ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

『何者』

2016-11-13 06:07:36 | Book
朝6時6分の電車に乗ったところ。伊勢湾を半周して、知多半島のキャンパスに向かいます。通信大学のスクーリングの日。ひとりで電車に乗るって自由だ。

久しぶりに小説を読んだ。『何者』。今の大学生はツイッターを日常使いしている人も多いと聞いていたけど、正直、今まであまりイメージが湧かなかった。私や私の世代は、社会人になってからフェイスブックを使い始めた人が多い。自分の中では、写真を使った近況報告という感じ。

ツイッターは何が違うか?私自身は、フォローしている知り合いといえば夫くらいで、あとは知り合いではない世に知られた人やメディア、世に知られてない面白いアカウントくらい。小説を読んで、知り合いでフォローし合っている世界が少しわかった。
ツイッターは言葉がほとんどで写真はない。まずアカウントの自己紹介からして、言葉のみで表現しなくてはいけない。裏アカウント(2つめのアカウント)も作りやすい。気持ちの内面が出やすい、出しやすい気がする。

『何者』は、そんなツイッターを使う大学生の就職活動を描いている。小説として見事。それなりに必死で、カッコ悪いと思いつつも「そんなものだから」と客観的に見ないようにしていた非日常。日本では、大学入試で面接もないし、大学でプレゼンする機会もほとんどないから、内面を晒しての勝負に就活で初めて直面するのだ。そのキツさが書かれているし、思い出されもした。1日で読めてしまえるのもよい。

岡田尊司『統合失調症 その新たなる真実』

2016-08-17 12:55:17 | Book
今の職場では、統合失調症がかなり身近な疾患となっている。ひきこもりをして長年になっている人の中に、これほどにも統合失調症の病名の付いた人が多いのか。100人に1人が罹患すると言われるだけあって、出会うべくして出会っている人たちだと思う。

幻聴、幻覚といった症状が知られるが、全体像を学んだことがなかったので、新書を一冊読んでみた。統合失調症の人は、ほんとに心が疲れるだろうな…、それが一番の読後感だ。

統合失調症の症状を分解していった中で、一番印象に残ったのは「認知機能障害」である。統合失調症の人は、何事にも度を超えて敏感であり、普通の人なら同じ刺激に二度目、三度目は慣れていって刺激が小さくなるのに対し、それが同じ大きさの刺激で受け止められる。また、肝心なことに注意を向けるのが難しく、無関係なことに気を取られやすい。情報の取捨選択、フィルタリングが下手である。

形式論理の障害、というのも興味深い。これは、「すべてのAはBである」と「Aの中にBがある」を混同してしまうというもの。例えば、「黒い服を着た人の中にはスパイがいる」ということが、「黒い服を着た人はすべて、スパイである」となってしまう。

こういった認知機能障害によって、肝心でない情報に常に敏感になっている状態が続く。そうすると、事実誤認が起きやすい。それが妄想と捉えられるものになっていく。

人間は刺激を慣れや習慣にすることで、自分を守っている側面があるのだと思う。そうできないことを想像すると恐ろしい。例えばわたしのように転居や転職が多かったなら、余計に耐えがたい刺激に晒され続けることになり、ひきこもりたくもなるだろう。

岡田尊司の文章はわかりやすく、趣深い。最近、自分の中の「研究心」の陰りを感じていたが、この人の本をどんどん読んでいくのもよい研究になるかもしれない。

人に必要な人生経験や生活条件

2016-05-12 12:14:30 | Book
スウェーデンのニイリエが提唱した、ノーマライゼーションの方法。知的障害者の人生、生活に欠けがちであり、改善されるべきもの。これって、人間が健康に発達していく、人生を豊かにするために必要なことで、知的障害者に限らず大切な経験や条件だと思う。

1.起床し、衣服を着、食事をし、就寝するといったパターンや時間を含む1日のリズム
2.週末をウィークデーとは異なるものとして区別するだけでなく、異なる環境での家庭生活、仕事、余暇活動を楽しむ重要性を含む1週間のリズム
3.休暇への参加を含む1年のリズム
4.幼児期、青年期、成人期、老年期に通常の期待をすることを含む、ライフサイクル段階を通しての向上
5.自己決定
6.結婚する権利を含む異性との関係の発達
7.作業所で請け負った仕事に対する支払いや公平に賃金を守るための十分な方法を含む経済的標準
8.社会にある普通の市民が社会で利用できる施設をモデルにした学校、作業所、グループホーム、入所施設といった物理的施設の基準に対するニードを含む環境標準

仕事、休暇、結婚、、、。それぞれが、人を成長させたり自己肯定感を育んだりするのに必要なこと。なんか、今の日本では結婚に伴う紹介やあっせんのサービスも、福祉の領域に入ってきた感じがあるな。だから行政や商工会議所などが手掛け出したわけで。

責任能力のない触法精神障害者はどこへゆくのか-医療観察法

2016-04-21 05:21:39 | Book

社会福祉士、精神保健福祉士の受験のため、2年間の大学生生活に入りました。といっても通信制。この2つの国家資格は、「養成校」と呼ばれる大学の指定カリキュラムをこなして卒業していないと受験資格がなく、その後試験を受けなくてはいけない。けっこう大変。とりあえず、この2つの受験資格を得るべく卒業することを第一目標に、その後は何度でも試験を受けられるので、試験合格を第二目標とします。

関心のある分野の知識整理として、ときどきブログを書きたいと思ってます。で、最初は医療観察法。

精神障害があったり、精神科に通っていたりすると、犯罪が起きて逮捕されても報道発表されないことがある。このことの法的根拠について、よく知らなかった。2005年と、割と新しくつくられた「医療観察法」という法律をもとにまとめます。

・犯罪とは
犯罪とは、刑罰に触れる行為であり、「構成要件妥当性」「違法性」「有責性」の要素を満たさなくてはいけないとされる。最初の2つは、とりあえずおいておいて、精神疾患により「有責性」を満たさない場合があるために、犯罪とならないことがある。刑法39条に、「心神喪失者」の行為は罰しない、「心身耗弱者」の行為は減軽する、とある。 

・では精神障害の症状によって犯罪が引き起こされたときはどうするか
2005年以前は、イメージとしては「精神科病棟への強制入院」だった。制度としては「措置入院」。これは犯罪者にかかわらず、本人は入院の意思がなくても、そも必要性をかんがみて精神科医の判断によって入院させることができるもの。 なので、普通の精神患者がいる病棟であり、触法者がいると一般患者に害が及ぶ可能性など難があった。

・医療観察法でどうなったか
対象犯罪=「重大な他害行為」=「殺人、強盗、放火、強制わいせつ、傷害」(6大犯罪)(傷害以外は未遂も含む)
対象者=不起訴処分になった心神喪失者・心神もう弱者、心神喪失によって無罪判決が確定/心神もう弱によって刑が減軽され刑期のない者(執行猶予就き有罪判決含む)

・どのように医療観察の処分になるのか
犯罪の程度(傷害の程度など)が軽く、精神障害の病状が穏やか(と警察官が判断)→警察官が保健所長に通報→措置入院 (精神保健福祉法23条)

犯罪の程度が重い場合→警察から検察へ送致→検察で簡易鑑定→責任能力がないと判断した場合、不起訴に→検察官が地裁に医療観察法処遇を申し立て(検察官が申し立てなければ、医療観察の対象にはならない)→地裁は鑑定入院を命令、保護観察所は本人や家族と面接をして「生活環境調査報告書」作成→地裁にて裁判官、精神保健参与員、本人、付添人、検察官などが参加して審判→「入院による医療」「入院によらない医療」(精神保健観察=指定通院医療機関への通院が義務付けられ、保護観察所の社会復帰調整官による指導を受ける。原則3年、2年の延長が可)「不処遇」のいずれかが言い渡される(その後、退院などの処遇も裁判所が審判により決定する)
20歳未満の少年は、検察官が起訴不起訴の決定をしないため、原則医療観察法の対象にならない(家裁から刑事処分掃討として逆送された場合には、対象になることもある)
※精神保健参与員は、PSWとして相談援助業務に5年以上従事し、研修会を受講し、希望したものが厚労省の名簿に登録され、事件ごとに地裁が選任する

・どれくらいの人が処遇されているのか
PSW養成テキストによると、2014年3月末時点で、入院処遇は747人 

 


宮本常一『日本文化の形成』

2016-01-29 11:54:30 | Book
夫に習って3ヶ月毎のテーマ読書をしようと思い、1から3月は歴史、と思った時に寝室にあった夫の本。宮本常一の本はほとんど初めて読んだ。宮本常一について書いている本は何度か読んだけど。

日本文化の形成、というテーマで書いたものではなく、主に縄文から弥生の時代に移るところを考察したもの。例えば、「倭国」と表現されていたものは何だったのか。焼き畑農業の広がりや、朝鮮半島(百済)から「侵略」された形跡がないことなどから、倭国は朝鮮半島から九州、西日本にかけて広がっていた民族ではないのかという仮説。だから、百済が新羅の侵攻で窮地に陥った時に助けに行った)白村江の戦い)。そして、百済、倭国ルートで稲作や大陸文化、交易をつないでいたが、百済の滅亡により難しくなった。そうして初めて日本の南方に目を向け、種子島、沖縄から文化文明を輸入するようになっていったのではないか。

倭国が国名を変えて日本になったわけではない。…では日本という国家主体はどこから来たのか?それはよくわからなかった。(本書で述べていたかもしれないけれど)

おととし、北海道を旅行した際、アイヌ博物館に行き、縄文文化にほとんど初めて興味を持った。7800年続き、それゆえに日本列島じゅうに広がったと思われるひとつの文化が、弥生の時期に、それまでに比べれば急激に、まだらに文化が変化していく。わたしのような素人には、地図の多い本の方がよさそう。少しいろんなことをおさらいしてから、梅原猛 にも挑みたい。

『されどわれらが日々―』

2016-01-09 04:51:02 | Book

今年の目標のひとつなので、早速書評を書いてみる。年末に退院後、すぐに読み出した本。小説を手に取ったのは本当にひさしぶり。著者、柴田翔のインタビュー記事@朝日新聞夕刊を入院中に読み、ポチッと買ったもの。

題材は、1955年の日本共産党第6回全国協議会でなされた武力闘争からの方針転換。それまで、(ウィキペディアによると)「農村から都市を包囲する」と掲げて大学生らを地方の田舎に潜伏させ、武力訓練を行わせていたものを、解体して、議会闘争を方針の中心に据えたというもの。小説では、この方針転換そのものではなく、共産党員であった東大生たちが地方に潜伏した後に転換を知らされ、無力感のままにどのように人生を送ろうとしたか、けりをつけようとしたのか、というところが焦点にある。

高校生から党員で、党を疑わずに地方へ潜った者は、「出世を望む資格などないのだ」と言い聞かせながら地味な鉄道会社に就職し、それでも自身にけりをつけられずに自殺する。主人公も東大の大学院生だが、卒業後は地方の英語講師として生きることを決めており、幼なじみとの婚約を含めて「あきらめ」の漂う静かな人生を送ろうとしている。「これでいいのだ、幸せの道なのだ」と考えようとしていた婚約者の彼女の方も、「私は死ぬときに、何を成したと思うだろう。何もない」と思い悩み始め、これまでの人生を否定することもいとわないことを決め、婚約破棄を願い出る。

紹介文に必ずあるように、「青春群像劇」であり、骨格のストーリーがシンプルにあるわけではない。ただ、当時の空気感みたいなものがある。発刊は1964年、で著者は29歳のときだったというから、著者が当事者として体感したものなのだろう。

こういう小説は、山本七平ではないが「空気の研究」というような意味合いで、特に当時を経験していない人に示唆を与えるものだと思う。空気に意思や理由があるとは限らないが、こういう多感で考え込みやすい東大生はなぜ、どうして、ということを自分の方向に向かって煮詰めて考えてくれる。正月早々に読む小説としては暗すぎた、出版の年は芥川賞受賞。


山口一男・樋口美雄「論争ワークライフバランス」

2014-02-28 13:16:43 | Book
先月は、必要に駆られて「ワークライフバランス」の単語に関連する本をいくつか読んでいた。図書館の返却期限も過ぎているので、その時に読んだ本についてのメモを少し。

山口一男・樋口美雄「論争ワークライフバランス」
2007年に、ワークライフバランスをテーマに公開討論会を行い、それをまとめた本。この中で、権丈英子先生がスピーカーを務めたところで紹介された、オランダの例がとても興味深かった。(本題とは少し違ったけれど)
オランダでは、日本と同じで保育所に預けることへの抵抗がある人が多かった。なので、夫が週4日、妻が週3日、などと勤務日数を短縮することで、保育所には週2、3日だけ預ける、というようなスタイルを作って行った。また、このような「フルタイム・短縮日数勤務」の背景には、元々短時間勤務(1日6時間×5)を求めていた女性主体の労働組合が、通勤時間を含めて考えると「毎日通勤」よりも通勤日数を減らした方が時間を有効に使えることに気づき、要求を変えて行ったために実現してきたという。

「育児休暇の功罪」については、本の後ろのほうで、パク・スックチャさんが指摘している。大手企業で、子育て支援の一環で「育休3年」などと掲げているところがあるが、女性が3年も家庭にいたら、家庭内の性別分業が定着し過ぎてしまって、夫の給料はその間も上がって行くわけで、妻はますます仕事に力を入れるインセンティブがなくなってしまうよ、と。これは最近つくづく感じていること。

この二つの気づきについて言えるのは、「労働者・働く女性が主体的に、キャリアと生活について考えて、主張する場面がない、ということだ。「当事者」でない、専業主婦を持つ財界の男性陣や、年齢の高い経済学者や、ワークライフバランスなど思いもよらない環境で働く官僚たちばかりで、働く女性・男性のカップルが不在のように感じてしまう。オランダの例などを見ると、やっぱり労働組合って大事だよなあ、本当は・・・と残念な気持ちになってしまう。

吉田穂波「「時間がない」から、なんでもできる!」

2014-02-27 10:32:36 | Book
Kindleは便利。授乳しながらでも読める・・・ということで、朝、自己啓発系?の本を読んでみました。女性×医者・キャリア×ワークライフバランス、の文脈で、最近ときどき登場する吉田穂波さんの本。子ども3人を抱えて、夫とともにハーバードに留学した女医さんが、どのように留学準備を進めたか。1時間で読めるので、こういう本は時々読むと、1000円の元は取れる、モチベーションになります。

本書の中心にはないけど、「やっぱり子どもが生後2ヶ月くらいでも、仕事復帰しちゃってるものだよね」というところに興味を持った。確かに、今私が住んでいる岐阜県羽島市でも、保育所の受け入れは生後3ヶ月くらいから可能のようだし、「育休は1年」という常識?はあまりとらわれなくてもよいと思う。そして、吉田さんは今や5人の娘の母親とか。「1人生むと1年は休まなくてはいけないし」なんて思わなくていい、というのが(くどいようですが)私の実感でもあります。

自分ごととしては、今の資格勉強のモチベーションが上がった。ゆくゆくは、労働問題の専門家・実務家として身を立てたい。経験を積んだら、留学もいつかしたい。
それと、タイムマネジメント次第では「もっといろいろできる!」と思いました。ありがたいことに娘はとってもよく寝る良い子なので、もっと連れ出して(私が気分転換できるように)、切り替えつつ試験勉強以外もやっていこう。その一つは読書とブログ(読書録)。労働・日本史・世界史の本を読んで、教養を深めたい。今、家にある大量の本を、さばいていく感じでもよいので、読み漁って行こうと誓いました。そんな2月末。娘は4ヶ月に突入しようというところ。最近は夜も一度も起きずに寝続けることも多く、今もリビングのベビーベッドですやすや寝ています。

東浩紀・宮台真司「父として考える」

2014-02-23 11:35:19 | Book
日本の社会学者の書く本をまともに読んだのは初めてかもしれない。社会学を基本的には学問とみなさない、という教授の下で勉強してきたので、手に取らなかったということが大きいと思う。社会学者は、まあ現代思想家のようなイメージの人たちなんですね。社会現象にとりあえずラベルを貼ろうとする。「パラサイト・シングル」とか「妊活」とか、そういうのが良い例なのでは。

社会学者の2人が、親になってみて考えていることを語り合う、トークイベントをそのまま本にした感じの本書。夫に勧められたんですけどね。で、忘れないうちに、印象に残ったことを1つだけ書いておきます。

・結婚にも、子供をもつことにも必然性はない
最近の晩婚、晩産の背景に、若者の「必然性症候群」(と本の中で名付けていたかどうかは忘れたが)みたいなものがあって、「運命の人」、すなわち、「私はこの人と結婚しなくてはいけない!」というような直感を求めていて、それがないことを理由に結婚や子供を持つことを先延ばししている、という指摘。「子どもを持つことに必然性はなどないんだよ」と宮台真司が言っていたのが印象的でした。そう、必然性などないのだよ!と、もし私の友人がブログを読んでいたら言いたい。だから、そんなもの求めていないで、結婚してみたらいいんじゃないの、と。

これに私なりに加えると、結婚や子育ては、「人生に深入り」することなんだよ、と。味わい深さ、みたいなことであって、まあ経済学では「子育ては投資から消費になった」とか言って子育ての機能面を特徴付けているけど、感覚的には「人生を味わい深くする」というようなもの。味わって見ないとわからないから、味わえるうち味わってみよう!というノリが大事だと思う。

ついでに女性陣に対して言っておきたいのは、必然性、運命よりも、女性のキャリアについての理解とか、ワークライフバランスを大事にする人かどうかとか、子育てを、ちゃんと「分担」してくれる(手伝ってくれる、ということではなくて担当してくれるということ)かどうかの方が非常に大事だよ、ということですね。

垣谷美雨「もう子育ては卒業します」

2014-02-20 11:46:35 | Book
アマゾンのリンク

時々、ゆるーい小説、それも「女性の人生」がテーマと思われる小説を読みたくなる。おそらく、働き始めてからだったと思う。結婚を意識したり、出産、子育て、仕事・・・というようないくつかの柱ができて、「ようわからん!」と思ったりすることがあったからかな。

日経新聞の夕刊で、ちらっと紹介されていたのがこの本。著者と同じ1959年生まれの女性3人が、大学を出て(出たのに)専業主婦になり、悶々としながら子育てをして、その時々を語り合う。

決して面白い本でも、うまく書かれた本でもないと思う。ただ、1959年生まれで、1977年に東京の私立大に入学、1981年ごろに就職活動をした、団塊の世代よりもひと回り若い女性の生き方を勉強するには、良い気づきをもたらしてくれる。

求人票「自宅通い」が条件
地方から出てきた彼女たち。当時は女性の大学進学が当たり前というほどにはなっていなかった。文学部系で、それなりーに、遊びながら、バイトしながら、教職は取らずに4年生を迎え、いざ就職しようと求人票を見ると、「自宅通い」が条件となっている。実際、東京に地元のある女性の先輩たちは、有名企業に(お茶汲みスタッフとして)就職が決まったが、彼女たちは苦戦し、電気店の販売スタッフなどに収まる。「地方から来た女の子はどんだけ遊んでるかわからん」「男性従業員と社内結婚する相手なら、都内の方が何かとよいのでは」みたいな理由で「自宅通い」が条件になっているのでは・・・と彼女たちは話していた。こんな就職活動があったということを知らなかったので、興味深く読んだ。

・彼女たちの母親は、自営業で働き者→彼女たちの罪悪感に
専業主婦になるのが当たり前の時代。四大を出ていながらも、結婚を機に退職、妊娠・出産・子育てで、家に収まっていく。それを、「当たり前」と思えない、もどかしく思う気持ちもあったのだ。それは、自分の母親たちは、牧場で牛の世話を休むことなくしていたり、町の乾物店の店番を毎日していたり、と、働く姿を見て育ったから。「専業主婦モデル」が今でも話題になることもあり、経済学の分析でもよく出てくるが、彼女たちのリアルは、「働いた方がいいのでは」「働かなくてよいのかな」という葛藤があった、ある人の方が多かった、と思い至った。これも新しい気づきをだった。

基本的に、彼女たちは家に収まって子育てや家計のやりくり、姑との付き合いなどばかりに費やしてきた時間に、「これでよいのだろうか」と悩みながら過ごしている。それをどうにか、自己肯定しながら、「子育てを卒業」する50代までを生きる。あまり羨ましくないし、今の時代に生きていたら「働けばいいじゃん」とツッコミを入れてしまうだろう。でもまあ、よい社会勉強になりました。