月曜夜から金曜朝まで、北京と上海に出張していました。
若い頃の出張は、会社に財政的な余裕があり、かつ人材育成の見地から、数週間というスパンで放り出され、あるプロジェクト立ち上げなどのミッションを与えられて現地の人たちをサポートしつつ、場合によっては率先して汗を流しながら完遂する、時に遅延が生じて二週間が三週間になり、一ヶ月になるのが当たり前の、滞在型の出張が一般的でした。その場合、現地人との付き合いは濃くなり、いろいろなレストランに自ら足を運んで食事したり、週末は街を徘徊したりするなど、現地の懐に飛び込むことによって、異文化を自らの目と耳と肌で感じて事情通になることが出来ました。それも今となっては昔の話です。最近は財政的な余裕がなく、PEXよりも更に格安の航空券を探して、ガチガチの最低限の日程を組み、仕事柄、プロジェクトといっても進捗を確認するだけのピン・ポイントの出張となり、現地人とはある距離を置いた関係で、レストランも日本人の口に合うところが駐在員によって予め選ばれ、空港とホテルとオフィスの間をタクシーで往復するだけといった具合で、異文化体験の点でも、観光以下のレベルで、上っ面を撫でるだけの、物足りないものになりがちです。今回は、私にとって初めてのMainland Chinaで、いろいろ見て回りたかったのですが、北京に二日弱、上海に一日強、殆どオフィスに籠りっきりで、結局、私に出来ることは、オフィスやタクシーの窓から見ただけの中国の印象を素描するだけのことです。
初めて訪問する土地で、ちょっと張りつめていた気を許すことが出来る瞬間があります。例えばそれは空港で「味千」の看板を見つけた時であり(ご存じない方も多いと思いますが、アジア太平洋地域を中心に海外展開を進める熊本のラーメン屋さんで、私もペナンやシドニーでお世話になりました)、タクシーに乗って移動を始めて、トヨタやホンダなどの日本車が走っているのを認める時です(噂通りVolkswagenは目視でのシェアも高いですし、韓国車も健闘しています)。異国の地で日本ブランドを見つける・・・つまり同邦の人たちが頑張っていることを実感する時ほど、日本人として、また異国の地で仕事するにあたって、心強く感じるものはありません。
特に今回は、日本の資本が入ったホテルだったため、バス・トイレはTOTO製、部屋の空調はSANYO製、TVのスイッチを捻れば、公式のNHK衛星だけでなく、TVガイドでは空白になっているチャネルで多少映りは悪いけれどもWOWOWや民放を何社も拾っていて、一体自分はどこにいるのか、本当にここは北京なのかと錯覚するほどでしたが、そこまで行くとちょっと特別のことでしょう。
そういった日本の影響をどれだけ感じるかは別にして、開発独裁のアジアに似て、国の玄関口である空港は国の威信をかけて立派ですし、空港からホテル、さらにオフィスまでの道のりは、北京オリンピックを契機とした区画整理も恐らく手伝ってのことでしょう、高層ビルが立ち並び、その間を何車線もの高速道路が縫い、走っている車は意外にも新しいものが多くておんぼろは滅多に見かけず、一般道には予想外に自転車が少なくて(走っていても電池付き電動自転車が多く、こちらではEバイクと呼ぶらしい)、今なおナンバープレートの下一桁番号による交通制限を継続してもなお朝晩の通勤時間帯には渋滞するほど車が多い、アジアのどこかの大都市を思わせるような景観です。
私のような通りすがりには、日本のテレビ放送が天安門事件のことに触れると突然画面がブラック・アウトされるといったような管理社会であることが、一見、分からない、強いて挙げれば、出会う中国人に英語を話せる人が少ない、覇気が余り感じられない、「何でもあり」のような猥雑さが排除されているように感じられるといったような、ちょっと感覚的なところ、あるいはオフィスの隣にあるごく普通の外観の研究所が実はミサイルも開発しているなど、言われるまでは気が付かない、目に見えないところに、この特殊な国家の影が差しているようなのですが、飽くまでごく普通の、遅れてやって来た大都会といった風情ではあります。
上の写真は、北京オリンピックのメイン・スタジアムだった「鳥の巣」で、今は体育館として使われているようです。手前に見える高速道路の車も、チンケなものはありませんね。たまたまのようですが、曇り空で、まるで排ガスが充満しているかのような見通しの悪い二日間でした。
若い頃の出張は、会社に財政的な余裕があり、かつ人材育成の見地から、数週間というスパンで放り出され、あるプロジェクト立ち上げなどのミッションを与えられて現地の人たちをサポートしつつ、場合によっては率先して汗を流しながら完遂する、時に遅延が生じて二週間が三週間になり、一ヶ月になるのが当たり前の、滞在型の出張が一般的でした。その場合、現地人との付き合いは濃くなり、いろいろなレストランに自ら足を運んで食事したり、週末は街を徘徊したりするなど、現地の懐に飛び込むことによって、異文化を自らの目と耳と肌で感じて事情通になることが出来ました。それも今となっては昔の話です。最近は財政的な余裕がなく、PEXよりも更に格安の航空券を探して、ガチガチの最低限の日程を組み、仕事柄、プロジェクトといっても進捗を確認するだけのピン・ポイントの出張となり、現地人とはある距離を置いた関係で、レストランも日本人の口に合うところが駐在員によって予め選ばれ、空港とホテルとオフィスの間をタクシーで往復するだけといった具合で、異文化体験の点でも、観光以下のレベルで、上っ面を撫でるだけの、物足りないものになりがちです。今回は、私にとって初めてのMainland Chinaで、いろいろ見て回りたかったのですが、北京に二日弱、上海に一日強、殆どオフィスに籠りっきりで、結局、私に出来ることは、オフィスやタクシーの窓から見ただけの中国の印象を素描するだけのことです。
初めて訪問する土地で、ちょっと張りつめていた気を許すことが出来る瞬間があります。例えばそれは空港で「味千」の看板を見つけた時であり(ご存じない方も多いと思いますが、アジア太平洋地域を中心に海外展開を進める熊本のラーメン屋さんで、私もペナンやシドニーでお世話になりました)、タクシーに乗って移動を始めて、トヨタやホンダなどの日本車が走っているのを認める時です(噂通りVolkswagenは目視でのシェアも高いですし、韓国車も健闘しています)。異国の地で日本ブランドを見つける・・・つまり同邦の人たちが頑張っていることを実感する時ほど、日本人として、また異国の地で仕事するにあたって、心強く感じるものはありません。
特に今回は、日本の資本が入ったホテルだったため、バス・トイレはTOTO製、部屋の空調はSANYO製、TVのスイッチを捻れば、公式のNHK衛星だけでなく、TVガイドでは空白になっているチャネルで多少映りは悪いけれどもWOWOWや民放を何社も拾っていて、一体自分はどこにいるのか、本当にここは北京なのかと錯覚するほどでしたが、そこまで行くとちょっと特別のことでしょう。
そういった日本の影響をどれだけ感じるかは別にして、開発独裁のアジアに似て、国の玄関口である空港は国の威信をかけて立派ですし、空港からホテル、さらにオフィスまでの道のりは、北京オリンピックを契機とした区画整理も恐らく手伝ってのことでしょう、高層ビルが立ち並び、その間を何車線もの高速道路が縫い、走っている車は意外にも新しいものが多くておんぼろは滅多に見かけず、一般道には予想外に自転車が少なくて(走っていても電池付き電動自転車が多く、こちらではEバイクと呼ぶらしい)、今なおナンバープレートの下一桁番号による交通制限を継続してもなお朝晩の通勤時間帯には渋滞するほど車が多い、アジアのどこかの大都市を思わせるような景観です。
私のような通りすがりには、日本のテレビ放送が天安門事件のことに触れると突然画面がブラック・アウトされるといったような管理社会であることが、一見、分からない、強いて挙げれば、出会う中国人に英語を話せる人が少ない、覇気が余り感じられない、「何でもあり」のような猥雑さが排除されているように感じられるといったような、ちょっと感覚的なところ、あるいはオフィスの隣にあるごく普通の外観の研究所が実はミサイルも開発しているなど、言われるまでは気が付かない、目に見えないところに、この特殊な国家の影が差しているようなのですが、飽くまでごく普通の、遅れてやって来た大都会といった風情ではあります。
上の写真は、北京オリンピックのメイン・スタジアムだった「鳥の巣」で、今は体育館として使われているようです。手前に見える高速道路の車も、チンケなものはありませんね。たまたまのようですが、曇り空で、まるで排ガスが充満しているかのような見通しの悪い二日間でした。