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自由都市にとっては、封建的国家も絶対主義国家も外的なものだった。だから、そのような国家を廃棄すれば、コンミューンは自立できるという考えが出てくるのです。しかし、都市は王・封建諸侯や教会などの互いに拮抗する力のバランスにおいてのみ自立性をもちえたのであって、独力で自立しようとすれば、それ自体国家にならなければならないでしょう。
パリ・コンミューンがそもそも可能だったのは、1871年にプロシャとの戦争に敗れて、フランスの国家主権者が失墜したからです。
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プルードンは、貨幣を一国内で通用する貨幣として見ていました。しかし、貨幣の超越性は、それが一国家や共同体の外で通用することにあるのです。一国や一地域だけで考えると、確かに、貨幣は不要であり、代替貨幣で足りますが、国際的な交易となると、貨幣(金のような商品貨幣)なしにはすまない。だから、貨幣・資本の揚棄は、一国だけの問題ではありえないのです。~、マルクスはそのような「局地的共産主義」を認めなかった。(中略)
産業資本が1860年以降、巨大な資本あるいは国家的な資本による重工業的生産に移行したとき、生産協同組合はもはやそれに対抗できなかったのです。
(ken)私はテレビ東京の「未来世紀ジパング」「Youは何しに日本へ」「世界!ニッポンへ行きたい応援団」「世界ナゼそこに?日本人」を毎週欠かさず見ていますが、柄谷行人さんや佐藤優さんの著作を読むようになってから、なおさら様々な観点からテレビ画面を眺めるようになりました。時々は録画画像を一時停止して、スマホに保存するほど、たいへん勉強になっています。そして、「貨幣の超越性は、それが一国家や共同体の外で通用することにある」という意味についても、昨今の為替変動を毎日チェックしつつ、日本経済の先行きや社会の変化を考えるようになりました。また、国家と協同組合との違いや関係性についても参考になりました。(つづく)