個人的には、2月24日に加え、7月8日という日付も忘れることが出来ない。Wikipediaでは「安倍晋三 銃撃事件」と命名された。この事件を知ったときの、昼食時の会社の食堂という場所だけでなく、コロナ禍で時間をずらして黙食が奨励されてまばらなはずの食堂のテレビの前の一角にやたら社員が居残り、どこか沈んだ空気に包まれていて、私も着席してテレビ画面に何気なく目をやって一瞬にして凍り付いた、その状況までもが鮮明に記憶に残り、つい昨日のことのように思い出される。
去る者は日々に疎し、と言うが、その後、間延びした国葬儀に至るまでの政治を取り巻く社会状況は、日本らしくない、と言うよりも、安倍氏亡きあとも安倍長期政権によって進んだ社会的分断あるいは安倍氏への憎悪が極限にまで達して、如何にも、と言うべきかもしれない。コロナ禍でストレスが溜まって増幅されていたのかも知れないが、正直なところ醜くて正視に堪えなかった。反論は歓迎するが、憎悪には辟易する。国葬儀に抗議するために招待状をアップして欠席を表明した著名人は「見苦しかった」。「正義」を常に訴える存在であるはずの市民運動家は、安倍は殺されて当然とまで言い放った。もはや論理ではなくて生理である。
政治状況に関して言うと、安倍政権以来、たとえば集団的自衛権の限定行使容認などを捉えて、国会での審議もなく閣議決定されてよいのかとか、議論が尽くされていないとか、国民の理解が得られていないとか、説明が足りないといった批判が多くなった気がする。実際には、集団的自衛権の限定行使容認などを巡って、かなりの時間が費やされているのだが、お世辞にも生産的な議論が行われたとは言えない。これには、自民党にも無論責任があるが、むしろ良い質問や厳しい追及が出来なかった野党の責任こそが重いと考えられることからすると、ためにする批判と言うべきではないか。そういう意味でも、これらは論理ではなく生理、生理的反応だと見做せるかも知れない。
かつてトクヴィル(1805~59年)は、民主制のことを多数派による専制と呼んで警戒した。フランス革命の急進主義がヨーロッパ全土を巻き込んで荒廃に至らしめ、王政に復帰した時代の、貴族の生まれである彼の偽らざる心情であろう。ノブレス・オブリージュという自負の表れと言うべきかも知れない。同時に彼は、アメリカを旅して、ローカル・コミュニティにおける自治の可能性にも注目し、今に読み継がれる『アメリアのデモクラシー』(1835及び1840年)をものした。もともとの民主制は、古代のアテネにしても、中世イタリアの都市国家にしても、統治規模は小さかった。ルソー(1712~78年)は、全ての人間に自由が保障されるような政体の建設を夢想し、僅か広島県ほどの面積でしかないコルシカが先陣を切り、そうした理想的政体を樹立するよう期待した。宗主ジェノヴァ共和国に対して、農牧民を主力とするコルシカ独立戦争またはコルシカ革命と呼ばれる武装反乱が1729年に発生し、1755年に独自の憲法を布告するまでに至っていたからだ。「ルソーはそのアイディアを古代都市国家から引き出し」ており、「大衆による統治はある限られた地域と人口の国においてのみ有効なのであって、18世紀中葉の広大なヨーロッパにおいて、フランスのような大国に適用されるべきだとは決して言わなかった」(杉本淑彦氏による)という。
翻って現代の私たちは、代議制により、高度な産業社会にあっても、専門的であるべき官僚制を基礎にした国家レベルの民主制を実践している(その意味では、同じ民主制でも、都市国家で実践された直接民主制とは似て非なるものと言う専門家もいる)。古代アテネでは、なんとクジ引きこそ「民主的」であり、選挙は党派的であるとして嫌われたのだったが、現代の私たちは、主権者たる国民の代表を選ぶのに選挙制度を採用し、過ぎたる党派性に悩まされる。アベガーと言われる人たちは、安倍長期政権を多数派の専制と呼ぶに違いないが、平等という大義のもとに少数派の横暴もあり得ることには気付かない。
更に言うと、最近はポピュリズムを大衆迎合主義などと訳すが、学生時代には「衆愚政治」と教わった。国家の主権者たる衆を「愚」と呼んではいけないようだ。これもポリコレ全盛の時代の言葉狩りの一種だろうか(ついでに思いつくままに、例えば発展途上国という呼称だって、発展を是とするようで何だか鼻白むが、ありのまま後進国と呼んではいけないようだ。片手落ち、なども禁止用語になった。不自由な時代である)。そういう点からも、民主政治は絶対善ではないし、逆に王政も絶対悪ではなく、民意を汲んで自由が尊ばれるならば王政や貴族政であっても善政があり得ることも教わった。主権行使の形態はともかくとして、主権行使のありようこそが問題とされるべきなのだろう。
と、かつてチャーチルが「民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。 これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」と揶揄したように、リベラルな方々が何かと絶対視する民主制を相対化したところで、昨今の政治状況の話に戻ると、論理ではなく生理によって支配された感なきにしもあらず、であって、憂いを感じないわけには行かない。論理を経た上での生理だとする反論が返って来そうだが、どうも論理のない生理だと、違和感を覚えないわけには行かない。
安倍氏を巡っては、内政とりわけ経済の成長戦略は不発で、大いに不満が残るが、外交・安全保障政策は評価している、とは本ブログでも繰り返し述べて来た。この外交・安全保障政策は、党派を超えて国家として一貫性があってこそ諸外国から信頼され安心されるのが一般的だが、日本の場合はどうもコップの中の争い、所謂党派争いに巻き込まれて翻弄されるか(例えば冷戦時代に社会党が非武装中立論なんぞを唱えたように)、選挙で票にならないから真面目に扱われない(ばかりに不勉強な政治家が多く、これもポピュリズムの成れの果てであろう、そういう人たちに説明が足りないと言われても、何をかいわんや、であろう)か、実に無残な扱いを受けて来た。それが安倍氏に対する世間の評価にも繋がっている。そして、その後の政治状況、とりわけ「人の話をよく聞く」政治の頼りなさを思うにつけ、政治信念や志ある政治家であることにこそ、実は私は安倍氏を評価していたのではないかと思うようになった(まあ、アベガーと言われる人たちは、誤った信念と言いたいかも知れない 笑)。それだけに時間が経つにつれて、なおのこと、政治家・安倍晋三ロス・・・喪失感をしみじみ感じる今日この頃である。
エッセイストとして、かつては山本夏彦氏や谷沢永一氏を、今は塩野七生さんを愛読している。その塩野さんが、『誰が国家を殺すのか』という些か挑発的なタイトルの(最新の)新書の後書きで、安倍氏の死を悼んでおられる。
(引用)人間とは何か大事を行うとき、その動機が私的か公的かにかかわらず、自分の行動には必ず誰かが賛成してくれるにちがいないと思えるからできる、という一面がある。完全に孤立して誰一人賛成してくれないと思うとき、人間はなかなかそれに踏み切れない。 政治家にかぎらず何らかの権力を持っていた人には、必ず敵がいるものだ。何かをやったから、その当人を排除する考えも出てくるのだから。この論理だと、権力を持っていながら何事もやらなかった人ほど、寝床の上で自然死を迎える率が高くなる、ということになる。安倍元首相の殺害事件を知って、暗殺された権力者たちの列伝を書いてみたら、と思った。もはや体力がなくて、想いだけで終わるであろうけれど。(引用おわり)
以て瞑すべし、であろう。この私の反応も論理ではなく生理かも知れない(笑)