星野源さんが呼びかけて始まったコラボ動画に、安倍さんが自宅でくつろぐ姿を投稿して、叩かれた。もともと安倍さん嫌いの人にとっては、坊主憎けりゃ袈裟まで・・・の心境だろうが、「休業補償もなく休業要請された人はこんなに心にゆとりのある時間が持てるでしょうか」「意図はどうあれこのタイミングでこの動画をあげたらどう見られるか分かってないのかな」などといったネットユーザーの批判的な声を見ていると、行動自粛が長期化して、国民の間に相当不満が溜まっているのを感じる。某ビジネス雑誌のオンライン版でも、政権批判の記事が掲載されたところ、350件を超えるコメントが寄せられ(ということ自体が通常では考えられないレベル)、全部見ていられなかったが感覚的に95%以上が同調し、安倍さんをこき下ろしていたのには驚かされた。こういうご時世だから批判的な声ほど上がり易いということではあるのだろう。しかし、これは著名ビジネス誌であって、左派メディアではない。まるでこの機に乗じて中国の工作員に乗っ取られて攪乱・煽動されたかのような荒れ模様だった(実際にそういうことがあり得るかも知れない 苦笑)。
国民の不満は、政権への信頼が弱まっているために増幅されている側面があり、モリ・カケやサクラであれば政治はこれだからねえ・・・と諦める人も、自らの命に係ることには真剣にならざるを得ない。安倍さんのようなリーダーが確かな事実を、どのようにコミュニケートするかという問題(所謂リスク・コミュニケーション)が重要であるとともに、それがどのように報道されるかも重要だと思う。2つ例を挙げたい。
10日の世界保健機関(WHO)の記者会見に関して、共同通信は11日付の記事で、「患者2割のみ他人へ感染 ~日本の調査で判明とWHO」とタイトルして、「東京をはじめとした地域で、感染経路が判明していない例が多く発生していることについては『好ましくはない』としながらも、当局が諦めずに丹念に追跡を続けていることを高く評価した」と伝えた。私もYouTubeでWHOの記者会見(特にNHK記者の質問にWHO関係者が答える場面)を見たが、手短かに概ね公平にまとめられた記事だと思う。ところが当のNHKは、「WHO『日本は感染経路 分からないケース多い』 懸念示す」とタイトルし、ネガティブなところだけ切り取って、暗いトーンで伝えている。今、手綱を緩めてはいけないという善意の報道なのかも知れないが(そう思いたいが)、我慢している国民にとっては浮かばれない。
もう一つは、「感染者数」に関する報道だ。
前回ブログで取り上げたように、今回のコロナ禍の客観的状況を見るためには、検査方針や能力に顕著な相違がある以上、結局のところ関連死の数(正確には死亡率)を国別に比較するしかないように思う。それは、どの国にとっても、医療崩壊を招かないこと、すなわち守れるはずの命を守れる体制を維持することが目標だと思うからだ。そして日本はこれまでのところ、感染経路を徹底的に追跡してクラスターの芽を潰すという、検査数が少ないという意味では他国のやり方とは異なるものの、日本人ならではの職人技でなんとか対応してきた。先ほどのWHOの記者会見で評価されたところだ。ところがそれも一部地域で限界を超え、次のステージに移る必要があるというのが、緊急事態宣言だったのだろうと思う。
ところが、日々、我慢を続ける私たちの目に触れるのは、メディアが報じる「感染者数」だ。特にここ二週間ほどでメディアが伝える「感染者数」が急激に増え、「感染が広がっている」ことに危機感を覚える人が多かったのではないかと思う。それが昂じて、メディアも国民もこぞって「緊急事態宣言」が遅いと、非難の大合唱となった。実際のところ増えているのはPCR検査で陽性反応が出た人の数、すなわち感染者「確認」数であって、「感染者数」そのものではない。厚生労働省のデータによると・・・と言っても、「検査数」を時系列に追おうとすると、たとえば退院する人への確認検査も含めた検査「総」件数は一覧で示されるが、新たにPCR検査した人数となると、日々の報告値を拾っていかなければならず、意外に面倒だ(見落としているだけかも知れないが)。週末の件数などは月曜日に纏めて集計されていたり、千葉県が「件数」を報告していたとして「人数」に直すためにマイナス調整した日があったりするものだから、週という大括りで、大雑把に一日当たりの平均のPCR検査人数を計算すると、3月の間は1千前後だったのが最終週に1.4千となり、4月第一週は3千、第二週は5千と、着実に増えているようだ。これだけ「検査数」が増えれば感染者「確認」数も増えるのは当然である。そんなことは私がわざわざ指摘するまでもなく誰もが分かっていることだが、今、手綱を緩めてはいけないステージにあるという配慮からなのか、「検査数」への言及なしにただ「感染者(確認)数」が増えていると報じられると、煽られているような気がして良い気分ではない。
ただでさえ、日赤を語り医療崩壊を訴えるチェーンメールや(これも善意なのかも知れないし、善意を利用した愉快犯なのかも知れない)、SNS時代に玉石混交の二次・三次情報に接して、精神的に疲弊している。こうした危機のときこそ「確かな情報」の重要さを思う。
国民の不満は、政権への信頼が弱まっているために増幅されている側面があり、モリ・カケやサクラであれば政治はこれだからねえ・・・と諦める人も、自らの命に係ることには真剣にならざるを得ない。安倍さんのようなリーダーが確かな事実を、どのようにコミュニケートするかという問題(所謂リスク・コミュニケーション)が重要であるとともに、それがどのように報道されるかも重要だと思う。2つ例を挙げたい。
10日の世界保健機関(WHO)の記者会見に関して、共同通信は11日付の記事で、「患者2割のみ他人へ感染 ~日本の調査で判明とWHO」とタイトルして、「東京をはじめとした地域で、感染経路が判明していない例が多く発生していることについては『好ましくはない』としながらも、当局が諦めずに丹念に追跡を続けていることを高く評価した」と伝えた。私もYouTubeでWHOの記者会見(特にNHK記者の質問にWHO関係者が答える場面)を見たが、手短かに概ね公平にまとめられた記事だと思う。ところが当のNHKは、「WHO『日本は感染経路 分からないケース多い』 懸念示す」とタイトルし、ネガティブなところだけ切り取って、暗いトーンで伝えている。今、手綱を緩めてはいけないという善意の報道なのかも知れないが(そう思いたいが)、我慢している国民にとっては浮かばれない。
もう一つは、「感染者数」に関する報道だ。
前回ブログで取り上げたように、今回のコロナ禍の客観的状況を見るためには、検査方針や能力に顕著な相違がある以上、結局のところ関連死の数(正確には死亡率)を国別に比較するしかないように思う。それは、どの国にとっても、医療崩壊を招かないこと、すなわち守れるはずの命を守れる体制を維持することが目標だと思うからだ。そして日本はこれまでのところ、感染経路を徹底的に追跡してクラスターの芽を潰すという、検査数が少ないという意味では他国のやり方とは異なるものの、日本人ならではの職人技でなんとか対応してきた。先ほどのWHOの記者会見で評価されたところだ。ところがそれも一部地域で限界を超え、次のステージに移る必要があるというのが、緊急事態宣言だったのだろうと思う。
ところが、日々、我慢を続ける私たちの目に触れるのは、メディアが報じる「感染者数」だ。特にここ二週間ほどでメディアが伝える「感染者数」が急激に増え、「感染が広がっている」ことに危機感を覚える人が多かったのではないかと思う。それが昂じて、メディアも国民もこぞって「緊急事態宣言」が遅いと、非難の大合唱となった。実際のところ増えているのはPCR検査で陽性反応が出た人の数、すなわち感染者「確認」数であって、「感染者数」そのものではない。厚生労働省のデータによると・・・と言っても、「検査数」を時系列に追おうとすると、たとえば退院する人への確認検査も含めた検査「総」件数は一覧で示されるが、新たにPCR検査した人数となると、日々の報告値を拾っていかなければならず、意外に面倒だ(見落としているだけかも知れないが)。週末の件数などは月曜日に纏めて集計されていたり、千葉県が「件数」を報告していたとして「人数」に直すためにマイナス調整した日があったりするものだから、週という大括りで、大雑把に一日当たりの平均のPCR検査人数を計算すると、3月の間は1千前後だったのが最終週に1.4千となり、4月第一週は3千、第二週は5千と、着実に増えているようだ。これだけ「検査数」が増えれば感染者「確認」数も増えるのは当然である。そんなことは私がわざわざ指摘するまでもなく誰もが分かっていることだが、今、手綱を緩めてはいけないステージにあるという配慮からなのか、「検査数」への言及なしにただ「感染者(確認)数」が増えていると報じられると、煽られているような気がして良い気分ではない。
ただでさえ、日赤を語り医療崩壊を訴えるチェーンメールや(これも善意なのかも知れないし、善意を利用した愉快犯なのかも知れない)、SNS時代に玉石混交の二次・三次情報に接して、精神的に疲弊している。こうした危機のときこそ「確かな情報」の重要さを思う。