風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アジア点描

2013-12-19 23:44:11 | 永遠の旅人
 先週は、日替わりで、マニラ、ホーチミン、ハノイ、バンコク、ジャカルタに出張しました。夕方のフライトで移動し、ホテルは寝るだけで、朝、チェックアウトし、昼間、打合せの後、再び夕方のフライトで移動するという強行軍で、何が辛いと言って、晩飯を機内食で済ませることほど空しいことはありませんでした(苦笑)。
 初日のマニラでは、日曜の昼下がりに到着してから夕食までの時間を、マカティ中心部にあるホテル横のショッピング・モールを散策して過ごしました。シンガポールやマレーシアと比べても遜色がないほど巨大なものでしたが、シンガポールやマレーシアと違って、出入り口で金属探知機による持ち物検査があり、また、モール内は人通りが少なくないのに、個々の店内はガラガラというアンバランスなのは、どうやら買い物もせず通路でぼんやり佇んでいる人が多くて、穿った見方をするならば、一流のブランド店で買い物が出来るのは一部のお金持ちに限られ、大多数の人々にとっては、まだまだ憧れのファッショナブルな場所なのではないか・・・と思いました。
 次の訪問地ベトナムでは、やけに街中にバイクが一杯・・・と思ったら、バイク普及率は世界トップだそうです。昔、中国が自転車天国で、いつの間にかバイク、さらに車社会になったのになぞらえれば、その発展段階が想像されます。3000万台といいますから、人口8800万人のベトナムの三人に一人が保有している計算で、そんな喧騒の中を、会社専属ドライバーは、急な発進や急な車線変更を避けながら、阿吽の呼吸で流れるように運転します。混沌の中に見る秩序ありげな動きは、日本人にはなかなかマネ出来そうにない芸当です(因みに会社の規定によれば駐在員の運転は禁止)。それから、ネット・ユーザーも同レベルの3300万人、普及率は38%と言われます。中国と同じ共産党独裁の国ではあるものの、中国が外資系のGoogleなどのサービスを制限しているのに対し、ベトナムでは原則自由で、検索エンジン市場ではGoogleが95%を占める、といったところは明らかに中国と異なりますが、いざGoogle.comを見ようにも繋がらず、Google.com.vnにre-directされてしまうということは、やはり何らかの監視が行われているということなのでしょうか???
 続くタイ・バンコクは、ご存じの通り、混乱冷めやらぬ中での訪問でした。かつて反政府デモ隊が空港を占拠した記憶が蘇り、ちょっと心配(ある意味で期待?)されましたが、バンコク行きフライトは外国人で一杯でしたし、街も普段と変わる様子は見られませんでした。この国はクーデターに慣れているだけあって、反政府暴動などモノともしないと見えます。こうして見ると、日本は、どの政党が政権を担当しようが、誰が総理大臣になろうが、反政府デモやら暴動が起こることはまず考えられない・・・ということは、民主主義の歴史が長く政治的に安定している証左か、はたまた国民が政治に期待せず倦んでいることの表れか・・・。
 最後のインドネシアにしても、いずれ劣らぬアジアの成長市場で、街のど真ん中に工事現場やら工事途中の残骸が放ったらかしになっており、社会的な安定・清潔・高品質・高齢と言うより、変化に満ち、お世辞にも清潔と言えず安普請なところもありますが、若さ溢れる活気を感じさせます。一人当たりGDP3,000ドルは、ようやく個人消費が盛り上がり、コンビニ出店が検討される発展段階にあります。人口も2億4千万と、ポテンシャルを感じさせます。
 因みに、タイの一人当たりGDPは5,000ドル(人口6千9百万)、フィリピン2,000ドル(人口9千3百万)、ベトナム1,200ドル(人口8千8百万)と、人口がそれなりに多いだけに、規模の経済も期待されます。他方、都市国家のシンガポール43,000ドル(人口5百万)は別にして、既にアジアの優等生のマレーシア8,400ドル(人口2千8百万)はそこそこ豊かでも人口が少なく、タイ周辺で期待されるミャンマー700ドル(人口4千8百万)はそこそこ人口があっても貧しく、カンボジア800ドル(人口1千4百万)、ラオス1,000ドル(人口6百万)など、成長期待はあっても経済規模は知れています。そしてこれらの国全てに(都市国家シンガポールを除いて)共通して言える課題は、10,000ドルを越えらるかどうかという、中所得の罠が待ち構えていることでしょう。ごちゃごちゃ数字を挙げましたが、要は、失われた20年を経てなお、1億3千万近い人口を抱えながら平均43,000ドルもの高水準を維持する日本は、日本を離れてアジアから眺めてみると、社会的な自由と洗練さとを含めて、その底力を否応なしに感じさせられ、大いに誇って良い、逆に自信を無くす必要など毛頭ない、とつくづく感じさせられます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア紀行ふたたび(下)

2013-09-03 23:35:45 | 永遠の旅人
 最後はコト編です。
 パリを中心とするイル・ド・フランス地域圏商工会議所が、「不親切なパリジャン」のイメージ払拭に向け、ホテルや飲食店、タクシー業者向けに外国人観光客の国別サービス・マニュアルを作成し、3万部が配布されたという記事が出ていました(読売新聞8月24日)。10ヶ国別に挨拶やお礼の言葉を紹介した上で、観光客の「傾向と対策」を指南する内容だそうで、

 ①「ファーストネームで呼ばれるのを好む」
 ②「とにかくブランド品の買い物好き。英語が苦手で、いつも言葉の壁にぶちあたっている」
 ③「安心を強く求める」「(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」

といったような注意書きが付けられているそうですが、それぞれどこの国の人だか分かるでしょうか。答えは①英国人、②中国人、③日本人、だそうです。②は日本人にも当てはまりますね。ブログに書いている私は、まさに③を実践する典型的日本人と言えそうです(苦笑)。一つ、言い訳させて貰えるなら、インドのホテルでは、チェックアウトの客をつかまえて顧客満足度を調査しており、私も乞われて、ドライヤーがしょぼいことを率直に伝えました。
 顧客満足というのは、今では、世界中、大都市ならどこでも、シンガポールやクアラルンプールはもとより、ニューデリーでも、気がきいたホテルでは当然のように考慮されています。私のような出張者を多く受け入れる企業は、ホテルにとっては上客で、見返りにCorporate Rateと称するdiscountを貰って、経費削減の折りでもそこそこの部屋に泊まらせることが出来るわけですが、こうした企業顧客の場合には、だいたい決まってWelcomeレターを添えた果物やクッキーが置いてあったりします。Complimentsというやつですね。インドのホテルでは、ワイン1本が添えられていました。太っ腹です。日本でもよく見かけるオーストラリアのJacobs Creekで、つい嬉しくなって(よせばいいのに)一晩で空けてしまいました。
 こうした企業顧客向けには、朝、その客の母国語の新聞を差し入れるといったこともよく行われ、シンガポールでも、クアラルンプールでも、日経新聞を読むことが出来ましたし、ホテルのケーブル・テレビにはNHKの日本語放送が入っていました。さすがにインドは遠いのでしょうか、日経新聞のクーリエ・サービスはないと見えて、新聞はインターナショナル系、テレビもNHKの日本語放送はなく、辛うじて英語放送が流れていました。
 因みにインドのホテルのケーブル・テレビは50チャネル以上あり、CNNやBBCやアルジャジーラをはじめ、ロシア、オーストラリア、中国、アジアなどの専門局が独自情報を放映し、一種の宣伝戦の様相ですが、メディアとしては、ESPN、HBO、Cinemax、Fox、Discoveryなど、アメリカが圧倒的で、面目躍如といったところです。先ほども触れたようにNHKは英語放送のみですが、折角の英語放送ですから、世界の人々に広く知らしめるという意味で、福島原発事故にせよ尖閣問題にせよ、事実を淡々と伝えるだけでも、かなりの影響力が期待でき、意味があるように思います。国営放送ですから、もっと戦略的に活用できないものかと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア紀行ふたたび(中)

2013-09-02 01:15:38 | 永遠の旅人
 今日はモノ編です。
 昨晩、成田に着いたのは夕方6時前のことで、ニューデリーを出たのは金曜の深夜(日本時間3時半)でしたから、半日以上の、アジアにしては長いフライトで(シンガポールにトランジットしたからですが)、ちょっとくたびれました。しかし、その疲れよりも、東京で出迎えてくれた蒸し暑さに参っています。あちらで天気予報を見ていても、赤道に近いアジア諸国の方がよほど東京の気温よりも低く、湿度を含めると体感は更に違ってくるのでしょう。実際に、外を歩いたのは僅かでしたが、アジア諸国の方が凌ぎやすいように感じました。また、日本にいたら節電のことを少しは気に留めますし、所詮は日本だけの部分最適のマインド・セットに陥るわけですが、発展途上のアジアの巨大な空港にしろ、ホテルにしろ、オフィスにしろ、エアコンががんがんにきいたアジアの環境を渡り歩くと、地球環境を否応なしに意識せざるを得なくなります。
 確かに、モノとして見た場合に、シンガポール、クアラルンプール(マレーシア)、ニューデリー(インド)ともに、そもそも国の玄関口である空港に、開発独裁の力を如何なく発揮して、他国を制して、国の威信を示す覚悟が込められて偉容を誇りますし、ホテルもまた、日本のちまちましたそれとは違って、スペースは欧米並みに豪華で(いまどき出張者が泊まるホテルはせいぜい中の上程度ですが)、国の覚悟に相応しい、人々の受け入れを実現する民間資本の意気込みを感じさせます。いわば、久しく日本では忘れられた、一種の国全体での盛り上がりです(と言っても首都など大都市に限定的でしょうが)。
 そんな中で、ニューデリーには、他の二都市には見られないニオイを感じました。カースト制に起因するのか、イギリス植民地統治時代の名残りなのかは分かりません。それが今もなお根強く残っているかどうかは、もともとあった伝統文化の強さにもよるでしょうし、植民地統治そのものの歴史的な長さと強さにもよるでしょうし、さらにそこから脱して、新たな国としての、経済をはじめとする発展を遂げつつある、変貌の度合いにもよるでしょう。それら全てがミックスされて、現在の国のありようが決っているわけですが、敢えて単純化して眺めて見ると、マレーシアを真ん中に、シンガポールを一つの発展系の極端として(しかし現在のそれは、かつての宗主国の立場を自らの政治家と官僚とで置き換えたに過ぎないかも・・・しかし、国家独立したことによって富が搾取されることなく自国民で分かち合えるようになったのは最大の違いではあります)、インドは、その潜在力を認められつつ、もう一つの発展途上の極端として位置付けることができ、もともと根強いカースト制と相俟って、首都でありながら、貧しさと豊かさとが混然一体となった独特の様相を醸し出しているように思います。街では、私たちが普通にイメージするタクシーとは別に、貧しい人向けの自動三輪(オート・リクシャー auto-rickshaw)のタクシーを多く見かけますが、どちらかと言うと裕福な人が使う自動車との接触事故が多く、貧しい人が泣き寝入りすることが多いと聞きました。
 ついでのことながら、フロントでは、ホテルのボーイが鞄を持とうと必死に近づいてきて、部屋まで送り届けようとしてくれます。いまどき、それほど大きな荷物を持つわけでもなし、ちょっと面倒に思って断る人も多いと思いますが、チップを与えるという昔懐かしい習慣は、この国に最後まで残るのではないかと、ふと思いました。以前、マレーシアに滞在していた頃、インド人の知人に、どうもメイドを雇うのは気がひけるというような話をしたら、彼はインドでも裕福な家庭に育ち、メイドが何人もいるのが当たり前の中で育ったせいか、彼らに仕事を与えることになるから良い事なのだと、こともなげに言い放ったものでした。
 また、もう一つ、ついでながら、ホテルからオフィスまで、目と鼻の先ながら、チェックアウトした荷物があったため、タクシーを拾ったときのことです。5分も走らなかったのですが、メーターを動かしておらず、いくらかと聞くと、謎かけのようにHappyか?と。Happyと思うならお金をくれ、と。埒があかなくて、具体的にいくらか言ってくれなければ分からないではないかと、押し問答の末に、ようやく200ルピーと聞き出して、そのまま支払いました。後で現地の駐在員に聞くと、その半分が相場のようでしたが、別に惜しくはありません。ただ、これが所謂「対面相場」と呼ばれるものかと思いました。マレーシアもそうでしたが、日本人向けの相場があり、日本人はぼられたと思うのですが、恐らく彼らは裕福な日本人から施しをしてもらっている程度で、悪気はないのかも知れません(NYのタクシーから吹っかけられると、単純にぼられたと思いますが)。
 そうした社会の意識を象徴するかのように、ニューデリーの豪華なホテルの片隅に、安っぽいヘア・ドライヤーがひっそりと息づいていました。使っていると異音に加えて異臭も漂ってきて、気になって見るとプラスティックの一部が溶け出して煙が出始めているではありませんか。地元のいい加減なメーカーだろうかと出自を調べると、無名ながらmade in Great Britainとありました。シンガポールでも、マレーシアでも、大抵はPanasonicだったりするわけで、いくらイギリス統治が広がった東南アジアで、早くから産業革命を遂げながら、結局、金融サービス産業でしか生き残れなかったGreat Britain製を見ることは滅多にありません。たった一つの事実だけで、これがインドと思うのは早計の至りですが、そういうものかと納得したくなる次第でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア紀行ふたたび(上)

2013-08-31 23:34:25 | 永遠の旅人
 月曜日から、シンガポール、マレーシア、インドに出張し、先ほど戻りました。今日は道中の食事編です。
 シンガポールへは正味7時間のフライトなので、朝、いつもの時間に家を出て夜到着するというように、前後の移動を含めると一日仕事になります。そのため、ホテルに着いたときには疲労困憊、チャイナタウンに隣接する絶好のロケーションでしたが、晩飯はホテルのレストランで済ませました。しかし、さすがにシンガポールですね。西洋料理が中心ながらも、地元のラクサもマレー料理もインド料理もタイ料理も取り揃えていて、メニューは豊富です。つい懐かしくなって、インドネシアの(とメニューに書いてありましたが、マレーシアでも人気の)ナシ・ゴレンを食べました。つけ合せがある焼き飯(ナシ=ご飯、ゴレン=炒め物の意)です。以前、バリ島のホテルで食べたナシ・ゴレンの、日本人好みの美味しさが忘れられなくて、あの味を探す、といったところが私にはあります。さて、ここの焼き飯は、味が薄くて、さっぱり味と言うより、それだけなら、さっぱり・・・でしたが、付け合せの半生の目玉焼きを混ぜ、生のトマトやキュウリはともかく、酢のものを混ぜ合わせると、絶妙に美味しく、値段こそホテル相場で屋台の3~5倍はしましたが、とても満足しました。
 昼は、肉骨茶(バクテー)を二度も食べるチャンスがありました。最初はシンガポールで、場所柄でしょうか、鶏がらスープに胡椒を中心とした味付けは、とても美味しいのですが、グローバルを意識した?万人受けするあっさりとした透明スープで、かつてマレーシア・ペナンで食べ慣れた私には、やや物足りない。続いて翌日、マレーシアで食べた肉骨茶は、漢方薬のもとになるハーブと、さまざまな部署の豚肉を煮込んで、どす黒く、これぞ肉骨茶、シンガポールのような洗練さに欠けますし、カロリーも高そうですが、如何にも田舎風のコクがあって、ご飯や油条(揚げパン)にぶっかけて、美味しく頂きました。
 インドでは、スパイシーなカレー・・・と行くべきところでしたが、今回の出張では、最初からどうも胃の調子が良くなかったため、無理しないことにしました。それにしても、昼はマクドナルドのフィレオフィッシュ、夜は日本食と、ゴルフ目当てに遊びに来た日本のオジサン風情です(日本のオジサン、ごめんなさい)。
 朝は、どのホテルでもバッフェで、西洋風のみならず、中華風、マレー風、インド風を取り揃えたメニューは嬉しいですが、かかる状況から、お粥を食べるのがせいぜいで、野菜や果物を中心に健康的な一日を始める・・・という生活でした。スイカ、メロン、パイナップルの定番に加え、マレーシアではパパイヤもあって、果物と言えば日本が一番ですが、熱帯の果物も美味しい。食事は、アジアならではで、味気ない出張でも、食の楽しみがあるのがいいですね。

(参考)
 アジア紀行(上) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20121215
 アジア紀行(中) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20121223
 アジア紀行(下) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20121225
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア紀行(下)

2012-12-25 01:06:37 | 永遠の旅人
 国のありように思いを致して、結論めいた話は、昨日のブログに既に滲ませておりますので、今日は、その実証データを一つ挙げたいと思います。昨日、予告したもう一つの話題である、シンガポールとマレーシアの為替の話です。
 シンガポールがマレーシア連邦から分離・独立したのは1965年のことです。シンガポールではイギリス植民地時代に流入した華人が人口の過半を占め、マレー人と華人の平等政策を主張しましたが、マレーシア連邦ではマレー人が人口の過半を占めマレー人優遇政策を採ろうとしたため、対立が激化したからでした。端的には、マレーシア連邦が、シンガポールを連邦内に留めることによって華人の有権者が増えるのを嫌ったとも言われます。独立と言いながら、かつてマレー独立運動で盟友だったラーマン・マレーシア連邦首相から追放されたに等しいものであったことから、独立を国民に伝える演説の中で、リー・クァンユーは、自制心を失って泣き出す場面もあったそうです。その後、シンガポールとマレーシアは、隣国同士で影響を与え合いながらも、別々の道を歩みました。
 その後ほどなくしてシンガポールに造幣局ができ、独自の通貨を持つに至りますが、暫くはマレーシア・ドル(リンギット)も併用し、シンガポール・ドルとマレーシア・リンギットは等価でした。ところが1973年に為替相場が適用されてから、経済力の差を反映して、貨幣価値に差が生まれ始め、今では1シンガポール・ドルは2.5マレーシア・リンギット、つまり2.5倍強くなりました。国力の差を反映していると言えます。
 シンガポールについて、断片的な知識をもとにWikippediaで調べてみました。63の島からなる島嶼国家ですが、最も大きなシンガポール島でも、東西42km、南北23kmしかなく、日本の都道府県で最も面積が小さい香川県の半分以下、島の大きさで比べれば奄美大島と対馬の間の大きさでしかありません。そのため空港からも至近で便利この上ない一方、今でもマレーシアから水を購入しているように、天然資源は不足しています。世界に通用する目ぼしい地場産業もなかったことから、外国資本誘致による輸出志向型工業化戦略を打ちたて、優遇税制や安価な熟練工を提供するなど、投資環境を整備しました。同時に、政府は経済の厳重な統制を維持し、土地、労働と資本的資源の配分を管理したとも言われます。また国防も脆弱だったことから、スイスを手本として非同盟と武装中立を国是とし、徴兵制を導入したほか、フランスやイギリスから装備を購入し、その後、ASEAN諸国や五ヶ国防衛取極め締結国、他の非共産主義諸国などとも軍事関係を築くなど、着々と軍備増強を進めました。政治面では実質的な一党独裁で、まさにアジアに象徴的な開発独裁を牽引し、各種マスコミに対する報道規制もあるため、非政府組織(NGO)「国境なき記者団」が実施する報道の自由度調査(2010年)では178の国・地域中136位と評価は低く、「明るい北朝鮮」と揶揄されることもあります。
 その生い立ちには、リー・クァンユーをはじめとする客家人の影を感じます(以下もWikipediaから引用)。漢民族の中でも中原発祥の中華文化を守ってきた正統な漢民族とされながら、戦乱から逃れるため中原から南へと移動を繰り返し、移住先で原住民から“よそ者”「客家」と呼ばれた「客家人」は、移民の通例として土地の所有が困難だったため流通や商業に従事することが多く、師弟の教育にも熱心なことで知られ、商業の他に教育の高さから教職に就くことが多いといった特徴が似ていることから、「中国のユダヤ人」と言われ、ユダヤ人、アルメニア人、印僑とともに「四大移民集団」と呼ばれます。東南アジアに暮らす華人の実に三分の一は客家人とされます。伝統的な中国人の発想として卑しめられることが多かった軍人になったり、反乱や革命に参加したりする者も多く、太平天国の指導者・洪秀全や、中国国民党の孫文などを輩出しました。台湾の李登輝も客家人です。そんな客家人が社会の枢要を占めるシンガポールは「東洋のイスラエル」とも呼ばれ、目覚ましい、しかし特異な発展を遂げました。
 古くから東西貿易の拠点として栄えて来ましたが、今や香港と並び多国籍企業のアジア・太平洋地域の重要な拠点(Headquarters)が置かれることが多く、東南アジアの金融センターとしても確固たる地位を築きました。一人当たりGDPは5万ドルに達し、世界経済フォーラムの研究報告書(2011年)において、国際競争力が世界第2位の高い国と評価されました。マレーシア連邦からの追放という挫折をバネに、小さいが故に戦略的に国家を建設し、小さくてもキラリと光る国へと発展を遂げたシンガポールは、契機こそ違うものの、ピューリタンの使命感を背景に、イギリスから独立したアメリカと、なんとなく重なります。共通するのは、国民が歴史的背景を共有しないため、連帯し国としてまとまるためには、将来に向かって人工的な国造りの伝説を紡ぎ続ける必要があることでしょうか。初めから国としてそこにあった日本とは対極にある、これらの国のありようは、未曾有の国難に直面する日本には、少なからぬ示唆を与えるように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア紀行(中)

2012-12-23 12:01:46 | 永遠の旅人
 シンガポールとマレーシアといえば、何かと比較されることが多い隣国で、面白おかしく比較したお茶らけた本(”The Difference between Malaysians and Singaporeans”)を別のブログで紹介したことがありました(http://penangwind.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/index.html)。今回、両国をほんの短時間でしたが訪問した中で、酒を飲みながらのヨモヤマ話の中で印象に残ったのは、シンガポールの政治家や官僚の給料がべらぼうに高いという話と、シンガポールとマレーシアの通貨は、当初、交換比率は1:1だったという事実です。今日は、先ず、シンガポールの政治家や公務員の給料が高いという話題です。
 現地子会社・社長の話によると、シンガポール首相の給料は2億円を越えるそうです。調べてみると、2011年1月のNewsweekの記事が引っかかり、世界で最も高い給料をもらっている首相だと報じられていました。単純比較であれば、日本の首相の5倍はありそうです。アメリカ大統領、フランス大統領、さらにドイツ首相は日本よりも低いらしい。もっとも、シンガポールに首相官邸や専用車はなく、福利厚生に至るまで全て込みの給料という一本の形で支給しているので、見かけほどの差にはならないかも知れません(他国のリーダーも、単純比較してよいものかどうか分かりません)。それでも現地では世間離れしているとまで見られる給料水準を与える理由として、リー・クアンユー顧問相は、かつて「大臣や官僚の収入の低いことがアジアの多くの国で政府に損失を与えていた。適当な額の報酬は政治家と役人の清廉さを保つために欠かせないものだ」と述べたそうです。つまり極めてアジア的な風土に根差していて、汚職を防止するために公務員の給料を高く設定しているために首相の給料もそれにつられて高くしているというものです。
 実際に、シンガポールのキャリア官僚は全員合わせても200名くらいと極めて少ないそうですが、トップ・クラスは年収が1億円に達するそうです。やはり単純比較では日本の5倍くらいはありそうです(同様に算定基準が違うので、日本の各種手当を含めるとそこまで差は出ないでしょう)。特徴的なのは、シンガポールの官僚の給料は、固定給と変動給とに分かれ、民間セクターの業績とGDP成長率に連動させていること、人事権は各省庁にはなく中央で一括して管理され、徹底的な能力主義のもとに、200名の序列をつけ、3年間ランクが下位5%の場合には退出を迫るという話まであります。
 参考までに、こうした公務員や政治家の給料の算出根拠は、シンガポールの高額所得者の多くが所属する6業種、即ち金融機関、法律事務所、会計事務所、エンジニア、外資系企業、国内製造業から上位8人の平均年俸を算出し、その3分の2の額に連動させていると解説するサイトもありました。それなりに国民に対して納得してもらえるよう説明責任を果たす努力の後が見られます。
 私がマレーシアに滞在していた頃、警察官の給料を上げるかどうかが何度か議論になっていたのは、やはり汚職がはびこっていたからで、マレーシアでは、警察官に小金を掴ませて軽めの交通犯罪を逃れることなど日常茶飯事でした。かつては同じマレーシア連邦を形成しながら、マレーシアは、シンガポールのような極端な合目的的な社会システムとは程遠い、古い体質をもった社会のままです。それでは日本はどうでしょうか。シンガポールとマレーシアを座標軸上にプロットすると、残念ながら日本はマレーシアに近いと言わざるを得ません。勿論、どちらにも功罪あり、国の歴史やこれからの国のありよう、いわばグランド・デザインに関わる問題ですので、単純に解が出せるとは思えません。少なくとも、命を守る医療関係者、将来を担う若者を育てる教育関係者、国家を担う政治家・官僚にも、大いに人材を集めるべきだと思いますが、かつて日本という国家が勃興した当時こそ、高い使命感と倫理観のもとに、これら領域に人が集まったものでしたが、成熟して価値観が多様化した今日の日本で、いつまでも使命感だけで有為な人材を惹きつけられるとは思えません。そのためこれらの領域は変化に対応できず旧態依然として、ある意味で守られている(隔離されている?)ようにも見えるのは、競争に晒されて緊張感を強いられる民間企業の僻みでしょうか。折しも総選挙がありましたので、シンガポールの話を聞きながら、国のありようをつらつら考える契機となりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア紀行(上)

2012-12-15 21:55:57 | 永遠の旅人
 出張で一週間、シンガポールとクアラルンプール(マレーシア)とメルボルン(オーストラリア)に行っていました。そのため、北朝鮮のミサイル発射(ちょうどその日に訪れていたマレーシアの華人はCrazyだと顔をしかめていました)と、この一週間の選挙戦(シンガポールとマレーシアのタクシーの運ちゃんが、日本では首相が毎年のように交替しているねえと笑いながら、その名前をすらすらと言えたこと(日本人観光客向けのパフォーマンスか!?)、それに引き換え小泉は良かったのにねえと異口同音に言ったことが驚きでした、ああいう明るくて実行力があるように見える指導者が好まれるのでしょうか、きっとリー・クアン・ユーとかマハティールと重ね合わせているのでしょう)について、すっかり疎くなってしまいました。さて、その時の印象です。
 シンガポール、クアラルンプールという、東南アジアを代表する都市を訪れて、勿論、毎度のことながら時間に制約がありましたので、たまたまかも知れませんし、訪れたのは日本で言えば六本木か渋谷のようなところだったと思うので、ある意味で当然とも言えますが、昼飯時などにレストランに行くと、若い人で賑わって、まさにアジアの成長を牽引しているかのような活気があって、羨ましく思いました。空港やホテルがあるビルに隣接するショッピングモールの巨大さといったら、大震災を経験した我々日本人からすれば無駄じゃないかと思えるほどの空間と資材とエネルギーをふんだんに使い、開発独裁と揶揄されようがお構いなし、豪華さを競い合っているかのようです。
 シンガポールに到着したのは日曜夜で、One Fullertonという、マーライオンの隣、高層屋外プールがある空中庭園「スカイパーク」で有名な、5000億円を越える資金を投じたと言われる複合リゾート施設Marina Bay Sandsを目の前に臨むレストランで、シーフードを堪能しました。夜8時と10時に光を使った演出が行われるのも、カネに物言わせた中国人的な豪華さが、むしろ清々しいほどです。私が会社に入った20数年前は、先輩や上司が、シンガポールの食事は不味いと頻りにこぼしたものでしたが、今、私が抱く実感とはかけ離れています。思うに、当時のそれはニョニャ料理だったのではないか、その後、どんどん新しい中国人が入植し、どんどん新しくて美味しい中華料理が古い中華料理を塗り替えて行ったのではないか。光の演出を見ながら、成長するアジアの象徴として、訪れるたびに地図が変わる、見た目のビル街の様相も変わる、この国々の変貌ぶりに、目を見張る私でした。
 上の写真は、まるで新しい観光名所Marina Bay Sandsに向かってスペシウム光線を放つかのような古めかしい観光名所のマーライオン。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京タワーふたたび

2012-08-22 23:49:55 | 永遠の旅人
 東京スカイツリー効果で、タワー入場者が全国で増えているという報道がありました。中でも東京タワーは、目と鼻の先という立地で、スカイツリーと一緒に訪れる観光客もあって、昨年、241万人まで落ち込んだ入場者数は、今年、300万人を予定しているそうです。
 先日の日経によると、スカイツリー観光客を呼び込み共存共栄を図るとして、展望台(150メートル地点)まで600段ある上り階段の開放時間は午後4時までだったのを午後8時半まで延長する(9月2日まで)そうですし、全国の展望台で初めて導入された自動走行の観光案内ロボット「TAWABO」が出迎えてくれるそうですし、館内では東京タワーでしか手に入らない独自開発のグッズが約300品目並ぶそうです。
 などと他人事のように書きましたが、先々週、会社の夏休み期間中に、下の子を連れて、東京タワーに行って来ました。奥行のある街並みや建造物の写真を撮るという宿題が出て、付き添ったわけですが、スカイツリーではなく、東京タワーを選んだのは、我が子ながら慧眼だと思いました。スマートなスカイツリーに比べ、鉄骨むき出しの東京タワーは、フォルムはやや古めかしいけれども、接近すれば面白い曲線美が撮れるのは間違いありません。
 ついでに館内をうろついて、東京タワーでしか手に入らないという自慢の独自開発グッズ300品目をつらつら眺めていたのですが、子供の好きなスヌーピーものは、スカイツリー版しかないのは仕方ないにしても、東京タワーの土産物屋にわざわざスカイツリーものを置くのはどうかと思います・・・
 上の写真は、フォルムの美しさと言うよりも、ご存じ増上寺との取り合わせの妙を写真に収めてみました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧州紀行(下)ブダペスト

2012-07-27 00:02:17 | 永遠の旅人
 欧州紀行は、イスタンブールから更にハンガリーの首都ブダペストに場所を移します。
 トルコから時差一時間分、西欧寄りの緩衝地帯とも言うべき、私にとっては初めての東欧です。欧州で最も美しい街の一つと言われながら、戦災等で、修復を重ねた不運な街。私たち日本人にはなかなか馴染みがありませんが、そこはかとなく遠い異国情緒を感じさせる街。
 Wikipediaによると、こんな具合いです。ハンガリーでは、かれこれ1000年前に王国が成立しました。300年の後に断絶し、選挙王制によって王位が継承されたのち、1526年にオスマン帝国の攻撃によって領土を失い、ほぼ時を同じくしてハプスブルク君主国の一部となりました。明治維新の頃、オーストリア=ハンガリー帝国の一翼を担う王国に位置づけられますが、1919年に再び崩壊し、1920年に新たな独立国として王国が成立した後、再び1946年に廃止されてしまいました。
 王宮は、1241年にモンゴル軍の攻撃で破壊されました。後に石造で再建され、更に14世紀にはゴシック様式の王宮に改造されましたが、17世紀にオスマン帝国軍の攻撃で破壊されました。18世紀にかけてハプスブルク家の支配下で再建され、バロック様式への改造が行われた後、19世紀半ばに発生した火災とその後の両大戦で大規模な被害を受けました。それでも修復を重ね、ついに1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として世界文化遺産に登録されました。現在は、ハンガリー国立美術館、プダペスト歴史博物館、軍事歴史博物館などが置かれてるそうです。
 先週金曜日の夕方、仕事を終えて夏時間でまだ明るい内に、市街に足を運び、そんな歴史の波に晒された王宮や、108年前に完成したゴシック・リヴァイヴァル建築の国会議事堂の界隈を散策しました。どんよりと濁って決して綺麗とは言えないドナウ川に沿って、趣のある街並みが続き、確かに美しい街であることを実感するとともに、東京は関東大震災や大東亜戦争で焼き尽くされて、街の歴史を失い、個性のない街になってしまっていることを残念に思いました。
 上の写真は、日本人がその名前から受ける印象とは程遠い、どんよりとしたドナウ川に、1873年にブダとペシュトの二つの町が合併して出来た“ブダペスト”の町の象徴として、かつての二つの町を繋ぐ鎖橋と、その先に実に荘厳な佇まいを見せる国会議事堂です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欧州紀行(中)イスタンブール

2012-07-25 23:27:08 | 永遠の旅人
 欧州紀行の続きです。
 ロンドンの後、トルコのイスタンブールに行きました。時差2時間、移動時間は4時間弱、欧州出張と言いながら、ここはもはや欧州ではなく、外務省は中東に区分しています。その外務省は、過去一年間、トルコでテロ事件が発生したことに伴い三回、地震発生で一回、性犯罪で一回の注意喚起を外務省ホームページにアップしており、今もなお、イラクとの国境付近は「渡航の是非を検討」するように促し、イスタンブールその他の地域でも「十分に注意」するように呼びかけている、そんな現実を抱えた国です。
 勿論、私にとっては初めての中東ですが、マレーシアで身近にムスリムに接し、日に五度、コーランを読む低い声を聞くとはなしに聞いていた私には、それほど違和感はありませんでした。むしろ、街並みも人々も、これが中東なのかと言われるとどうも典型的な中東ではなさそうであり、ではアジアかと言うと私の知っているアジアとは言い切れない、欧州のようでいて欧州でもない、そんな三つの地域の境界上の、どの地域とも言えるようでそのどれでもない不思議な無国籍な雰囲気を醸し出していることを、やや意外に感じました。
 実は、子供の頃、「飛んでイスタ~ンブ~ル~」と歌われのをよく聞いて、その(庄野真代さんだったと思いますが)歌声が耳に残る私は、その異国情緒を秘かに期待していたのです。古代のビザンティオンであり、コンスタンティノープルであって、かつてのローマ帝国や東ローマ帝国さらにはオスマン帝国の首都が置かれ、世界遺産に指定されている街です。実際に、図鑑でしか見たことがない赤いトルコの国旗がはためく姿を認めると、さすがにここまで来たのかという感動を覚えました。ところがどうしたことか(却ってその歴史的に世界性があったせいか)、確かにイスタンブールにいるはずなのに、一体、今、自分はどこにいるのか、時々、喪失感に見舞われ、戸惑いました。
 ただ、それはタクシーで街を通り抜けて遠目に眺めた軽い印象に過ぎず、ロンドンでもそうでしたが、いまどきの出張は、空港とホテルとオフィスをタクシーで移動するだけで、その土地の空気を存分に吸えるわけではありませんので、殆ど印象に残るような出来事も関心事もなかったと白状すべきかも知れません。
 唯一、街を歩いたのは、現地の人と一緒に昼食にケバブを食べに行った時でした(上の写真)。折しもラマダン(断食月)の前日で、お天道様がある内に食事が出来る最後の日だったのですが、彼らにとっては淡々と過ごす重要な恒例行事の一つに過ぎず、とりたてて感慨深いわけではなさそうでした。ケバブそのものは、くどいくらいに濃い味付けですが、レタスと玉ねぎの千切りが添えられて、ナンに似たパンに一緒に包んで食べると、まろやかになって美味くなるのは、なんとなくアジア的です。食後に飲んだ紅茶は、チャーイと呼ばれ、普通なら渋みが出る前に茶葉を取り出すものですが、ここではお構いなく、濃く煮出していて、砂糖を入れて多少は渋みをまろやかにして飲むものだそうです(話によると、好みに応じてお湯で薄めることもあるらしい)。もう少し滞在して、世界三大料理と呼ばれるトルコ料理を味わってみたいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする