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JPさんの誤配について!

2017年01月12日 | ここで一服・水元正介
ここ数年、郵便局(JP)さんの誤配が目立つように感じています。基本は、働いている人たちの労働が過酷だからと思いたいです。それにしても、今日の「ゆうメール」の誤配はひどかったですよ。隣のマンションだったので、私が再配達したんですよ。ちょっとゆるんでないですかJPさん。
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『資本主義の極意~明治維新から世界恐慌へ~』その1

2017年01月12日 | O60→70(オーバー70歳)
先月、歴史のおさらいをするため『資本主義の極意~明治維新から世界恐慌へ~』佐藤優著(NHK出版新書479)を読みました。都合8回にわたり、私の印象的だった記述を抜き書きし、若干のコメントを記載しましたのでご参照下されば幸いです。画像は、佐藤優さんも大好きなネコです。

【35ページ】
近代経済学では、「貨幣とは何か」という問いは不問に付されています。----、近代経済学にとって資本主義は自明の理とされているからです。

【40~41ページ】
一般的等価物は、商品の交換から生まれる。商品の交換は人間と人間の社会的関係ですから、お金の根っこには社会的関係があるということです。
にもかかわらず、お金と商品は非対称であり、お金を持っているほうが、欲望を満たすことができる。そうすると、お金自体に価値があるように思えて、崇拝の対象になる。これが物神崇拝です。お金を信仰する宗教になるわけです。

(ken) 「お金の根っこには社会的関係」があり、時代や貨幣単位は変わろうとも、「金の切れ目が縁の切れ目」といわれるように、私たちの仕事や生活において「お金」が重要な意味を持っています。私自身は、長年「この世はお金がすべてではない」「孫子に美田を残さず」と信じてきましたが、それを63歳の現在まで公言できたのは「運が良かった」からであると考えるようになりました。両親からの加護、家族の無病息災や安定した職場、諸先輩からの叱咤激励などがあってこそ、資本主義という過酷な制度のなかで無事に過ごせてきたと思うのです。たかがお金、されどお金なわけですが、お金(資本)の暴走で無駄死にしてはいけませんし、仕組み(システム)を理解した上で、覚悟をもった生き方が問われるのだと考えています。(つづく)
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