風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

イチローの米国野球殿堂入り

2025-01-27 00:31:01 | スポーツ・芸能好き

 イチローがアジア人として初めて「殿堂入り」を果たした。アジア人として、とは何とも奇妙な形容だが、移民社会とは言え人種差別が絶えないアメリカで、白人・黒人・ヒスパニック系が多く活躍する野球を国技とするアメリカの、野球の聖地であるニューヨーク州クーパーズタウンのアメリカ野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum, HOF)に、はるばる太平洋を越えて初めて「殿堂入り」したのだ(ビジネスに身を置く私に“アジア人”は、アジアで地盤沈下が続く日本の卑屈さが伝わって、当初、拒絶感があったが 笑)。日本人としてこれほど名誉なことはない。報道記事を渉猟しながら、何度、目頭を熱くしたことだろう(爆)。黒人リーグ野球博物館長は、「黒人初の大リーガーになったジャッキー・ロビンソンは、失敗すれば黒人リーグが否定される責任を背負っていた。イチローも日本の野球に対する懐疑的な見方を覆した」「二人は失敗を許されなかった。逆境をはね返し、その誇りを共有している」と、イチローの殿堂入りを祝福してくれた。

 昨日、同博物館で行われた記者会見では、イチローが敬意を払う博物館に8度目の訪問にして「ホール・オブ・フェーマーとして戻って来られたこと、大変光栄に思う」と喜びを語った。

 振り返れば、メジャーでMVP、首位打者、年間最多安打、10年連続200安打、通算3000安打など数々の金字塔を打ち立てただけでなく、そもそもイチローがメジャーデビューしたのは27歳の時で、そこから3089本もの安打を積み重ねたのは驚異的で、更に野球ファンとして言わせてもらえば、足があるから単打で出塁しても得点圏に塁を進めて長打並みになり、守備ではレーザービームと呼ばれた美技が試合の流れを変えるほどのインパクトがあり、野球のスリリングな醍醐味を味わわせてくれたのだ。「殿堂入り」は当然視され、マリアノ・リベラに続いて二人目、野手として初めての「満場一致」さえ期待されたが、デレク・ジーターと同様、400前後とされる投票で1票足りなかった。選考対象はMLBで10年以上プレーした選手の内、引退後5年以上が経過した選手で、かつて日本人対象者が二人いて、野茂(英雄)は2014年に1.1%の6票、松井(秀喜)は2018年に0.9%の4票にとどまり、5%に届かずに僅か一年でリストから消えた(得票率5%を超えると次年度の審査・選考に持ち越され、10回目(2014年までは15回目)までに75%の得票が得られなければ11回目からは候補から外される ~Wikipedia)。メジャーで活躍するだけでも偉業で、殿堂入りすれば言葉に困るほどの偉業なのに、イチローは資格取得一年目に99.7%の高得票率で易々と達成したのだ。かねてイチローの記録は長打力重視のアメリカ野球で過小評価されてきたし、インタビューの気難しさを根に持つ記者がいてもおかしくないし、アジア人を嫌う人だっているだろう。松井は「日本の野球にとっても歴史的な日になったと思う」と讃え、本人は「1票足りないというのは、すごく良かった」「しかも、(デレク・)ジーターと一緒ですから」と、イチローらしく前向きに捉えた。

 「足りないものを、これって補いようがないんですけど、努力とか、そういうことじゃないからね。ですけど、いろんなことが足りない、人って。それを自分なりに、自分なりの完璧を追い求めて、進んでいくのが人生だと思うんですよね。これとそれは、別の話なんですけど、やっぱ不完全であるというのは、いいなあって。生きていく上で、不完全だから進むことができるわけで、そういうことを改めて考えさせられるというか、見つめ合えるというか、そこに向き合えるというのは良かったなと思います」(本人談)

 トヨタは、会長付特別補佐に就任しているイチローを祝福する全面広告を日経などの主要紙に出した。「業務内外を問わず全国規模の受賞の場合、所属の本部長より表彰」「ねぎらいとして表彰状と商品券3万円分を渡す」というしょっぱい規定だが、規定は規定として、「出社するときに上司である私から表彰状と3万円分の商品券を渡します」と告げ、「私も一応“会長”ですから」と、あらためてさらなる報奨を人事部と相談するとしつつ、「でもトヨタはケチな会社なので実現できても現物支給かな…イチローさんにふさわしい”世紀の現物支給”を考えておきます」「次に出社する日を連絡ください」と呼び掛けた。「世紀」なので、トヨタの最高級車「センチュリー」で、2023年に発売されたSUVタイプ(価格25百万円~)ではないかと噂されている。結果として日本ブランドを高めただけでなく、その過程で一途に品質を極めて来たイチローへの共感と敬意の表れだろう。

 Google Mapによれば、かつてボストン郊外に住んでいた家からアメリカ野球殿堂博物館まで238マイル(383km)、ほぼ真西に車で4時間弱の行程で、駐在員仲間で高校時代に野球部だった知人は訪れたが、小学校のクラスメートとチームを作ってリトルリーグを相手に遊んでいた程度の私には縁遠い存在だった。西海岸に引っ越してから、ブリュワーズ時代の野茂を、サンフランシスコの旧名キャンドルステック・パーク(3Comパーク)で応援したことがある。この球場は野茂がデビュー戦を飾ったところでもあり、その試合は村上雅則氏の解説によって日本で衛星放映され、その村上氏もまた35年前に日本人初のメジャーリーガーとしてこの球場で活躍していたご縁がある。当時はマーク・マグワイアとサミー・ソーサの本塁打争いが話題となり、イチローがデビューした2001年にはバリー・ボンズがシーズン73本の本塁打記録を打ち立てるなど、大味な印象がある。そんな中でイチローの野球は良くも悪くも注目を集めた。残念ながらナマで見たことはなかったが、イチローの一挙手一投足をリアルタイムで追うことが出来た幸運を思う。

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