風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ウクライナの行方

2025-03-01 10:13:04 | 時事放談

 トランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領との会談は不調に終わったようだ。トランプ氏は米国の軍事支援について「もっと感謝すべきだ」と不満を示し、ウクライナは和平交渉の「カード」を持っていないと述べたと伝えられる(読売新聞による)。ディール・メーカーの面目である(が、純粋なディールを外交に持ち込むなんざあ、誰が予想しただろうか 笑)。アメリカと欧州・ウクライナの間の不協和音を聞いていた人は、ある程度予想されたことと冷静に受け止めているだろう。最近のトランプ大統領はすっかりロシア寄りになったかのように報道されているせいだ。だが、ある人は、ロシア寄りなのではない、アメリカ寄りなだけだと言った。ちょっと衒学ぶった迷い言だが、至言だと思う。そこは1ミリたりともブレていないと思う。

 トランプ大統領がロシアの侵略を否定するような不規則発言をし、ゼレンスキー氏がトランプ氏はロシアが支配する「偽の情報空間」に生きていると返すと、トランプ氏はゼレンスキー氏のことを「選挙のない独裁者」呼ばわりして非難した。すっかり独裁者のように振る舞うトランプ氏からそのように呼ばれる筋合いはないと思うが(笑)、憂慮した欧州首脳のマクロン仏大統領やスターマー英首相が相次いでトランプ氏説得のために訪問した後、ゼレンスキー氏のことをまだ「独裁者」だと思っているのか尋ねられたトランプ氏は、「自分がそんなことを言った? 自分がそんなことを言ったとは信じられない」と応じたそうだ(BBCによる)。それで、冒頭の決裂に至るわけだが、相変わらずトランプ氏らしさが炸裂し、メディアを筆頭に私たちは振り回されている(笑)。

 学生時代に、ローマ法の講義を、ローマ法とはなんとマニアックなと思われるかもしれないが、半分以上は比較法にまつわる話だったので、面白がって聴講していた。数十年経ってなお記憶にあるのは、欧米人は100対100から交渉を始めて50対50で妥結するのに対して、日本人は0対0から交渉を始めて50対50で妥結するという比喩だった。本当はもっと緻密な議論だったのが経年劣化して単純化されているかもしれないが、伝統的な日本人の奥床しさとして、大筋、納得できるのではないかと思う。今の日本人は変わってしまったかもしれないが、少なくとも欧米人に関しては、その後のサラリーマン人生で欧米人と付き合うときには、忘れずに心の片隅に留めていたものだ。

 トランプ氏の交渉でも、同じことが言えるだろう。本当は50を望みながら、100どころか150とか200をぶちかましているのではないだろうか。そして150とか200がさも望んでいることだと言わんばかりに報道され拡散されている。実際には、本格的な交渉が始まったわけではなく、むしろプーチンを交渉の席に引っ張り出すために甘言を弄しているだけと見るのが妥当だろう。これは、ウクライナのゼレンスキー側に立つバイデン前政権には出来なかったことだ。君子は豹変する。君子とは到底言えないトランプ氏は見境いなく不規則に豹変する。

 そんなトランプ氏の発言の中に真実があるとすれば、これまで同盟国たる西欧諸国や日本がそれぞれ十分な役割(責任の分担)を果たすことなくアメリカが提供する安全保障にすっかり甘えて来たという事実だろう。そしてトランプ政権はウクライナを見捨てるのではなく欧州に応分の負担を求め、自らは中国にフォーカスするのだろう。以前、ブログ「あるリアリストのグランド・ストラテジー」で示されたように、そのために「反覇権連合(anti-hegemonic coalition)」なる同盟関係が必要になる、これは必ずしも「反中連合」である必要はなく、飽くまで「中国の覇権に反対する」意味であって、同盟に参加するのは、自由主義の日本であれ、共産主義のベトナムであれ、東南アジアの中のイスラム教政権であれ、政権の性質に関係がなく、とにかく中国の支配下で生きたくないのであれば、中国が意志を押し付けるのを阻止するべく、協力する、ということだろう。かつてキッシンジャー博士がリアリズムの観点から旧ソ連を包囲するため共産主義の中国と手を結んだように、今、中国を包囲するために権威主義のロシアと手を結ぼう、少なくとも中国とロシアの結託を、それが心から気を許しあったものではないにしても、防ごうとしているのではないかと思う。それは必ずしも1938年のミュンヘン会議でヒットラーに宥和的だったためにその後の増長を招いたというようなものではないだろう。そうだとしても、戦後秩序の基盤として培われて来たリベラリズム、すなわち法の支配や自由を揺るがしかねない危機的な状況であることに変わりはない。

 トランプ1.0の米朝交渉は肩透かしに終わったが、今回の米露交渉は大統領選で一種の公約であるかのように豪語していたものであり、トランプ氏の意欲は十分だ。歴史に残るであろう今後の交渉を興味深く見守りたい。

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