ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

東南アジアについてのメモ

2008-06-25 11:47:25 | Public
あまりにも日本の中部圏限定で知識が増えていくことに
抵抗して、東南アジアの歴史、という本を読んだ。
ぼんやりと頭にあった疑問は2つ。

①なぜ、アンコールなど16世紀くらいまでは比較的栄えていたように見える
 東南アジア地域は、経済的に衰退したのか。

②なぜ、軍事政権というものが生まれるのか。

理解していないところも多いが、メモ書き程度に本のまとめ。

・・・



 東南アジアが元来栄えた土地だったのは、インドと中国という大国の
間に位置していたからだ。ヒト、モノ、文化が往来していたことで、
自然と交易によって栄えていった。

 このような状況の大転換となったのが、大航海時代だ。

 それまで、コメに加えて胡椒の産出も大きかった地方では、高級品として
胡椒がやりとりされていた。大航海時代になっても、最初のうちは
(16世紀はじめから17世紀末頃)胡椒の商品価値はそれなりに高かった。

 しかし大航海時代は、スペイン、ポルトガルによる南米開発を伴い、
それによって大量の銀がヨーロッパに流入。通貨として用いられていた胡椒は、
自然と重宝されなくなった。一般消費財として安く、ヨーロッパに輸出される
ものとなった。

 ・・・
 その後に輸出品としてメインとなっていったのが、コメ、コーヒー、砂糖、タバコなど。
ヨーロッパにおける嗜好品を作るようになる。インドネシアにオランダが東インド会社を
設立したのが1602年。彼らの指導があってのことだろう。
これらの作物は、強力な土地支配を伴うものだった。



 第二次世界大戦後に東南アジア諸国で起こったものは、西欧的なものへの反発、
「伝統への回帰」であった。ここには共産主義の影響もあったのかもしれない。
伝統への回帰を求めるということは、多様性ではなく、ひとつの方向を目指すことである。
カリスマ性を持つ政治家、中央集権化によって強権政治体制が出来、
経済開発の名の下に「開発独裁」が許容されるようになった。

 この風潮と時を同じくして現れたのが、ベトナム戦争、「ベトナム特需」である。
(風潮のもとには西欧への反発があったのに、)親米政権=特需の恩恵、というわけで
親米派、≒軍事派閥が力を持つようになった。

・・・

やはり歴史の本は苦手だ。
これもあれも、という要因が書いてあって、頭の中を整理しにくい。
上に書いたものも、はずれではないのだろうけどイマイチわかりやすい文章でもないなぁ。

まあ、とりあえず。