友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

終息させる情報はなぜ出て来ないのか?

2022年02月18日 17時32分36秒 | Weblog

 私が住む市でも、コロナ感染者は15日に96人となり、とうとう100人を超えるのかと思われたが、翌日からは僅かだが減少傾向にある。けれど、また、いつ増えるのか分からない。どういう人がどのようにして感染したのか、どうしているのかもサッパリ分からない。

 全国の感染者数の数字は発表されても、その内容までは報道されない。今は情報過多の時代なので、いろんな情報が飛び交うが、具体的なことまでは分からないことが多い。ウクライナとロシアも、軍事衝突が起こりそうなのに、なぜか霧の中を見ているようだ。

 ロシアは軍事演習を終えて撤退しているニュースを伝えるが、アメリカは「ウソだ、逆に増兵している」と報じている。なぜ、撤退を歓迎しないのだろう。何が真実で何がウソか、後世にならなければ分からないのだろうか。

 軍事衝突が起きないためには、軍隊の撤退しかないが、なぜそれが出来ないのだろう。愚か者たちめとしか思えない。ロシアはウクライナが北大西洋条約機構に加入することを反対しているが、それはウクライナ国民が決めることでロシアが口を出すことではない。

 何ならロシアもNATOに加入すれば、ロシア包囲網は無くなる。もともとロシアはヨーロッパの一部だった。帝政ロシアの頃、貴族はフランスに憧れていた。主義や体制が違う頃ならいざ知らず、今や世界は資本主義の新たな時代へと進んでいる。

 いがみ合い、軍事衝突をしたところで、どんな「益」が生まれるのか。たくさんの人の命が奪われ、生活の場が破壊され、誰かが「益」を得たとしても、それは普通に暮らしている人々ではない。情報過多なのに、衝突を終息させる情報はなぜ出て来ないのか。

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こんな気持ちでいたい

2022年02月17日 17時23分27秒 | Weblog

 雪が吹き付ける中、守山区の井戸掘り現場に行く。ボウリングを行う会社の人に、「雪が降っているが大丈夫か」と電話したところ、「こちらは降っていない」と言う。現場に着いてしばらくすると1台の車が到着し、そして私が連絡した彼もまもなくやって来た。

 現場を見てもらったところ、「今掘っている場所では器材が置けないので、南の玄関先がベスト」と言う。やっぱり、手で掘るしかないようだ。話していたら、細かい雪がフワフワと落ちて来た。依頼主と話して後日、連絡することにして別れた。

 帰りは先の見えない吹雪となった。吹雪の中で生活している人たちは、こんなに大変な毎日を送っているのに、雪はキレイなどと言うのは不謹慎かも知れないが、たまに見る雪景色は美しい。恋も非日常だから美しいのかも知れない。

 友だちがブログで、アメリカインディアンの格言を紹介していた。「あなたは泣きながら産まれてきた。周りの人の笑顔の中で。そして、あなたが亡くなる時、周りの人が泣いてくれ、あなたは笑顔で人生を終える」。産まれてくる時ひとりなら、死ぬ時もひとりでいい。

 人は自分の人生を振り返る。そんな時の詩を見つけた。「大事を成そうとして、力を与えてほしいと神にもとめたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった」。

 「求めたものはひとつとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福された」。こんなに謙虚にはなかなかなれないが、この世を去る時は、こんな気持ちでいたいと思う。

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何とかして完成させたい

2022年02月16日 17時07分49秒 | Weblog

 「コーヒータイムしよう」と誘ってくれた友だちが、「体調不良のため中止にします」とメールして来た。せっかく出かけられると思ったのに、残念ながら今日も巣ごもり生活になってしまった。彼はカミさんが長期入院中なので、ひとり暮らしを強いられている。

 「何かやることがあれば連絡して」とメールしたが返事は無い。息子の嫁さんが来ていれば安心だが、病持ちの身障者だから心配だ。予定していたのに、出かけられないとなると穴が空いたように虚しくなる。本ばかり読んでいても虚しさは埋まらない。

 明日は守山区の井戸掘り現場を、ボウリング調査を専門に行っている会社の人に見てもらうため、私たちも現場へ出かける。2020年10月から始まったから、かれこれ1年半になるが未だに掘れない。諦めようとしたら、息子から「諦めるの?」と言われてしまったという話を聞いて、何としても完成させてあげたいと思った。

 護国神社で井戸を掘った時、私たちの技術では水位まで到達できないことが分かり、ボウリング調査会社に依頼した。その時の男性を思い出してまず、助けてくれるかを問うてみた。懐かしく思ってくれたのか、「現場を見せてください」と言ってもらえた。リーダーに勝手なことをしてしまったことを詫び、現場を見に来てくれることになったと報告した。

 NPOの代表はリーダーなので、窓口はリーダーになってもらっている。わずかなメンバーの組織とはいえ、リーダーが先頭に立ち私たちに指示する形を取らないと、一匹狼の集まりだから、活動がバラバラで無責任になってしまう。

 外で活動できることはありがたいが、しかし、もう皆歳を取り過ぎた。ここらが限界だと思うけれど、この守山の井戸掘りだけは何とかして完成させたい。

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そういう道を日本人は歩いてきた

2022年02月15日 17時29分24秒 | Weblog

 こんなに長く閉じ籠り生活が続いていると、さすがにちょっとしんどくなる。気が滅入るというか、生きている気がしない。友だちが「明日、コーヒータイムしないか」とメールをくれた。男ばかり3人でコーヒーを飲んでも面白くないが、家から出られるだけでもホッとする。

 テレビで北京五輪を観て、日本選手の活躍にもっと一喜一憂して、感激の涙を流してもよいのだけれど、選手があんなに必死で競技しているのに、無造作に点数がつけられてしまうのが耐えられない。競技なのだから勝者と敗者があるのは当然なのだろうが、分かっていても「もういい」という気になってしまう。

 「愛国心が無い」と言われれば、そうでは無い気がする。応援しているのは日本選手ばかりだから。テレビに出てくるケント・ギルバートさんの『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』を読んだが、全く視点が違うと思った。彼は96%もの日本人が自分の国に愛着があると答えているのに、素直に「愛国」と言う言葉を使うことが出来ないのが不思議だと言う。

 彼は「万民のための自由と正義を備えた共和国アメリカに忠誠を尽くす」と言う。国のために命を捧げてこそアメリカ国民だと力説する。「万民のための自由と正義」を理想とする国家を目指してアメリカは独立した。その理想は尊いし、世界中の誰もが目指す国家像だろう。けれど、だから命を捧げるべきだとなると、それは違うと言わざるを得ない。

 「日本人は曖昧」という指摘は当たっているだろう。論理を詰めて合理的に進めることが苦手だ。彼が素晴らしいという聖徳太子が示した『17条の憲法』にある、「和をもって貴し」の考え方が日本人の基調にある。これもいいが、あれもいい、と絶対をつくらないことが平和に生きていける、そういう道を日本人は歩いてきたのだと私は思っている。

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絶対に勝ち誇ったように渡すだろう

2022年02月14日 17時15分10秒 | Weblog

 私の家にカレンダーが3枚掛けてあるが、バレンタインデーと記載のあるのは1枚しかない。念のためにと思って、使っている手帳を見てみたら、14日の下にバレタインデーとある。孫娘たちからバレタインチョコをもらった。バレンタインデーにチョコを渡す習慣はいつ頃から始まったのだろう。

 還暦になる女性のブログに、「中学の時、好きな先輩に手作りトリュフを渡したくて、母親に内緒で自室で作った」とあるから、46・7年前には流行っていたようだ。残念ながら私はチョコを渡されたことも、愛を告白されたこともない。「私よりいい人を見つけて」と告げられ、振られた苦い思い出しかない。

 先日、テレビで越路吹雪さんの『ラスト・ダンスは私に』を聴いた。この歌を最初に聴いたのは、私は高校生くらいではなかっただろうか。越路吹雪さんが歌っていることや物悲しい曲調や歌詞から、シャンソンだと思い込んでいたが、アメリカで生まれた曲だと知った。

 作詞のドク・ポーマス氏は、小児麻痺で脚に金具を付け松葉杖で歩く人だったという。岩谷時子さんはそれをあんな風な詩にしたのかと感心した。「あなたの好きな人と 踊ってらしていいわ 優しい微笑みもその方におあげなさい けれども 私がここにいることだけ どうぞ忘れないで」。

 「だけど送って欲しいと頼まれたら断ってね いつでも 私がここにいることだけ どうぞ忘れないで きっと私のため残しておいてね 最後の踊りだけは 胸に抱かれて踊るラスト・ダンス 忘れないで」。か弱そうと勝手に思っていたけれど、自信に満ちた女性なのか、よく聴いてみれば強固な意志が読み取れる。

 彼の胸に抱かれてラスト・ダンスを踊る彼女は、バレンタインチョコを渡すのだろうか。いや、絶対に勝ち誇ったように渡すだろう。

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きっとテレビはドラマを観てしまうだろう

2022年02月13日 17時11分43秒 | Weblog

 周りの「ワクチンを打った」という声に押されたのか、カミさんは3月の白内障の手術が気になってか、孫娘にファイザーが打てる病院を探してもらったのに、自ら空港の集団接種会場に電話して予約をした。

 それで急遽、昨日ワクチンを打つことになった。私は暖かくなった4月過ぎがよかったのに、「ふたり一緒に申し込んだから」と有無を言わせない。時間は5時15分の受付だったが、遅れてはいけないと思い、5時には会場に着いた。

 駐車場に誘導する人、駐車の位置を指示する人、会場へ案内する人、建物の入り口で2階へ上がれという人、その入り口で接種券と体温をチェックしする人、机の前に座ると名前と生年月日を聞かれ、接種券と体温が再び検査された。

 さらに同じことをされた上で、ようやく接種のブースに入る。気さくな看護師さんで、生年月日や先回打った副反応あるいはアレルギーは無いかと聞き、「ハイ、討ちますよ」と言い、チクッとして「ハイ、終わりました。次へお回りください」と言う。

 接種後の15分間、テレビを見ていると、スタッフが何やら言ってきたが聞き取り難い。周りを見ると夫婦連れが多い。どうせ車で行くのだから、一緒の方がいいでしょうという考えなのだろう。見ているとダンナがカミさんの世話をする組と、逆にカミさんがダンナに声をかける組と半々だった。

 看護師さんに「お酒は飲んでもいい?」と聞いてしまったので、昨夜は指示通り禁酒した。今朝は熱も無く、心配された副反応は起きなかった。カミさんはゴルフ仲間の集まりに出かけたので、私はひとりでフレンチトーストを作って食べた。

 今晩は、ワインに合う食事にする。娘は「テレビで日本チームの応援を」と言うが、健闘に敬意と賛美は送っくても、きっとテレビはドラマを観てしまうだろう。

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小説通りの破廉恥な生活なら当然の帰結だろう

2022年02月12日 16時00分37秒 | Weblog

 土曜日は吉本新喜劇を観て、笑って泣いている。ヤクザの金貸しに300万円の借金があって、人質に取られそうになるところを助ける、同じパターンなのにどういう訳か笑って泣いてしまう。時には最後にどんでん返しがあったりして、最後まで楽しませくてくれる。

 芥川賞作家の西村賢太さんが亡くなった。受賞の日の会見だったかで、ふざけたことを言っていた気がする。変わった人だなと思って、書店に並べてあった文庫本の1冊を買った。1行の文章が長く、読みなれない漢字が多かった記憶しかない。

 私が買ったのは『どうで死ぬ身の一踊り』で、「墓前生活」と「どうで死ぬ身の一踊り」と「一夜」の3編から成っていたが、読んだのは「どうで死ぬ身の一踊り」だけだった。1967年生まれの若い作家なのに、いくつかの文が繋がれた文章なのでとても読みにくかった。

 破滅型とか、不健康とか言われる私小説作家だけに、その日常が凄まじい。同居している女性こそが幸運の女神と思いつつも、全く自分の気持ちに沿う対応が生まれないと、すぐにカッとなって暴力を振るってしまう。それも抑えが効かない手荒な行為である。

 写真で見る西村さんは、大柄でいかにも腕っぷしが強そうだ。殴られたら大怪我するだろう。彼は中学しか出ていないし、それも結構不登校だった。酒に酔って人を殴り、留置場に入ったこともある。どうしてなのか分からないが、大正時代の私小説家・藤澤清造氏に共鳴し、作家の道を目指す。

 2006年『どうで死ぬ身の一踊り』で芥川賞候補となり、20011年『苦役列車』で芥川賞を受賞した。赤裸々な私小説は余り気分のよいものではないが、西村さんが露わに存在していて引き込まれてしまう。54歳の逝去は早すぎるが、小説通りの破廉恥な生活なら当然の帰結だろう。

 今日はこれから3回目のワクチン接種に行く。これを機にあの世に連れて貰えないのだろうか。

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もう思い出せない

2022年02月11日 17時22分27秒 | Weblog

  マンションから濃尾平野が一望できる。雨降りの後、今朝は空気が澄み切っていて南西の鈴鹿山脈が、中央やや北に雪を被った伊吹山が、そしてその北には真っ白な山々の白山連峰が見える。この景色は我が家の宝物だ。

 昨日の夕方、カミさんと孫たちがラインでおしゃべりしていた。私は気を利かせて、黙って夕食の準備をする。小1の孫娘と小6の孫娘が、学校に持って行くものを見せ合ったり、学習ドリルの話をしていた。

 中でも面白かったのは、小1の孫娘の算数の回答だった。「ハトが6羽いて4羽が飛び立ちました。何羽いるでしょう」という問いに、「6羽+4羽=2羽」と回答。引き算だと分かっていても、マイナスと書かずににプラスと書いてしまったところがあの子らしい。

 母親である次女は叱ったりせずに笑っていた。それを見てカミさんは、「娘たちはいい親になっているわね」と嬉しそうだ。正月に我が家に長女一家が来た時、私が緑茶を注いでいると、小6の孫娘が、「パパ、これって土瓶だよね」と話していた。

 急須は全部が一体になっているが、柄の部分が竹のようなものを土瓶と呼ぶ。そんな日本の習慣に関心があることに驚いたし、親子でそれが話題になっていることに敬服した。ゲームばかりに夢中になっていると思っていたが、やっぱり知らないうちに成長している。

 飼っている猫が老衰で、もう長くないようだ。生き物は必ずいつか死を迎える。それを知ることも大事なことだ。長女が小学生の時にもらってきた、長く生きていたセキセイインコが亡くなり、みんなで霧ケ峰高原に埋めに行った。目立つ樹の根元近くだったけれど、もう思い出せない。

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値段を聞いて、エッと思わず出てしまった

2022年02月10日 17時24分41秒 | Weblog

 朝は雨が降っていたが、昼頃にボタン雪に変わった。午後4時過ぎの今は、太陽が顔を出している。雨降りで気が滅入るからと先輩が電話してきた。「1年生議員がいくらいい提案しても、先輩に潰されてしまうらしいね」と言うので、「以前はそういう傾向が強かったけれど、今は1年生が優秀なので、先輩議員は抑えきれないみたいですよ」と答える。

 「病気が心配な人が設備が整っている大学病院か総合病院へ行くのは、的確に診断してもらえるからだ。それなら初めから大きな病院で診断してもらい、そこからかかりつけの医院に行くようにすれば、もっと効率がいいし、費用も抑えられると思うがどうかね」と言う。「日本のように個人病院が多く、医師が徒弟制度のようなところでは難しいでしょうね」と答える。

 先輩はなお、いくつかの正論を展開して同意を求めた。「おっしゃることは正しいと私は思いますが、正義を実現することは難しいです。でも、誰かが言わなければ世の中は良くなりません」と同調する。30分ほどそんなやり取りをしていたら、先輩の声が柔らかくなってきた。「何か、ムシャクシャしていて電話してしまったが、スッキリした。ありがとう」と電話が切られた。

 私は昨日見て来た、孫娘夫婦が建てた家のことを書くつもりだったが、まあいいさ、誰かの役に立ったのならと思いながら、忘れないうちに書いておこうと思い直した。感心したのはさすがに若い夫婦だけに、私たちでは思いもつかないインテリアだった。目を引いたのは食卓の上の照明器具で、白熱灯のように思わせるLEDライトだった。値段を聞いて、エッと思わず出てしまった。

 その照明器具がこれである。

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思春期になると親に反抗しながら‥

2022年02月09日 17時24分29秒 | Weblog

 孫娘夫婦が建てた新築の家に行って来た。1月の末に引っ越したけれど、まだガレージは工事中だった。家の中もなかなか整理が進まないと弁解していたが、子育てをしながらでは無理もない。ジジババが来たのだから何か手伝いたかったけれど、結局は孫娘の手を煩わせてしまった。

 曾孫は私たちを見るとニコッとして、手まで振ってくれた。1カ月以上会わなかったのに、覚えていてくれてありがとう。孫娘が出かけて行った1時間ほど、私たちは曾孫と積み木や絵本で遊んだ。ご機嫌だったので、そんなことが起きるとは思いもしなかった。

 曾孫を真ん中にして、昼食になった。曾孫も元気よく手づかみで口に入れていた。順調に食事は進んでいたのに、なぜか急に泣き出した。ぐずったり泣きわめいたり怒ったり、「こんなことは一度も無かった」と孫娘が言うほど泣きながら怒り、手が付けられない。

 曾孫を「小心者」とか「怖がり屋」とか言うけれど、それは危険を察知する能力が高いためだ。新しい家に移って、その翌日から下痢便になったという。今日もジジババに気を遣い過ぎたのだろう。孫娘が抱っこしてしばらくしたら眠ってしまった。

 昨夜は実家で飼っている猫が危篤状態というので、曾孫を連れて実家に帰り、夜遅くに戻ってきたというから、そうした環境の変化も影響していたのだろう。まだ1歳半では泣きわめくことでしか、自分の気持ちを伝えられない。あんなにおっとりとした子でも、時にはヒステリックになることもあるのだ。

 子どもは本当に面白い。「親はなくても子は育つ」というが、身体は育っても心を育てるには、親の言葉かけが必要だ。「子は親の背中を見て育つ」というように、言葉も価値観も親から伝わる。そして思春期になると、親に反抗しながら自らの言葉や価値観を身につけていく。

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