友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

2人目の曾孫の誕生を持つ

2023年07月11日 17時48分47秒 | Weblog

 雨も無く、風も無く、薄曇りだが蒸し暑い。誰かが怒鳴っている。初めは小学校の運動場で、先生が注意しているのかと思った。それにしては言葉が乱暴でヒステリックだ。どうやら、マンションの駐車場かその先の道路か、はたまたマンションの敷地内でのケンカなのか、激しく罵っている。

 暑さでイライラしているのだろうか。見に行くべきかと思いながら、放っておけないと思いながら、どこだろうかと見渡していると、騒ぎが収まったのか静かになった。気の短い人には困ったものだ。多少のことには目を瞑って生きるのが大人の生き方なのに。やたらと大声を上げて威嚇するのは、小心者の証でしかない。

 38週の健診日で日赤病院にいる孫娘がメールで、「子宮口が4.5cm開いててもう頭がハマってきてる!助産師さんにかなり刺激してもらったから今日中に生まれるかも?」と知らせて来た。昼過ぎには、「陣痛2・3分おきにきてる」とメール。いよいよ出産かと思いながら待っている。

 実際に、出産となればメールなどしておられないから、ジジババとしては待つしかない。テレビでは、北九州が洪水の被害で大変なことになっていると報じている。また、関東地方では最高気温となり、熱中症に注意するようにとも。日本の中でも様々なことが起こり、世界に目を向ければさらに悲惨なことが起きている。

 私は今、孫娘が無事に出産することばかりを願い、世界で続いている残忍な戦争や悲劇のことを忘れている。仕方ないよね、あれもこれもと願いながらも、自分ではどうすることも出来ないことばかりだ。でも、願うことを諦めたら、きっと世界は悪くなるばかりだろう。

 無力な人の願いでも、いつかは力になってくれる。そう思って、2人目の曾孫の誕生を待つことにしよう。また、孫娘からメールが来て、病院に来ているダンナと上の子は食事に出かけたとある。まだまだ、神様がいいよと言うまで、ゆっくりしていて。

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酔っぱらって川に落ちる

2023年07月10日 17時22分34秒 | Weblog

 『文豪たちが書いた酒の名作短編集』は、酒にまつわる小説や随筆など15編が集められている。『学問のすすめ』を書いた福沢諭吉が、「生来酒を嗜むというのが一大欠点」と告白している。緒方塾に入門したその日、ひとりの書生が「懇親にお交際したい。就いては酒を一献酌もうではないか」と、声をかけてきた。

 諭吉は「私は元来の酒客、然も大酒だ。一献酌もうとは有難い、是非お供致したい。だが念の為に申し上げて置くが、私には金がない」と告げる。書生は「酒を飲みに行けば金の要るのは当然の話だ。長崎から来たばかりならなら、金のない筈はない」と言うが、諭吉は「何と言われても、ない金はない」と言い切る。

 次に書生に会った時、諭吉が「私は今日も酒が飲みたい。連れて行ってくれないか」と言うと、書生は「馬鹿言うな」と別れて行ったそうだ。新入生に先輩が「たかる」ことを、諭吉は見抜いていたのだ。酒が止められない諭吉に友人が、「煙草を吸って、禁酒に耐えよ」と勧めたため、酒も煙草も止められなくなったとも書いている。

 私が大学生になった時、新入生歓迎会があり、先輩からしこたま飲まされた。帰宅の途中、避けても避けても塀が身体に寄って来て、服がビリビリになってしまった。大学4年の時は、酔っぱらって川に落ちた。先生に指示され東京の出版社で働いていて、2人の先輩に「銀座で飲ませてやる」と誘われた。

 銀座のレストランで食事を奢ってもらい、新橋のバーへ連れていってもらった。バーの女の子に「あなたはもう飲まない方がいい」と言われ、外に出て吐いた。先輩に「先に帰ります」と言ってタクシーに乗ったが、気持ちが悪くなりまた吐いた。運転手に怒られ、とにかく歩いた。東京タワーが見えた。そして気が付いたら水の中だった。

 「オーイ」と叫んでいると上から声がして、「誰かいるわよ」と言う。やがてパトカーが来て、ロープが降ろされ、引き上げられた。「川の中央でなく、川岸に向かったから、運がよかったんだゾ」と、警察官に諭された。最初の「九死一生」の事件だった。

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もう少し男らしくならなくては

2023年07月09日 17時09分03秒 | Weblog

 「ジィージィージィー」と蝉の鳴き声がする。夏になったと感じる瞬間だ。土中に居た蝉の幼虫が、雨で柔らかくなった土をかき分けて這い上がり、どこかの樹に登って羽化したのだろう。マンションの庭に植えられた樹木、近くの公園の樹木が無くなれば、蝉の声も聞こえなくなってしまう。

 蒸し暑い日々がやって来る。私の子どもの頃の記憶では、梅雨の最後に夕立が来て、本格的な夏になる。夏は防ぎようが無かったから、嫌いだった。扇風機は祖父のところにしか無かった。部屋を通り抜ける風か、うちわで扇ぐ風が涼しさを感じるものだった。私たちが暮らしていた部屋は、倉庫を改造した北向きだったので、夏は涼しく冬は寒かった。

 蝉の鳴き声を聞いて、いよいよ夏の到来だと思っていたら、午後3時に雷が鳴りだしたが、しばらくしたら止んでしまった。「雷雨は長続きしないが、熱中症には注意」と、気象予報士が呼び掛けていた。蒸し暑さが戻って来たから、今晩はエアコンを点けて寝よう。エアコンのおかげで、昨夜も寝汗をかかずによく眠れた。

 私は土曜日の『よしもと新喜劇』と日曜日の『のど自慢』が好きだ。運よく(?)両日ともカミさんが居ないので、ひとり涙を流して観ている。他人が見たら、「バカじゃーない」と言うくらいティッシュが要る。『よしもと新喜劇』は落語と同じで、人情ものが多くて、最後に「よかった、よかった」と泣かされる。

 『のど自慢』でどうして泣かされてしまうのか、自分でもよく分からない。歌って、ちょっと司会者とのやり取りがあるだけなのに、なぜか涙が溢れて来る。私の魂が汚れているのか、浄化されていく。『のど自慢』を観て、こんな風に涙を流すようになったのが、何時頃からか覚えていないが、高齢者になってからだろう。

 涙も流せない冷徹な人間よりも、格好は悪いが、よく泣く人間の方がまし、などと自己弁護に走る。娘たちから、「パパはすぐ泣くんだから」と言われないように、もう少し男らしくならなくちゃーと思う。

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忘れられない美しい恋物語

2023年07月08日 17時20分31秒 | Weblog

 高齢者の恋愛をテーマにした小説を、よく見かけるようになった。それも男性の視点よりも女性の視点のものの方が、心情が吐露されている気がする。私が男性だからか、女性の気持ちを察することが出来ないからか、新鮮な感じさえしてしまう。

 今朝の朝日新聞のbe版『悩みのるつぼ』に、2年前に定年退職した60代の男性からの相談が載っていた。「長年住んでいる場所ですが、今までは仕事一筋で、友達がいないのです」「スーパーで2歳年下のバツイチのレジの方と仲良くなり、携帯メッセージ交換までたどりつきました」。

 「一度だけ近くの公園でデートしました。肉体関係は求めておらず、ただ彼女に甘えたいのです」「彼女と話せた時、返信をくれた時は心が満たされ、妻にも優しくなれます。一方で、彼女のつれない態度が続くと毎晩泥酔してしまうのです。妻も娘も『よそでパートナーを作って、そちらで発散したら』と言います。どうしたらよいのでしょうか」とある。

 まるで高校生のような淡い恋ではないか。カミさんや娘さんに見抜かれている。回答者の美輪明宏さんも「ほのかな恋心を抱くことぐらい、いいのではないですか」と言い、「あなたが肉体関係は求めないという姿勢を貫くことに賛同します」「そもそもあなたは独り相撲をしているだけ、(略)今の関係を続けましょう」と結んでいた。

 毎回、同じ女性のレジに並んで、携帯アドレスの交換までこぎつけ、デートまでしてしまうのには驚いた。しかも女性は2歳年下のバツイチという調査能力にもビックリする。けれど、ふたりはまだ若い60代だから、話し相手だけで止まれるかとも思う。相手の女性を知れば知るほど、愛情が深まることもある。

 カミさんと娘さんの公認ならば、美輪さんの言うように「今の関係を続けたらいい」。60代でも青春のような恋が出来ることに、憧れと羨ましさを覚える。しかし、青春の淡い恋は長くは続かない。けれど、忘れられない美しい恋物語として、相談者の胸には残るだろう。

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どんな空模様なのか気になる

2023年07月07日 17時21分27秒 | Weblog

  「七夕まつり」は古代中国の神話に基づき、アジアの各地に広がっていった。中国政府の外務高官が、「頭を金髪に染めても、鼻をたかう整形しても、西洋人にはなれない」「西洋人は、中・日・韓国人の区別が出来ない」「我々は、自分たちのルーツがどこにあるか知るべきだ」と発言していたが、そのとおりだと思う。

 産業革命以後、世界は西洋人によってリードされてきたが、これからはアジア人が活躍する時代になるのだろう。高校で古代中国の「漢詩」を学んだ時、精神が随分と高いと思った。アジアは農業で暮らしてきたから、家族や地域の結束を大事にしてきた。「七夕まつり」も豊穣を願う神事のようだが、私には恋物語としか残っていない。

 機織りの少女と牛飼いの少年のふたりが、なぜ引き離されてしまったのか、なぜ1年に1度だけは逢うことが出来るのか、肝心な点を何も覚えていないのだ。このふたりのように愛し合っていたのに、男からの通信が途絶えてしまい、女は必死に男を探した。男の行方を知っていると言う男が現れ、「1晩付き合えば教えてやる」と女に言った。

 女は悩み苦しんだ末、卑怯な男に身を許し、愛する男に再会することが出来た。ふたりは1年に1日だけは愛し合う行為を重ねてきたが、男はそれではもの足りず、女は卑怯な男に抱かれたことを悔やんで、ふたりの再会はギクシャクしていった。こうしてふたりの熱い愛も次第に冷めていった。

 ロマンチックな愛を祝う「七夕まつり」のように、たとえ何があってもふたりの愛を成就させるにはどうしたら良いのだろう。愛が強ければ乗り越えられるのだろうが、強い愛とは何を意味するのだろう。中年になってから10年以上もひとりの女性と付き合いながら、男と女の関係にはならなかった友だちもいる。

 愛の形は様々だ。ここでも西洋人とアジア人との違いがあるのかも知れない。「七夕」は悲しい恋物語なので、涙の雨が降ると言われている。どんな空模様なのか、ちょっと気になる。

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もっと交じり合っていけばいいのに

2023年07月06日 17時22分00秒 | Weblog

 晴れて暑い日になったが、風があって蒸し暑くはない。しかし、暑さは人をイライラさせるようだ。中国のウイグル地区で猛暑のために竜巻が発生し、砂漠から大量の砂が巻き上げられていた。北京でも黄砂の影響で空が見えないほどだ。

 日本にどのくらい黄砂が飛来するのか分からないが、まるで悪魔がやって来るような報道だった。黄砂が目に入れば痒くなるし、洗濯ものにも被着するから、来てほしくないと思うのは当然だ。けれど、海の魚にとっては貴重な鉄分の補給になるという。

 フランスでは若者たちの暴動が続いている。パリ郊外の街で、北アフリカ系の17歳の少年が警察官に射殺された。車を運転していた少年が、交通検問を拒否したからだが、これを「差別」と感じる大勢の移民や下層の労働者が抗議デモを行った。逮捕者は3千人を超えているという。

 デモはフランス全土に広がったばかりか、ベルギーやスイスにも波及した。「虐げられている」と思う不満が爆発したのだ。抗議デモはエスカレートし、街の商店のガラスを割って商品を盗んだり、止めてある車に火を点けたり、憂さ晴らしの行為になっていて、抗議デモというより暴動である。

 フランスでは少し前にも、年金を受け取る年齢の引き上げに抗議するデモが各地であった。政府の方針に対する抗議デモが発生するのは、さすがにフランス革命の国と思っていたが、暴動になってしまうのを見ると、まだまだ民主主義は遠いようだ。人々の不満を汲み上げることが出来ない国民主権国家は、共産党独裁国家と変わらない。

 アメリカでも人種差別に対する抗議デモは続いているし、銃殺事件も跡を絶たない。世界はどんどん交じり合っているのに、どうして差別が続くのだろう。私は「在来種の保護」とか「外来種の駆除」という言葉も嫌いだ。交じり合っていけばいいのにと思う。今晩も暑い夜になるのだろうか。

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似ていないと作品を受け取らないシャネル

2023年07月05日 17時27分55秒 | Weblog

 水曜日に予定が入らなくなったカミさんのために、今日は名古屋市美術館で行われている『マリー・ローランサンとモード展』(9月3日まで)を観て来た。私の卒業生がFacebookに、同展を観たとを書いていたので、「行ってみないか」と誘ってみたのだ。

 私は『マリー・ローランサン展』とばかり思い込んでいたので、初めはちょっと違和感があった。『とモード展』の後半の部分を見落としていたのだ。会場に置かれたガイドには、「この展覧会では、ローラサンとシャネルのふたりを中心に、1920年代パリの美術とファッションを見ていきます」と書いてあった。

 画家として名を残したマリー・ローランサンと、ファッションデザイナーとして活躍し化粧品も手掛けたガブリェル・シャネルは、同じ1883年生まれ。ローランサンがパリ生まれなのに、シャネルは田舎のどちらか言えば貧しい家なのも皮肉。けれど、1914年から始まった第1次世界大戦がふたりの運命を大きく変えた。

 大戦後、美術界ではデカダンスなダダが興隆し、その後を受けたシュールリアリズムが主流になった。ローランサンもピカソたちと交流し、パリ在住の金持ち婦人を淡い色調で描いて人気の画家になっていく。シュールの詩人・アポリネールとの恋愛も彼女の作風に影響したのかも知れない。

 また、大戦後は女性の社会進出で、女性の生き方も大きく変わった。ファッションも貴婦人たちの装いから、一般市民が好む活動的なデザインへと移った。パリに店を開いたシャネルはそんな時代を読み取り、新しいファッションを創り出し大金持ちとなった。

 展覧会ではローランサンの作品だけでなく、シャネルがデザインした服やファッションショーの映像も観られ、来場した女性たちの関心を集めていた。卒論でシュールレアリスムを課題とした私は、そんな時代のパリを想像し、なぜか身近に感じた。面白かったのは、シャネルはローランサンに自分の絵を依頼したのに、似ていないと受け取らなかったという。エッ?

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甘えられる余裕を持って

2023年07月04日 17時16分44秒 | Weblog

 昨夜、風を入れるためにカーテンを開け、アミ戸にして寝た。夜中に目を覚ますと、部屋に明るい光が射し込んでいる。煌々と射し込む光の帯は3メートル半はある。窓に近寄って仰ぐと、まん丸い月が静かに天上にある。

 7月の満月をアメリカでは「バックムーン」と呼ぶらしい。農業にとって月日を知ることは大切なことだから、月の満ち欠けでみんなが共有していたのだろう。それにしても、月の光がこんなにも明るいことに気が付かなかった。

 子どもの頃は街に灯りは少なかったから、家々は暗黒の中に埋まっていた。マンションから深夜の街を眺めると、通りは随分と明るいし、コンビニ店には何台もの車が止まっている。マンションの部屋も、灯りがいくつも点いている。

 夜は灯りを消して休むものでは無くなった。電車の往来は無いが、トラックやオートバイなどの車は頻繁に走っている。人は夜も働いているのだ。しばらく窓の外を眺めていたが、これでは寝られなくなると思いフトンに入った。

 今日は天気予報通り、とても暑い。部屋の温度計は34度に届きそうだが、湿度は40%なので蒸しっとした感じはしない。今晩は、エアコンを点けっぱなしで眠ることになるのだろう。妊娠9カ月の孫娘は「今日が検診」と言っていた。

 2人目を妊娠してから、つわりが酷かったし、体調不良が続いていたようだが、電話では「大丈夫だよ」と言っていたが、無事に生まれてくることを祈るばかりだ。子どもは3人欲しいと言っていたのに、「もう、いいかなって感じ」と弱音を吐いていたから。

 母親である長女は娘たちに厳しい。それは強く生きていって欲しいと願うからだが、少しは甘えさせてやることも大切なのにと思う。親はつい、「頑張れ、頑張れ」と言ってしまう。頑張れば乗り越えられると、鍛えることを求めてしまう。

 孫娘を見ていると、本当にいい子に育ったと思う。いいダンナにも巡り合えた。ダンナと子どもたちといい家庭を築いていくだろう。親は、甘えられる余裕を持って、そっと見守る他ないと、自己反省している。

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大きな被害にならないように

2023年07月03日 17時25分00秒 | Weblog

 携帯電話の電池容量がゼロになっていたので、昨夜から充電しておいた。今朝、もういいかなと思ってみると、全く充電されていない。同じ型のカミさんの方のケイタイは、充電出来るのにどうしたのだろう。

 私がボゥーとしているせいか、カミさんの方が慌てて携帯電話会社のauに電話している。「故障だと思うので、購入したauの販売店に持って行けだって」と言う。「au店でスマホに替えろと言われたら、そうすればいい」と私が答えているのに、カミさんは納得できないのか、長女のダンナに電話している。

 彼だって忙しいだろうに、金にもならないことに、そんなに巻き込まないでと思うが、その点は無頓着だ。状況を説明すると、長女のダンナは「とりあえず、ママのケイタイのバッテリーと、パパのケイタイのバッテリーを交換してみて」と言う。

 「どうするの?」と言うので、私がケイタイの蓋を外し、バッテリーを交換してみた。すると何ということか、ケイタイが作動した。長女のダンナの直感は凄い。午後5時を過ぎても平常に動いている。周りの友だちはスマホに替えていて、「便利だよ」と言うが、ガラ系ですんでいるうちはこのままでいいだろう。

 しかし、中学の同級生が集まった時、私以外は皆スマホだったから、何枚か写真を撮ったのに、誰も私に写真を送ってくれない。そんな愚痴も、スマホは会話も出来るし、写真のやり取りも出来るのにと叱られそうだ。

 テレビは熊本の洪水の様子を映している。東海豪雨の時、朝、マンションから見える景色は全面が湖だった。大変なことになったと思ったら、他人ごとでは無かった。ひとり住まいをさせた次女の下宿が水浸しになっていた。カミさんの弟に助けてもらって家財を運び出した。

 洪水は豊かな平地を創り出してくれたが、農業生産から遠のいた現代では脅威でしかない。まだ線状降水帯は続くという。大きな被害にならないようにと祈るしかない。

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分からないことが多くなった

2023年07月02日 17時34分43秒 | Weblog

 朝から青い空が広がっていた。小学校の運動場では、午前は少年サッカークラブの練習が、午後は少年野球チームの試合が行われ、元気のよい子どもたちの声が響いていた。夏がやって来た。炎天下でも、子どもたちの声は途切れることが無い。

 私はナマケモノだったので、夏の練習が嫌だった。それでも子ども会のソフトボールチームの練習に参加すると、練習の後に監督がアイスキャンデーをおごってくれるので、それだけのために参加していた気がする。

 自分から積極的に出来たことは、新聞作りだった。記事を割り振り、紙面の割付をして、名古屋タイムズに原稿を持ち込む。出来上がった紙面の、白黒のバランスを確認する時はワクワクした。あの歓びが無ければ、この街で地域新聞を作ろうという気にはならなかっただろう。

 夏は苦手なのに、好きな面もある。女性たちが素肌を露わにしてくれるからだ。プロ野球のテレビ中継も、試合のことよりスタンドの女性たちに目がいってしまう。売り子の女性を見ては、脚がキレイだとか歩き方が悪いなどと評価している。

 街に行かなくても、テレビニュースは交差点を行き交う女性たちを写し出してくれる。ミニスカートの女性たちが増え、楽しませてくれる。こんな助平心が昂じると、盗撮魔などのセクハラになってしまうのだろう。

 男たちは皆、助平心を持っていると思うが、多くの人は自制している。それは何よりも自分の社会的な立場を守るためだ。見たいという気持ちがどんなに強くても、欲望に負けてしまえばどんな結果になるのか分かっている。

 「かっ飛ばせ、かっ飛ばせ」と大声を上げている少年たちにも、そんな日はやって来る。最近、自分を制することの出来ない人が増えているが、どうしてなのだろう。教育が悪いのか、社会の価値観の推移なのか、分からないことが多くなった。

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