普段は
あまり瞑想をしない
というか
瞑想のための瞑想は
有意という動作心情からは
ほとんど意味がないと思われるので
(なんのこっちゃ)
洗心生活の観察&洞察の仕組みそのものに
瞬時の或いはオートフォーカスの
瞑想動作を組み込んでいる
世の喧噪を離れ心を落ち着けて…
などというが
実際問題それさえも瞑想のための瞑想であり
却って神の器械の無限のポテンシャルを
限定しているのではないのか!
わざわざそうしなければならない
地球学思惟思考の台所事情に
疑義を呈するものである
いかなる状況でも
「常の心」であり続けることが洗心生活である
想いの錯誤を反転(正転)させよう
迷層につなぐ瞑想は卒業である
常に『明想』して本源共振を
常駐させることである
しかしながら
(閑話休題)
時には本格瞑想すれば
五感との狭間で「ゆらぎ」が生じ
吾々が五感というレイヤーの一つを
手にしているに過ぎないことを悟らせてくれる