シンガポールの「建国の父」リー・クアンユー氏が3月23日に亡くなりました。享年91。私がマレーシアに駐在していたとき、彼は、マレーシアのマハティール元首相とともに、アジアを代表する政治家として並び称せられ、とりわけ、1959年にシンガポールが英国から自治を認められたときに35歳で首相に就任してから、1990年に首相の座をゴー・チョクトン氏に譲るまで31年間、さらにその後も政権内で上級相、続いて顧問相に就き、陰の実力者として影響力を及ぼし続け、その息の長い政治家人生は、「妖怪」の尊称を付けられて恐れられたものでした。
彼の功績は、およそ先進国は高緯度に分布するという常識を打ち破り、東南アジアの赤道直下にありながら、先進国並みの経済成長を成し遂げたことにあります。1965年にマレー連邦から追放される形で独立した直後の国民一人当たりGDPは僅かに500ドルでしたが、首相退任時には5万ドルと、都市国家という特殊要因があるとはいえ日本を凌ぐまでに引き上げることに成功したのは特筆すべきことです。かつて、ニクソン元米大統領は、彼のことを「小さな舞台に立つ大きな男」と評し、「生まれた時代と場所が異なっていれば、チャーチルやディズレーリ、グラッドストーンに匹敵する世界的評価を得ていたかもしれない」と語ったそうです。
その奇跡の裏には独特の統治手法があり、多民族国家で東南アジア的な政治的不安定さを嫌った彼は、西欧的なリベラル民主主義の考え方はアジア社会には不向きだと切り捨て、言論統制や衆人監視など国民の自由を制限する一方で、政治家や官僚の給与を高所得者並みに手厚くして腐敗を徹底的に根絶することにも成功し、こうして獲得し得た政治的安定を背景に、経済開発に邁進することが出来たのでした。所謂アジア的開発独裁の典型と称えられますが、「明るい北朝鮮」と揶揄される国柄は、功罪相半ばするところだろうと思います。
しかし、アラブの春ではっきりしたように、政治的自由より政治的安定が望ましい国が世界にはまだ多いのが厳然たる現実であり、シンガポールの奇跡は、権威的資本主義のパイオニアとして、中国やロシアや湾岸諸国などに影響を与えました。中でも、中国共産党の指導者たちは、小平氏が伝統的な毛沢東主義を放棄し、改革開放に舵を切って以来、「管理された民主主義」「慈悲深い独裁」というシンガポール・モデルに魅了されてきたと言われ、大勢の中国共産党幹部が、毎年、視察旅行のためにシンガポールを訪れており、両国の関係はある意味で緊密でした。
それでは、シンガポールも中国も、同じ中国人かと言うと、そうではありません。最近、シンガポールでインド人と中国人の入居を拒否する不動産物件が増加しているという報道がありました。大手不動産入居者募集サイトに「No Indians/Prcs」と表記された広告が160以上もあったそうです。PrcsとはPeople’s Republic of Chinaつまり中華人民共和国のことで、こうした「お断り」を載せている不動産は中級クラスの一般人向け物件に多く見られるといい、清潔さに対する考え方や文化の違いが原因だと説明されます。たとえば、インド人も中国人も、滅多に部屋を掃除しないし、そんな部屋でカレーや中華のような油を多く使うコテコテの料理をするので、壁や床に、油やニオイが長い年月にわたって染みつく、というわけです。その上、インド人も中国人もモラルが低く、部屋を知人などに又貸しする恐れがあるのも嫌われる原因のようです。もっと言うと、シンガポールの華人は、本土から移民としてやってくる同胞の中国人たちのことを「単純労働しかできない格下の奴ら」と小馬鹿にしているところもあるようで、リー・クアンユー氏の、完璧主義、先見性、エリート主義、独裁主義、不寛容といった個性は国家統治に反映され、治安と清潔さと秩序への強いこだわりは、シンガポールの市民生活の隅々にまで反映されていると言えるかも知れません。
さて、その中国で、今、腐敗撲滅の大キャンペーンが展開され、どうやら習近平国家主席のこの運動に賭ける思いは本気のようで、現代の「4人組」が失脚しました(重慶市の書記だった薄熙来氏、石油派のボス・周永康氏、胡錦濤前国家主席の右腕と言われた令計画氏、江沢民派の軍トップの徐才厚氏)。もっとも、「トラもハエも叩く」と言いながら、大トラは温存されたままだと皮肉る人もいるようですが(すなわち、江沢民元国家主席、曾慶紅元国家副主席、李鵬元首相)、しかし、地方ではハエが叩かれて困った状況になっていると聞きます。なにしろ昨年一年間に検挙された汚職公務員の数は5万5千人にのぼり、地方政府ではポストが埋まらない現象がおきている上、賄賂目当てに(!)熱心に仕事に取り組んで来た彼らに無気力が蔓延しているのだそうです。そもそも彼らが呼び込んだ投資が、汚職まみれとは言え、地方経済の成長を牽引してきたわけで、中国経済が縮んでいくと懸念する声が挙がっています。果たして中国は、腐敗撲滅だけでなく、シンガポールのように政治家や公務員の給与を上げないでやって行けるのでしょうか。中国共産党政権が崩壊する前に、シンガポール・モデルにソフトランディング出来るのでしょうか。
成功しているとされるシンガポールでも、出生率低下や労働人口の減少、海外からの移民への依存度の上昇、そして独裁色の低い政府を求める国民の声がかつてないほどの高まりを見せ、苦慮しているようです。国家経営というのは難しい。こんな話を聞いていると、日本というのは、落ちぶれたとはいえ、大した国だと思えてしまうから不思議です。
彼の功績は、およそ先進国は高緯度に分布するという常識を打ち破り、東南アジアの赤道直下にありながら、先進国並みの経済成長を成し遂げたことにあります。1965年にマレー連邦から追放される形で独立した直後の国民一人当たりGDPは僅かに500ドルでしたが、首相退任時には5万ドルと、都市国家という特殊要因があるとはいえ日本を凌ぐまでに引き上げることに成功したのは特筆すべきことです。かつて、ニクソン元米大統領は、彼のことを「小さな舞台に立つ大きな男」と評し、「生まれた時代と場所が異なっていれば、チャーチルやディズレーリ、グラッドストーンに匹敵する世界的評価を得ていたかもしれない」と語ったそうです。
その奇跡の裏には独特の統治手法があり、多民族国家で東南アジア的な政治的不安定さを嫌った彼は、西欧的なリベラル民主主義の考え方はアジア社会には不向きだと切り捨て、言論統制や衆人監視など国民の自由を制限する一方で、政治家や官僚の給与を高所得者並みに手厚くして腐敗を徹底的に根絶することにも成功し、こうして獲得し得た政治的安定を背景に、経済開発に邁進することが出来たのでした。所謂アジア的開発独裁の典型と称えられますが、「明るい北朝鮮」と揶揄される国柄は、功罪相半ばするところだろうと思います。
しかし、アラブの春ではっきりしたように、政治的自由より政治的安定が望ましい国が世界にはまだ多いのが厳然たる現実であり、シンガポールの奇跡は、権威的資本主義のパイオニアとして、中国やロシアや湾岸諸国などに影響を与えました。中でも、中国共産党の指導者たちは、小平氏が伝統的な毛沢東主義を放棄し、改革開放に舵を切って以来、「管理された民主主義」「慈悲深い独裁」というシンガポール・モデルに魅了されてきたと言われ、大勢の中国共産党幹部が、毎年、視察旅行のためにシンガポールを訪れており、両国の関係はある意味で緊密でした。
それでは、シンガポールも中国も、同じ中国人かと言うと、そうではありません。最近、シンガポールでインド人と中国人の入居を拒否する不動産物件が増加しているという報道がありました。大手不動産入居者募集サイトに「No Indians/Prcs」と表記された広告が160以上もあったそうです。PrcsとはPeople’s Republic of Chinaつまり中華人民共和国のことで、こうした「お断り」を載せている不動産は中級クラスの一般人向け物件に多く見られるといい、清潔さに対する考え方や文化の違いが原因だと説明されます。たとえば、インド人も中国人も、滅多に部屋を掃除しないし、そんな部屋でカレーや中華のような油を多く使うコテコテの料理をするので、壁や床に、油やニオイが長い年月にわたって染みつく、というわけです。その上、インド人も中国人もモラルが低く、部屋を知人などに又貸しする恐れがあるのも嫌われる原因のようです。もっと言うと、シンガポールの華人は、本土から移民としてやってくる同胞の中国人たちのことを「単純労働しかできない格下の奴ら」と小馬鹿にしているところもあるようで、リー・クアンユー氏の、完璧主義、先見性、エリート主義、独裁主義、不寛容といった個性は国家統治に反映され、治安と清潔さと秩序への強いこだわりは、シンガポールの市民生活の隅々にまで反映されていると言えるかも知れません。
さて、その中国で、今、腐敗撲滅の大キャンペーンが展開され、どうやら習近平国家主席のこの運動に賭ける思いは本気のようで、現代の「4人組」が失脚しました(重慶市の書記だった薄熙来氏、石油派のボス・周永康氏、胡錦濤前国家主席の右腕と言われた令計画氏、江沢民派の軍トップの徐才厚氏)。もっとも、「トラもハエも叩く」と言いながら、大トラは温存されたままだと皮肉る人もいるようですが(すなわち、江沢民元国家主席、曾慶紅元国家副主席、李鵬元首相)、しかし、地方ではハエが叩かれて困った状況になっていると聞きます。なにしろ昨年一年間に検挙された汚職公務員の数は5万5千人にのぼり、地方政府ではポストが埋まらない現象がおきている上、賄賂目当てに(!)熱心に仕事に取り組んで来た彼らに無気力が蔓延しているのだそうです。そもそも彼らが呼び込んだ投資が、汚職まみれとは言え、地方経済の成長を牽引してきたわけで、中国経済が縮んでいくと懸念する声が挙がっています。果たして中国は、腐敗撲滅だけでなく、シンガポールのように政治家や公務員の給与を上げないでやって行けるのでしょうか。中国共産党政権が崩壊する前に、シンガポール・モデルにソフトランディング出来るのでしょうか。
成功しているとされるシンガポールでも、出生率低下や労働人口の減少、海外からの移民への依存度の上昇、そして独裁色の低い政府を求める国民の声がかつてないほどの高まりを見せ、苦慮しているようです。国家経営というのは難しい。こんな話を聞いていると、日本というのは、落ちぶれたとはいえ、大した国だと思えてしまうから不思議です。