月めくりのカレンダーが、とうとう7月になった。雨続きなので新しい月になったという気がしない。昨日、太宰治のことを書いていて、気になることを思い出した。太宰の本名は津島修治なのに、どうして太宰治をペンネームに使ったのだろう。
太宰は高校時代、左翼思想に染まり、活動していたようだ。しかし、太宰の実家は青森の資産家で、長男は政治家を目指していたので、太宰の活動に目を光らせていたから、文字で発表する時はペンネームが必要だった。それに「修治」には「おさめる」が2つもあることも、気に入らなかったという説がある。
破天荒な生き方を選んだ人らしいと思ったが、ペンネームに「治」を残したのは、親のつけた名に未練があったのだろう。両親は11人の子女をもうけたが、太宰は10番目の6男だった。乳母がいたが1年足らずでいなくなり、叔母に育てられたとある。女性に甘えるのは、そんな幼児期があったからかも知れない。
太宰が生まれた1909年(明治42)は、私の母と同じ年だ。明治の色合が薄れ、大正ロマンが蔓延り、やがて軍国主義の昭和へと時代は移っていく。母も2つ年下の文学青年だった父に恋して所帯を持ったので、何となく太宰が生きた時代が想像できる。
太宰は惚れっぽかった。出会う女性に恋していて、節操が無い気がするが、誰ひとり遊びでは無かったと思う。妻子がいても、真剣に恋している。女性たちに言う言葉に偽りは無い。だからだと思うが、太宰を憎む女性もいない。
私の中学からの友だちの中に、すぐに女性に声をかけ、親しくなる男がいる。「女好きだ」とみんなから言われるが、彼は親しくなることが好きなだけで、ふたりでドライブに出かけても男と女の仲にはならない。彼が太宰のような性格で無くてよかったのか、付き合った女が真剣で無かったのか、それは私には分からない。
友だちは自分の半生を材料にして、小説を書いているようなので、出来上がりが楽しみだ。ただ、半生をダラダラと綴るばかりでは無く、男と女の真実に迫って欲しいと願っている。