ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

家電考2ーパソコンの選び方

2019-05-26 10:29:31 | Private・雑感
昨日、家電店へ足を運んだ理由には、パソコン物色もある。現機種は2012年購入のDELL。一年半ほど使ってない。開いてみると動作はかなり遅い。最近は、パソコンが必要なときは夫のノーパソを使うことが多かった。今は日中も使いたい時があるし、これから仕事探しや新居での情報収集もあるだろうし、買うなら今だなと急に思い始めたのである。

検討しているのは、microsoftのsurface go。前回購入時とはだいぶ選び方が違うと思う。前回は、単純に価格と性能、デザインを見るだけだった。今回は、まず大きさ・重さと性能を比べた。子どもができて家が相対的に狭くなり、ノーパソをずっと開いて置ける場所などなくなったからだ。いちいち引き出しにしまうしかない。なので、しまいやすく、また起動がスムーズなものが、より求められる。

ある意味、選びやすかった。surfaceは、ipadのように、どこで買っても価格差がないような販売展開をしているらしい。ここはさっさと、johshin webで買ってしまおう。

家電考ー掃除しやすい扇風機

2019-05-26 10:21:02 | Private・雑感
急に暑くなったので、昨日の昼間に扇風機を出した。ホコリも付いていたのでウエットティッシュなどで拭き取って。
扇風機も、夫が一人暮らし時代から使っているもの。羽根を収める部分の円型の接続部分は割れて捨てており、結束バンドで四箇所を留めている。家が汚いのか、羽根やその他へのホコリの付着が酷い。いつでも買い替えOKと思われるこの扇風機、次は掃除しやすいものがいい。

と思ってネットでリサーチしても、掃除しやすさをうたったものがない!家電店へ行ってもない!近年は柔らかい風を出す高価格帯の扇風機が流行っているらしいと聞いたことはあったが、なるほどラインナップは想像以上だった一方でみな掃除方法は明記していない。そしてゴツい。

風の質(?)はほどほどでよいから、水で丸洗いできるような扇風機はないものか。結局ことしも、引っ越しもあるし間取り変わったら欲しいものも変わるかもしれないし、などと言って様子見で終わりそうな予感。扇風機の羽根のホコリ、気にし始めるとかなりストレスなんですよね…。

修学旅行で賑わう平日の遊園地

2019-05-24 16:36:46 | Private・雑感
昨日は、こども園年長さんの長女と、園の行事で親子遠足へ。今年は志摩スペイン村でした。

「親子遠足特別パスポート」なるものが配られ、近鉄の貸切特急で向かいます。親子遠足、今までは夫に行ってもらっていたけど、今年は育休中の私と3ヶ月目前の末娘、そして夫も。みな、初スペイン村。

園の中は、客の95%が修学旅行か保育園行事で来ている子ども、親、引率職員。確かに、ほかの客が少なくて迷惑になりにくいし、アトラクションもほどほどのスリル感、園児でも遊べるものも多い。学校の先生たちには楽な遠足先だろう。

志摩スペイン村が教育的な行き先か?と言えばノーである。でも、園児にとっての楽しい思い出づくりには最適な場所。小学生、中学生もたくさんいたが、彼らにはどうだろう。最近は引率の先生にも同情的にはなるので、子供と先生の利害が一致しているということでまあよしとするかもしれない。
地方の遊園地の生き残り策としては?平日の稼働率を上げるにはよいターゲットだろうが、リピーターを作る努力はもっとあるべきでは。遠足割引価格と、通常の価格の差が大きすぎて、私なら行かないと思う。平日や閑散期に値段をぐっと下げる料金設定が最近話題だが、地方の遊園地は率先してやるべき。

何が私を作るのか

2019-05-21 05:17:14 | Private・雑感
「食べたものがあなたの体をつくる」と言って食生活や食育の重要性を説明する人や文章によく出会う。では、一体何が私という人間全体を作るのだろう。体以外の部分。読んだ本?仕事?生活?共に暮らす夫や子ども?まとめて、「私がすること」とでも言えるだろうか。

「私がすることが、私をつくる」。とすれば何をしようか。

育休中で、赤子も3ヶ月目前。3回目の乳児ということもありだいぶ手がかからなくなってきており、「日中何もしなかった」と言えてしまう日があると、上に書いたようなことを考えてしまう。

前々から、新しくブログを始めたいと思っているが、それは、ぼんやりと「生活者のひとりとしての発信はとても意味がある」と思うのと、「書くこと自体に加えて、自分が書いたことを読み返すことにはセラピー効果のようなものがある」と思っているからだ。もう少しかっちりした文章を書きたい欲も満たしたい。

そんな気持ちも、「今のブログと切り離して始める意味があるのか?」などと思って踏み出せない。だーれも完璧さなど求めていないのに。いや、私が求めているのだろう。

転居や転職、その合間のまとまった自分時間が多いと、必要以上に「このままでいいのだろうか」と思ってしまう気がする。仕事が一貫していないから、何か自分なりの、ほかの説明で一貫させなければならないと考えて、その難しさに太刀打ちできない、というような。
そんなこんなでもう午前10時半になってしまった。今月の目標は、毎日運動と勉強、日記、と娘にも言ったので、今日の日記はクリアとしよう。

高校時代の恩師が言う「大丈夫」の幸福感

2019-05-10 08:40:22 | Private・雑感
10連休、生後2ヶ月、3歳半、5歳半の子どもたちと、保育園なしでヘトヘトにならずに過ごせるとは思えなかったので、まるまる実家に帰っていた。「居候」とはよく言ったもので、食事も洗濯も親まかせだったにもかかわらず、疲れた。子どもというのは怪物である。

地元の千葉で長期過ごすこともあまりないので、会えそうな友達に会ったり、行けそうなところに足を延ばしたり。高校時代の工芸部の先生が、もう退職されていて、喫茶店のギャラリーで個展をされていると偶然知ったので、行ってみた。
今思えば、東京芸大の油絵科を出ている先生に、教わったり、そばでろくろを回したり、というのはとても贅沢な時間だった。個展に並んでいた陶器や油絵、ちょっとした解説を書いた手書きの字から、先生の雰囲気が思いだされて、作品も素晴らしくていい時間を過ごせた。
ギャラリーの人が、先生の高校の同級生ということで、そこにはいなかった先生と電話で話ができた。卒業して17年。簡単に私や同級生たちの近況を話している中で、子ども3人と生活する私に「あなたは体力があるから大丈夫ですよ」と言ってくれた。

私の事を、雰囲気を含めて覚えてくれているんだな、という嬉しさと、大丈夫ですよ、と自信を持たせてくれた喜び。何気ないひと言で、こんな気持ちにさせてもらえるものなのだな、と驚いた。ほかの人に言われたら、「今の生活をよく知らないのに言わないでよ」「仕事のことは聞かれずに判断されたくない」などと思ったかもしれない。
それだけ、高校時代という特別な時期を知ってくれている高校の先生というのは特別なのだ。

考えてみれば、高校時代は、高校がほぼ全てだった。幸せなことに、家庭で何か役割を押し付けられることもなく、アルバイトもする必要がなく、習い事もせず、塾にもほとんど行かず。高校での勉強、人間関係、部活、などがほぼ全てだった。工芸部の先生に、とくに深く関わってもらったわけではない。ほかにも運動部に入っていたし。でも、信頼し、尊敬する先生だった。そんな環境の諸々が、幸せで贅沢なものだったのだ。

そんなこんなで、嬉しい気持ちを引きずっての連休明け。相変わらず赤子とダラダラしているが、それもよしとしたい。

実家で悠々自適に過ごした子どもたち

散歩中のひととき

2019-04-18 14:16:32 | Private・雑感


暖かい春の日。もうすぐ2ヶ月になるベビーと散歩。ローソンでカフェラテとオレオを買って公園で休憩。最近、リサイクルショップで買ったA型ベビーカー(2000円)が役に立っている。今考えていること。

仕事復帰をいつにするか。ひと月半後に、半日勤務で復帰して、2ヶ月働いたら転居(かもしれない)というのはやはり自分勝手、自己満足では。働いたかもしれないその2ヶ月で、仕事の一部となりうるような自分の中での事業を考えたい、気もする。もっとブログを書くとか。

今何を勉強すべきか。したい、しようと思えるものがあれば、時間はある。意欲がついてくるものは?候補は統計学。

出産の内祝いをまだ送っていない。ピンと来るものがない。

上の子たちを迎えにいく前にベビーの沐浴を済ませたい。

予想もしなかったことに出くわし、うろたえたり考えたり。子どもたちに振り回されたり振り回したことを反省したり。伊勢志摩の四季の中の生活に潤いを感じたり、都会のさまざまなチャンスを恨めしく思ったり。いろんな瞬間を、そのまま写真に撮ったり短歌にしたりできたらいいのに、と思うことがよくある。どちらもすぐに習得できるスキルではないのだ。

ダウントン・アビーの第1シーズンを、amazon video で見終わった。面白い。1910年代の貴族の家族、使用人たち。当然、主従関係があるのだが、さまざまな役割があり、伯爵たちも使用人たちもその役割を果たすことが生活そのもの。その意味では対等な関係に見える。

出産前後に児童虐待の事件報道は辛い

2019-04-04 14:05:07 | Private・雑感
豊田市で、生後11ヶ月の3つ子の赤ちゃんの母親が、3つ子のうちひとりを死なせた事件。自分がちょうど出産する前後に報道されているだけに、聞いていて辛い。裁判で明らかになってきた事件の背景。3つ子ということもあるし、初めての出産で、明日が見通せない閉塞感もあったと思う。誰もが、その状態に陥ると思う。
‪ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190403/k10011870821000.html‬

第一審が懲役3年半という実刑だったことが、「重すぎる」と議論になっている。支援されるべきだった母親、支援できなかった行政、負担を軽減できなかった夫、死んだ赤ちゃんからすれば児童虐待である。11ヶ月といえば言葉も分かり始めている頃。その場面を想像すれば、母親の視点からも子供の視点からも辛い。

事件の報道のたびに思い出すことがある。2014年、私が長女を出産して半年くらい経った頃の厚木の児童衰弱死事件。
https://toyokeizai.net/articles/amp/165996?display=b&_event=read-body
聞くたびに辛くて、居ても立っても居られない気持ちで、これが福祉の仕事への転職の決定打になったと思う。何が起きているのだろう、気になって仕方がない、という感じ。一方で、このリンク先の記事も読み進められない。想像するのが辛くて。そんなんではダメだなぁ。

出産前後などのナーバスな時期は、心の余裕が少なく、嬉しいことも辛いことも、あまりに響き過ぎる。正直に。できれば、そこから逃げずに向き合いたい。大事な機会なのだと思う。

独学を主体とした教育スタイルっていいかもしれない

2019-03-28 09:13:36 | Private・雑感
子どもの教育について、考えなくてはいけない日もくるのだろうな、でも私立に行かせたい気持ちはないので、まあのんびりと成り行きに任せて、などと思っていた。そんな中で、たまたま読んでいた本の中で考えたことがあったので書き残しておくことにします。

最近、時折読むのが神谷美恵子の著作なのだが、彼女が生い立ちを振り返るエッセイ集のようなもので、小学校高学年から中学生にかけて、父親の仕事でスイスで過ごした時の学校、そして帰国してからの成城高校の話を紹介していた。講義形式ではなく、主に独学で勉強を進めつつ、わからないことを教師に聞くというスタイルで学んでいたという。音楽や芸術などはみんなでやる。スイスでは、国籍や、言語(フランス語やドイツ語)の能力もまちまちだったから、個々人に合わせて独学の課題が与えられたと書いてある。

これだと、好きな教科はどんどん進められる。追求もできる。そういえば自分の小中学生時代、みんなと合わせて勉強を進めていくのが、苦痛とは言わないまでも、無駄な時間が多いと感じていた。進捗確認のテストなど、10分で終わってしまい、あとの30分は暇でテストの裏に絵を描いて消す、ということをよくやっていた。勉強の面白さ、勉強の幅を広げてくれたのは、能力別に分けられていた塾だった。
学校の授業がもし、個別に進めて良いスタイルなら、より自分と向き合って、純粋な面白さを感じながら勉強できたのではないか。夫と話している中でも、彼はずっと公文をやっていて、学年の枠を超えて問題集を進めることができたのがよかったと言う。

これまで教育のスタイルなど考えたことがなかったのだが、この無学年別のやり方というのは、通信教材でも最近出てきていて、公教育でも検討されているらしい。
無学年学習について
学年や時間割廃止の検討、名古屋市

できることなら、子どもたちには勉強を楽しんでやってほしい。公立校に集まる雑多な人間模様も経験する価値はあると思うので、依然、私立は考えてはいないが…。あれよあれよと長女は来年小学校。一緒に教育のことを考えていけたら良い。初めから最適なものでなくてよいので。

安心感を醸し出す人

2019-03-24 08:49:58 | Private・雑感
対人相談援助の仕事をしている人だけでなく、サービス業を始め、人と関わりの深い仕事であれば、「第一印象で安心感を醸し出すことができるか」は重要だろう。どうすればそれが達成できるのか。社会福祉士養成のコースでそんな話題があったとき、「付き合いの長さ」(長く関わっている方が安心感を感じられる)というような回答をして、ちょっと違うな、と講師の人に言われた。

そんなことを思い出したのは、おととい眼科に行った時。普段はコンタクトレンズをを作る目的でしか行かない眼科なのだが、その時は目の中の違和感と痛みがあって訪れた。その診察での医師の、物腰というか、声のかけ方が、なんとも安心感を誘う(?)ものだったのだ。印象に残ったのは、「ごめん、まぶたの裏側も見せてね、何か挟まっていると炎症起こしていることもあるから」という言葉。
なんの変哲もない声掛けかもしれないが、相手のまぶたをめくるのを、申し訳なく思うという「ごめん」。その行為の理由をさりげなくちゃんと伝えていたこと。急がない優しい言い方。

相談援助に置き換えれば、相手から話し始めようと何だろうと、個人の内面を聞き出していくのは、まぶたをめくるような、「プライバシー領域に立ち入ってごめんね」という気持ちが必要だし、それが何のためなのか分かってもらう、伝えておくことも大事だ。
こういう言葉そのもの以上に、優しい雰囲気が、私の印象に残ったのだ。

社会福祉士養成コースのとき、講師の人が例に出していたのは、「初対面でも、例えば会ったことがなくて電話越しだったとしても、車で事故ったときに保険屋さんに電話して『お怪我はありませんか』と言われるとすごい安心感だよね」ということ。私にとってこの眼科医も、名前も知らない、数回しか診察を受けたことのない人だけど、目の痛みもそれほど切羽詰まったものではなかったけど、保険屋さんのような安心感を感じさせたので書き残してみました。さて、その優しい雰囲気なるものは私にも出せるものなのか、が次の問題です。

保育園に申し込むことさえできない早生まれの子

2019-03-22 16:03:25 | Private・雑感
保育園に落ちる、こともできないまま、私の保活は実を結ばずに終わりそうである。先月誕生した末娘の保育園は、どうしても次女と同じところに入れたかった。3箇所も保育園の送り迎えはできないし、長女の保育園は生後6ヶ月からの受け入れで、ということは2月生まれの末娘は9月からしか申込ず、そのころには確実に空きはない。次女のところは受け入れが早いので、5月、6月でも申し込める。その時点で空きがあれば。

その空き具合。先週保育園に聞いたところ、四月時点で大型埋まったが、あと1人受け入れられるという。5月に申し込んでもらった方がいいです、1人しかないので…取ってはおけないので…。でも生後2ヶ月で預けるのは気が進まないなぁ…などと考えていた。
今日、市役所に行ったら、「そこは三次募集で埋まってしまいました」とのこと。三箇所送迎を選択しない限り、今年いっぱいは預けられず、私は働きに出られないことが今日明らかになったのでした。これじゃあ3人目の保育料が無料とか言われても意味ない。申し込みすらできない。早生まれの子どもに、その親に罪はないのに。

四月に一斉に学年があがり、四月に一斉に新規入所がある、という仕組みがどうにかならないものか。年度途中も不利なく選択できないものか。

覚悟していたとはいえ、自分ではどうにもできないけど不利益だけ私に集中しているのでは、と悲劇のヒロインのように感じる瞬間が、また訪れた。また今度書きますが、今話題の『82年生まれ、キム・ジヨン』にはそんな場面の連続で読んでいて辛いです。