風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2022回顧②白紙運動

2023-01-03 11:29:05 | 時事放談

 11月末に、中国の学生さんたちがゼロコロナに堪え切れずに立ち上がった。三期目続投を決めた習近平政権にとっては過去10年で初めてのことで、これほどの大掛かりな政治デモは天安門事件以来とも言われ、その対応が注目された。

 天安門事件では人民解放軍が出動し、その名に恥じて、人民を踏みにじって、やっぱり党の軍隊に過ぎないことを露呈した。当時、世界中から非難を浴びた反省もあるのだろう、あれから33年余りを経て、IT技術の進歩はすさまじく、当時のように露骨に武力で制圧するのではなく、街中に設置された監視カメラやネット検閲によって、密かに主要人物に警告し場合によっては拘束するなど、圧力をかけるのも巧妙化しているようだ。

 おまけに驚いたことに、12月7日にはゼロコロナ政策の緩和に踏み切った。メンツを大切にする中国で、とりわけ統治の正当性を最重視する共産党に誤謬があってはならないはずだが、どうやらゼロコロナ政策そのものが撤回されたわけではなさそうだ。今、中国で流行しているウイルスは、感染力は強いが弱毒性のオミクロン株BF.7という系統で、都市封鎖された上海で広がっていたBA.5系統と違って重症化せずに軽症で済むため、「中国は率先して状況に応じて防疫措置を最適化し(中略)新しいコロナウイルス感染を『乙類甲管』から『乙類乙管』に移行させ、重点を感染予防・抑制から重症化予防・健康管理へと徐々に移しています。これは科学的かつ(ウイルスの変化と感染状況に沿った)臨機応変の対応で必要なことです。」と強弁した(12月28日の外交部定例記者会見)。言い換えると、習近平政権は、一見すると、学生さんたちに迎合したように見えるが、その実、ゼロコロナ政策を続けることによる経済低迷のダメージと、ゼロコロナを止めて経済を回復させるために人民に集団免疫をつけさせるには一時的に混乱するであろうダメージとを比較衡量して、後者、すなわち経済回復を選択したということだ。言わばショック療法で、学生さんたちに対抗したとも言えるし、タイミングがたまたま合致しただけで、学生さんたちの運動を政策転換に利用したとも言える。

 もとより習近平政権が勝算のない賭けに出たとは考え辛い。

 世間では、中国製の不活化ワクチンは欧米製のmRNAワクチンより効果が劣るとか(オミクロン株対応でもないらしい)、高齢者の接種率が低いと言われ、中国の医療体制が貧弱なままゼロコロナ解除に踏み切って、この年末にかけて、案の定、医療崩壊して路上で点滴を受けたり、火葬待ちで車の長蛇の列ができたり、日本の薬局で風邪薬の爆買いが起こったりしている報道が溢れた。1月22日には春節の民族大移動が始まり、感染のピークを迎えるとも言われる。果たして、習近平政権にとって想定の範囲内のダメージで済むのかどうかは評価不能とするために、情報統制に踏み切った。12月14日に、無症状感染者数の公表を停止し(大規模なPCR検査を止めたことにより人数把握が不能なため)、20日に、明確なコロナ感染による肺炎や呼吸不全以外は関連死に含めないという基準を決め、25日に、新規感染者数の発表すら行わないことを決めた。このあたりの、(ゼロコロナという)極端から(さしたる準備もなく解禁するという)極端に走り、かつ誤謬を許さない(世間にそれと評価させない)情報統制までやってのけるという強権発動こそ、中国共産党の本領であろう。

 ところで、ウクライナ戦争では、クラウゼヴィッツの「三位一体」論を思い出した。近代国家間の戦争とは、「政策を追求する国家」「それを実行する軍隊」「熱狂的に戦争を支持する国民」が三位一体となったものだという。実際にクラウゼヴィッツが間近に見たナポレオン戦争が強かったのは、それまでの職業的常備軍と違って、国民としての自覚を持ったフランス大衆が国家の危機を自らの危機と認識し、強制によってではなく自らの意志で主体的に祖国防衛に参加するようになったところにあった。それは両大戦に引き継がれ、全ての国民や社会全体を巻き込んだ総力戦が現出した。「三位一体」の「国民」に着目すると、此度のウクライナでは、ナショナリズムに燃えた「国民」から高過ぎるほどの支持があって、もはや安易に妥協することが許されず、さりとてロシアには「国民」が不在で、プーチンの威信を止めることが出来ないでいる。結果として、ウクライナとロシアは交渉に入れないまま、間もなく二年目を迎えようとしている。

 このように、ロシアでは20年余りにわたるプーチン政権の間に、元KGBのプーチンとその取り巻きが統治するマフィア国家となり、中国では70年余りにわたり、共産党という、かつての軍閥の一つが国家を乗っ取って社会統制を強めて来た。いずれにあっても、欧米で言われるところの「国民」は存在せず(因みに中国では「人民」と言う)、自由よりも強権による安定を志向する警察国家である点が共通するのは、かつてモンゴルなどの草原の民によって簒奪された大陸国家の悲哀であろうか。

 それでも、中国の学生さんなど、若者たちはVPN接続によって外の情報に触れていると言われる。そして、強固に統制された警察国家の故に、証拠にされる文言を避け、抗議のシンボルとして「白紙」を掲げた。かつて東欧に見られたカラー革命を連想させて興味深い。因みにロシアでは、2015年の国家安全保障戦略で、次のように述べており、NATO東方拡大は方便に過ぎなくて、プーチンはカラー革命をこそ恐れているのではないかと思わせる。これは習近平の中国でも同じだろう。

 「ロシアと西側の間で現在生じている緊張関係は、内政や対外政策で自律的な道を歩もうとする前者を後者が抑え込もうとしていることに根本的な原因がある。そしてこのような抑え込み政策の手段として、西側は軍事的手段だけでなく、政治・経済・情報などあらゆる手段を用いている」(小泉悠氏『現代ロシアの軍事戦略』より)

 ここに言うハイブリッド戦は、まさに自分(=マフィアや軍閥)がやるから相手(=西側)もやるだろうという猜疑心から生まれている。主権は国民にあって、選挙を通して負託を受けて政治が行われる民主主義社会の一員としては、警察国家と一緒にして欲しくない(まあ、何がしかのカネとクチ=アドバイスは西側から出ているようだが)。逆に言うと、そこ、すなわち統治の脆弱性にこそ、中国やロシアの決定的な弱点がある。

 そうは言っても、香港の民主化デモでも見られたという「白紙運動」は、上に政策あれば、下に対策あり、と言われる中国らしいエスプリが込められるが、ある種の諦めも見て取れなくもない。それが中国4000年とは言わないまでも、秦以来2000年の歴史の中で繰り返されて来た「革命」の火種となるかと言うと、その強固な警察国家の故に、甚だ心許ない。当面は、この感染拡大の成り行きを、警戒しながら辛抱強く見守りたい。

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