をやめていいですか?』に出演し、民放のドラマ『あなたのことはそれほど』にも主人公役で出ていた。

 『お母さん、娘をやめていいですか?』ではお母さん役の斉藤由貴さんに食われてしまった感じだった。『あなたのことはそれほど』は題を見て興味を持ったのに、実際に観たのは最終回だけだったので、何とも言えないが、脚本に恵まれていると思った。『あさが来た』のような明るく前向きな役柄ばかりでなく、人の内側にある不透明な部分を演じられてこそ演技者と思う。

 『あなたのことはそれほど』は不倫ドラマで、最終回に至るまでには紆余曲折があっただろうが、結論からすればあんなものだろう。家庭に夢を描き、妻に完璧を求める夫はやはり鬱陶しい。初恋の人に出会い、「最高の人」と互いに錯覚するのも仕方ない。長い人生の中で、「絶対にこの人」に出会うことはまず無いだろう。だからこそドラマが成り立つ。

 日本人は他人の不倫を許さない。フランスの大統領となったマクロンさんの一途な恋ばかりが強調されるが、25歳年上の夫人は彼の高校時代の先生で既婚者、ふたりの熱愛は当時から街中で有名だったという。けれど、夫人が離婚したのはつい最近だから、ふたりは長い間不倫の関係だったのに、なぜか非難の声は上がらない。不倫なのに純愛にしか見えなのは、不倫は悪という考えが変わってきたからだろう。

 15歳のマクロン君は40歳の先生に恋をし、17歳の時に「あなたと結婚する」と宣言したが、ブリジッドさんが離婚し、実際に結婚したのは27歳である。男が25歳年下の女性と結婚すれば男たちは妬くから、逆に若い男性との結婚に女性たちが妬くかと思ったが意外にそうではない。波留さんも熟年になったら(ブリジッドさんのような?)情熱的な役柄を演じて欲しいと思う。

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政治家は批判する報道が気に入らない

2017年07月01日 17時31分03秒 | Weblog

 アメリカのトランプ大統領がメディアをツイッターで批判した。「視聴率の悪い番組が私の悪口を言っている」「IQの低い、頭が悪い(キャスターの女性は)」「(以前会った時、)顔のしわをとる手術でひどく出血していた」。えっ、こんなえげつない個人攻撃を大統領がするの?!その辺の子どもと少しも変わらない。

 それに輪をかけたようなホワイトハウスの副報道官の発言にも驚いた。「大統領は番組から容赦なく攻撃された。やられたらやりかえすまで」。こちらも、良識のある大人とはとても思えない。相手をIQが低いと罵るくらいだから、トランプ大統領はIQが高く、頭のよい人なのだろうが、そういう賢い人は決して相手をバカにしない。

 報道が間違っているのなら、何がどう間違っているかを説いてみせるのが大人だ。大統領を批判するなと言うなら、それはもう独裁国家だ。批判に対しては反論すればよいのであって、「IQが低い、頭が悪い」は反論では決してない。建国当時のアメリカは、言論の自由を大切にしてきた。そうすることで、国民が情報を共有し、論議を繰り返すことで国の方向を定めてきた。

 しかし、政治家は自分に都合の悪いことが報道されるとメチャクチャ腹を立てるのが常だ。東京都議選挙の応援演説で、自民党の二階幹事長は「落とすなら落としてみろ。マスコミが選挙を左右すると思ったら大間違いだ」と言い、「我々は金を払って(新聞を)買っている。買ってもらっていることを忘れてもらってはダメだ」とまで述べる。

 NHKのような国営なら、「政府の方針に従わなければ予算を出さない」のと同じで、「買ってやらないぞ」という脅しである。「広告料を支払っている企業に圧力をかけよ」と言った自民党議員がいたが、「謙虚に丁寧にわかりやすく説明する」ことは、言葉だけでなく、政治家の使命であり義務である。

 しかし、トランプ大統領の暴言も、二階幹事長の本音も、共感する人がいることも事実だ。明日の東京都議選挙はどういう結果を出してくれるのだろう。良識がどこまで反映されるのか、期待している。

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