哲学者の梅原猛さんが亡くなられた。享年93。
私がそれこそ学生の頃に親しんだ方なので、ご子息が、哲学者として天寿を全うしたと述べられたのも分かる大往生だと(一応は)思う。残念ながらご専門の西洋哲学ではなく、広く一般に親しまれている日本文化論の方を、私も楽しませて頂いた。
伝統的な日本の歴史学会は、中・高校生の歴史教科書からも類推できる通り(と言ってはなんだが)、どうも甚だ“進歩的”のようで、ただでさえ移り気で「面白さ」に敏感な若者がとても興味をもって根気よく取り組めるようなシロモノではなさそうだ(苦笑)。そうと知ったのは実はずっと後年のことで、当時の私はなかなか面白さを見出すことが出来ず、「暗記物は苦手」だと自らを恥じた。実は小学生の頃に考古学に惹かれたことがあって、高校2~3年の頃にも、担任(たまたま2年間も付き合った社会科のセンセイ)から、お前、大学で歴史(日本史)をやるつもりなら、世界史も分かってないとな、な~んて軽く言われて、私は昔懐かしい共通一次試験で迂闊にも日本史・世界史というヘビー級を選択してしまい、えらい苦労するハメになる(最終的に志望を文学部から法学部に変えたのに、面倒なので受験科目は変えなかったのは自業自得だが)。その後、大学生や社会人になって、専門外の方の、所謂StoryとしてのHistoryをお気楽に、例えば司馬遼太郎さんのような作家はもとより、英語学や西洋哲学といった歴史学者じゃない学者センセイが書かれた軽~い歴史の読み物を読むと、邪道だと言われようが、生き生きとしていて読むと興味も勇気も湧いてきて、どんどんハマって行ったものだった。学問の窮屈さと闊達さを同時に垣間見たような思いだった(などと偉そうなことを言うが、歴史学の専門家でもないので、漠然とした印象論=ただの偏見で、これ以上深入りしない)。梅原猛さんもその中のお一人だった。
前置きが長くなったが、梅原猛さんに関しては、原罪とも言えるような思い出がある。
高校一年だか二年のとき、学校に講演に来られたときのことである。別に卒業生だったわけでもなく、随分、渋い趣向の(今思うと天晴れな)行事だったと思う。確か「水底の歌」にからむお話を、緊張しつつもかしこまって興味深く聞いていたのだが、なんだか尻切れトンボのように話が終ってしまい、怪訝な気持ちでいたら、後で教師からさんざん絞られたところによると、どうも人の話を聞かないで所謂“内職”を始めた生徒があちらこちらに見えた(隠れて参考書を持ち込んでいた生徒が勉強を始めたことに気付いた)せいで、嫌気がさした梅原猛さんは体よく話を切り上げて帰ってしまったらしいのだ。ウソのような本当の話である。若気の至りとはいえ、私たちはなんと失礼なことをしてしまったのだろう!
それからと言うもの、梅原猛さんのお名前を拝見すると、別に私自身が悪かったわけではないのだが、連帯責任を感じて、胸が微かに疼くのを抑えることが出来ない。鬼籍に入られた梅原猛さんは、あのとき、馬鹿な学生どもがいたものだと、今となっては笑って済ませて下さるだろうか。是非、手土産でもぶら提げて確かめに伺いたいものだが、そんなことあったっけ!? なんじゃそりゃ!? と、興味なさげに、いや露骨に迷惑がられるだけのことなのだろう。私にとってはくよくよと忘れることが出来ない、青春時代の苦く切ない想い出なのだが(笑)。その懺悔の気持ちを込めて、ご冥福をお祈りし、合掌。
私がそれこそ学生の頃に親しんだ方なので、ご子息が、哲学者として天寿を全うしたと述べられたのも分かる大往生だと(一応は)思う。残念ながらご専門の西洋哲学ではなく、広く一般に親しまれている日本文化論の方を、私も楽しませて頂いた。
伝統的な日本の歴史学会は、中・高校生の歴史教科書からも類推できる通り(と言ってはなんだが)、どうも甚だ“進歩的”のようで、ただでさえ移り気で「面白さ」に敏感な若者がとても興味をもって根気よく取り組めるようなシロモノではなさそうだ(苦笑)。そうと知ったのは実はずっと後年のことで、当時の私はなかなか面白さを見出すことが出来ず、「暗記物は苦手」だと自らを恥じた。実は小学生の頃に考古学に惹かれたことがあって、高校2~3年の頃にも、担任(たまたま2年間も付き合った社会科のセンセイ)から、お前、大学で歴史(日本史)をやるつもりなら、世界史も分かってないとな、な~んて軽く言われて、私は昔懐かしい共通一次試験で迂闊にも日本史・世界史というヘビー級を選択してしまい、えらい苦労するハメになる(最終的に志望を文学部から法学部に変えたのに、面倒なので受験科目は変えなかったのは自業自得だが)。その後、大学生や社会人になって、専門外の方の、所謂StoryとしてのHistoryをお気楽に、例えば司馬遼太郎さんのような作家はもとより、英語学や西洋哲学といった歴史学者じゃない学者センセイが書かれた軽~い歴史の読み物を読むと、邪道だと言われようが、生き生きとしていて読むと興味も勇気も湧いてきて、どんどんハマって行ったものだった。学問の窮屈さと闊達さを同時に垣間見たような思いだった(などと偉そうなことを言うが、歴史学の専門家でもないので、漠然とした印象論=ただの偏見で、これ以上深入りしない)。梅原猛さんもその中のお一人だった。
前置きが長くなったが、梅原猛さんに関しては、原罪とも言えるような思い出がある。
高校一年だか二年のとき、学校に講演に来られたときのことである。別に卒業生だったわけでもなく、随分、渋い趣向の(今思うと天晴れな)行事だったと思う。確か「水底の歌」にからむお話を、緊張しつつもかしこまって興味深く聞いていたのだが、なんだか尻切れトンボのように話が終ってしまい、怪訝な気持ちでいたら、後で教師からさんざん絞られたところによると、どうも人の話を聞かないで所謂“内職”を始めた生徒があちらこちらに見えた(隠れて参考書を持ち込んでいた生徒が勉強を始めたことに気付いた)せいで、嫌気がさした梅原猛さんは体よく話を切り上げて帰ってしまったらしいのだ。ウソのような本当の話である。若気の至りとはいえ、私たちはなんと失礼なことをしてしまったのだろう!
それからと言うもの、梅原猛さんのお名前を拝見すると、別に私自身が悪かったわけではないのだが、連帯責任を感じて、胸が微かに疼くのを抑えることが出来ない。鬼籍に入られた梅原猛さんは、あのとき、馬鹿な学生どもがいたものだと、今となっては笑って済ませて下さるだろうか。是非、手土産でもぶら提げて確かめに伺いたいものだが、そんなことあったっけ!? なんじゃそりゃ!? と、興味なさげに、いや露骨に迷惑がられるだけのことなのだろう。私にとってはくよくよと忘れることが出来ない、青春時代の苦く切ない想い出なのだが(笑)。その懺悔の気持ちを込めて、ご冥福をお祈りし、合掌。