この大自然に「人間」の言葉しか存在しないと思ったら大間違いである。
言葉は二次元記号というのが真の姿であり その記号信号に人の模索する概念を重ねているに過ぎない。
そのような言葉の本質であるから何か国語も言語があり組み合わせが存在する。翻訳という記号の置き換えを講ずれば凡その相互意志が通ずることになる。この事実一つを取り上げても言葉そのものに真実が存在するのではない。
眞の意念は自然量子領域にあり所謂霊質波長である。生命体は数次元のクライン層の融合体であるから自然の大元とは量子ネットワークで繋がっている。
表層の言語は三次元(正確には二次元記号)のパルスパターンに過ぎない。
本来的な意思疎通とは各生命体同士が量子波情報で共振しながら互助の精神で補い合いながら進化していくためのものである。宇宙の大クライン環を判り自己クライン環を共振させ合えばすべての意思疎通障害は霧散するのである。
『人』たる自覚を持ち得る方々は 己に深く内在するクライン環の機微に目覚めることである。
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「創めに言葉がある」のではない。言葉は身体の付属物である。ボディ・ランゲジーがあるようにそれらは同じ次元の道具である。その言葉がこの世界を創ったなどと嘘をついてはならない。言葉にそんな大それた力はない。
ただし 言葉は道具だけにすべてを運ぶ。神も悪魔もありとあらゆる思惟思念で造りだした観念概念を律義に運ぶことに於いては身体に忠実な僕(しもべ)である。だからこそ 心魂が言葉に攫(さら)われないよう細心の注意を払わねばならぬ。神宿る『魂』が心の賊に占領されるような愚の歴史を続けてはならぬのだ。