風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

政治とスポーツ

2021-12-11 11:52:14 | 時事放談
 巷では、来年2月に行われる北京オリンピックを、日本政府が外交ボイコットするかどうかが注目されている。
 既にアメリカに続いて、イギリス、カナダ、オーストラリアが、中国政府の(ウイグル、香港、女子テニス選手に係わる)人権問題を理由に外交的ボイコットに踏み切ることを表明した。ニュージーランドはパンデミックを主な理由に、政府関係者の派遣を見送ることを表明した。ここまではファイブ・アイズで、大陸ヨーロッパの動向が注目されるところ、先ずは2024年にパリ夏季オリンピックを控えるフランスは、外交的ボイコットのような対応は「効果が小さく、象徴的でしかない」と言い訳して一線を画し、2026年に次の冬季オリンピックを控えるイタリアはあっさりボイコットする予定はないと言った。いつもの興味深い地政学的色分けである。一方の中国は、人権侵害は事実ではないとして「根拠のない言い掛かり」に反発し、「スポーツの政治問題化」だと非難し、「間違った行動の代償を払うことになる」と報復を示唆して牽制する。これもまた判で押したような戦狼外交的反応で、オリンピックを成功裏に開催して(中国人民に対して)威信を示し、習近平氏三期目の足掛かりにしようと、むしろ自分たちこそが政治利用を企む中国だからこそ、口をついて出る言葉だろう。
 今朝の読売新聞オンラインなどの一部メディアは、日本政府の動向について、「閣僚など政府高官の派遣を見送る(東京オリパラ大会組織委員会の橋本聖子会長らの出席にとどめる)方向で調整に入った」と伝えた。人権重視の姿勢を示す岸田首相は、米中緊張下で、日本は尖閣問題を抱えて、来年の早い段階での訪米を検討中で、民主主義サミットがあったばかりで、アメリカなどと足並みを揃えないわけにはいかないだろう。東大の阿古智子教授は外交的ボイコットについて「日本が欧米に追随する必要はない。独自の考え方で政策を出していくべきだ」と言われたということは、反対なのかも知れないが、いずれにも理はあるにせよ、独自の判断で足並みを揃えればいい。さっさと表明すればいいのに、ぐずぐず頃合いを見計らっているものだから、来年、日中国交正常化50周年を控える重要な隣国の中国から、「中国が東京オリンピックを全力で支持したのだから、今度は日本が信義を示す番だ」などと情に訴えるレトリック(そのどこが全力で支持したのか不明だが 笑)で牽制される隙を与える始末となる。外交的に難しい判断だと思うが、第二次冷戦とまで言われる厳しい環境下で戦略正面にあたる日本は、かつての全方位外交の呪縛を逃れて是々非々で意思表示するドライな関係に持っていく方がよいのではないかと思う。
 振返れば、米ソ冷戦たけなわのモスクワ五輪(1980年)で、旧・ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、西側諸国は選手団を派遣しない全面ボイコットを実施した。
 折しも、先週・日曜日に開催された福岡国際マラソンは、今回を限りに幕を閉じたが、その長い歴史の中で、1979年大会はモスクワ五輪代表選考を兼ねた、特別に記憶に残る大会だった。私は子供の頃から何故かマラソンに惹かれ、小・中学生の分際で君原健二さんや宇佐美彰朗さんの自伝をむさぼり読むような酔狂ぶりで、彼らに続く瀬古利彦さんをテレビにかじりついて応援したものだ。その瀬古さんが、最も印象に残る大会としてこの1979年大会を挙げたのは当然であろう。私も今でもありありと思い出すが、マラソンでは異例とも言えるほどの、ゴールの競技場までもつれ込む宗兄弟とのデッドヒートは、語り草となっている。当時の瀬古さんは圧倒的な強さを誇り、金メダルは間違いなかったと思うが、ボイコットで泡と消えた。既に峠を過ぎた次のロサンゼルス五輪でもメダルの可能性がないわけではなかったが、モスクワの雪辱への思いが強過ぎたばかりに、無理を重ねて自滅した。柔道の山下泰裕さんも一つ年下の言わば同じボイコット世代で、同じような悔しさを味わったが、ロス五輪では劇的な金メダルを獲得したから、五輪ボイコットの悲劇のヒーローの第一は瀬古さんということになる。
 五輪の全面ボイコットなど、政治利用の最たるもので、まだ刺々しい時代のことではある。スポーツはおろか経済にしても、最近喧しい経済安全保障を引くまでもなく、「神の見えざる手」を唱えたアダム・スミスですら経済より安全(保障、つまり政治)が優先すると説いたほどの、生々しいホンネの世界だ。その後、人類は本当に賢明になったのかどうか分からないが、表面上は、まがりなりにも(クラウゼヴィッツが政治の延長と言った)戦争すら違法化の歴史を重ね、その先に現れた最近の優しい時代のポリティカル・コレクトネスの装いは、ここでも影響しているようだ。外交的ボイコットは象徴的な意味合いしかない妥協の産物だが、間違いなく一つの知恵である。再び米中の第二次冷戦とも言われる刺々しい時代に入り、それでも良い時代になったと、瀬古さんが一番感じていることだろう。
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