『談志 最後の根多帳』(立川談志著、梧桐書院)を読む。
談志最後の三部作と言われている完全書き下ろし(語り下ろし)の第二弾。根多(ネタ)帳というタイトルの通り、談志が自身の持ちネタ(200くらいあるそう)について語る。
大きく分けると三種類あるそうで、一つは名作と言われるもの。これは昔のまま忠実に演じている。もう一つはよくできた古典落語ではあるが、内容や落げなどに疑問を感じ、改作を重ねてきたもの。最後の一つは短い小噺などから作り上げた自作。改作や自作のうち、50作くらいについて解説している。
第三章では、自分が手がけないネタについて、その訳を述べている。紹介されている演目は100以上。彼らしい凡人には理解できないような理由も多い。過去の名人が見事に完成させて、それ以上にはできないと思うものも演らないそうだ。「それらは過去の名人の一手販売でいい。“聖域”には踏み込まない」。
1ネタにつき2行程度。二つほど例をあげると、こんな感じ。
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『火焔太鼓』
志ん生のこれは見事。私も演れと言われれば演る。で実際、無理して演ったことがある。けど、火焔太鼓は志ん生以外の何物でもない。強いて他を言えば、志ん朝だろう。
『地獄八景』
これは米朝さんが作ったもので、そこへ踏み込むのが嫌だった。平気で演ってる奴の無神経さには、「米朝さんに断ったのか」と怒鳴りたくなる衝動に駆られる。
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歯切れの良いコメントの中に過去の名人(生きている人もいるが)への敬愛を感じる。
談志最後の三部作と言われている完全書き下ろし(語り下ろし)の第二弾。根多(ネタ)帳というタイトルの通り、談志が自身の持ちネタ(200くらいあるそう)について語る。
大きく分けると三種類あるそうで、一つは名作と言われるもの。これは昔のまま忠実に演じている。もう一つはよくできた古典落語ではあるが、内容や落げなどに疑問を感じ、改作を重ねてきたもの。最後の一つは短い小噺などから作り上げた自作。改作や自作のうち、50作くらいについて解説している。
第三章では、自分が手がけないネタについて、その訳を述べている。紹介されている演目は100以上。彼らしい凡人には理解できないような理由も多い。過去の名人が見事に完成させて、それ以上にはできないと思うものも演らないそうだ。「それらは過去の名人の一手販売でいい。“聖域”には踏み込まない」。
1ネタにつき2行程度。二つほど例をあげると、こんな感じ。
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『火焔太鼓』
志ん生のこれは見事。私も演れと言われれば演る。で実際、無理して演ったことがある。けど、火焔太鼓は志ん生以外の何物でもない。強いて他を言えば、志ん朝だろう。
『地獄八景』
これは米朝さんが作ったもので、そこへ踏み込むのが嫌だった。平気で演ってる奴の無神経さには、「米朝さんに断ったのか」と怒鳴りたくなる衝動に駆られる。
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歯切れの良いコメントの中に過去の名人(生きている人もいるが)への敬愛を感じる。