眞の『言葉』
言葉は二次元記号の印象であるために「言葉」に全ての根拠を依存すると間違う。そもそも生きたクライン環である『人』の高次元意識波を二次元の二元パルスに置き換えているのが言......
言葉は二次元記号の印象であるために「言葉」に全ての根拠を依存すると間違う。そもそも生きたクライン環である『人』の高次元意識波を二次元の二元パルスに置き換えているのが言語の実体なのである。
これが真実の波長透過した「言葉」の次元上の位置なのである。言葉を貶めているのではない。言葉は純粋に意識の道具に過ぎないと指摘しているのである。概念を移し替えた「言葉」は貴重ではある。組み合わせで概念世界は拡大する。
しかし 『人』の意識を代弁する五体も思惟思考を操るための概念(言葉)も
使い方によっては諸刃の剣となる。言葉が高次意識を無視して暴走すれば
「人間」は言葉によって神無き地獄へと突き落とされるのだ。
「言葉」がこの世の創成の原初にあったのではない。創成の原初は自然神の『光』である。『人』はその創成の『光』(意念)により形成されている。その霊質光を享けて生命体の個々のクライン環が輝くのだ。
その輝きを現世的に写し留め正しき拠り所となるのが眞の『言葉』なのである。
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この記事も重要な内容となっている。言葉が世の創成の原初にあったのではない。自然神の『光』(神の意念)こそが創成の原初である。その霊質光を享けて生命体の個々のクライン環が輝くのだ。
周波数創成の秩序を観喪うと闇に堕ちる。惑星人は『光』に生きねばならぬ。眞の『光』を享け 眞の『言葉』に生きよう。