台湾で頼清徳氏が新総統に就任することに決まってから、どんな就任演説をするか注目された。
前総統の蔡英文さんは、就任演説で「中台関係」や「中国」を表現する際、「両岸関係」や「対岸」など、今から思えば穏やかな言葉を使ったが、頼清徳氏は「中国」で通したそうだ。中台が「一つの中国」原則を確認したと中国が主張する「1992年コンセンサス」には全く言及せず、この5000字余りの演説の中で、「中華民国」という呼び名を9回、「中華民国台湾」を3回繰り返したそうだ。さすが筋金入りの独立派で、確信犯である。
これを息を殺して見ていた中国が面白かろうはずはない。早速、人民解放軍を派遣して威圧して見せる、いつもの嫌がらせをした。
全体として、「独立」そのものは封印したものの、台湾における台湾アイデンティティの高まりを捉えて現状維持を主張するという、彼としては抑制気味ながらも、彼自身のアイデンティティを支持する人にもぎりぎり応える内容だったように思う。その上で、頼氏は「中国からの様々な威嚇や浸透工作」に対処するため、国防力を強化し、経済安全保障を構築して、「世界の民主主義国家」と連携を進める考えを示した。
ウクライナ情勢は、ユーラシア大陸の東端の台湾にも影を落とす。ウクライナ制圧というプーチンの妄動を易々と許すならば、習近平をも台湾制圧へと駆り立てると言われて来た。ロシアと地続きのウクライナと違って、台湾島を軍事制圧するのはそれほど簡単ではなさそうで、余程の覚悟が要りそうだが、やや手垢に塗れたと言えるかもしれないハイブリッド戦ならお手軽で、既に始まっている。そして、プーチンの非道に立ち向かうウクライナ国民を、NATOを始めとする自由民主主義諸国が支える構図に乗じて、頼清徳氏も自由民主主義諸国への働きかけを強めて行く。
話は変わるが、最近、宋美麗の伝記を読んだ。悪名高い?宋三姉妹の三女で、蒋介石に嫁いだ。因みに次女は孫文に嫁ぎ、長女は財閥に嫁いだ(長女の旦那は中華民国の行政院長(NO.2)にも就いた)。20世紀前半の中国で栄華を極め、中国の運命を左右したと言われるファミリーである。混乱を極めた当時、10%をピンハネするだけでも莫大である。1949年に大陸を追い出された蒋介石に対してアメリカが冷たかったのは腐敗が酷かったからだと言われるのも分かる気がする。習近平は権力闘争で反腐敗を旗印にしたが、このあたりは東洋的専制の体質だろう。
それはともかく、宋美麗はアメリカ留学経験があり、南部訛りの流暢な英語を操り、蒋介石が軍人あがりで、さばけた人ではなかったので、彼女が蒋介石の通訳をしたり、アメリカ・メディアのインタビューを受けたり、寄稿したりして、アメリカ世論に多大な影響を与えたと言われる。ルーズベルト大統領夫人に取り入り、米国史上、議会演説した外国人女性としてはオランダ女王に次ぐ二人目で、全米にラジオ放送され、また、タイム誌の表紙には、1927年に蒋介石と結婚した時の顔写真が掲載されて以来、1955年までの28年間に、二人の写真が実に11回、宋美麗単独では4回も掲載されたらしい(譚璐美著『宋美麗秘録』より)。日本はついぞ大陸の戦闘で中国に負けたことはなかったが、世論戦で負けたとも言える。
今も東アジアで行われているのは、世論戦を含む認知戦である。GDP比2%の軍事費も重要だが、私たちに認知戦への備えは出来ているだろうか。