ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

メモ・名誉毀損罪

2010-01-05 22:47:51 | Public
 刑法上の名誉毀損罪

・刑法230条
 ①公然と事実を適示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず
  3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
 ②・・・

・刑法230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
 ①前条第1項の行為が好況の利害に関する事実に係り、かつ、
  その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、
  事実の真否を判断し、事実であることの証明があったときはこれを罰しない
 ②前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に
  関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす
 ③前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に
  かかる場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、
  これを罰しない

・・・山田健太『法とジャーナリズム』によると、
2項は「免責規定」で、「戦後に表現の自由が保障された中で(中略)自由の枠を拡大するに至った」という。アメリカでは、より拡大した権利が判例上定着してるのだそう。

 『不当逮捕』で本田はこう書いている。
「戦い取ったわけでもない「言論の自由」を、いったい、だれが、何によって保障するというのだろう。
 それを、まるで固有の権利のように錯覚して、その血肉化を怠り、「第四権力」の
 特権に酔ってる間に「知る権利」は狭められていったのではなかったか-」

本田靖春(1983)『不当逮捕』

2010-01-05 22:32:21 | Book

 1957(昭和32)年、読売新聞の立松記者が、
名誉毀損罪で逮捕された。記事に書かれた贈収賄の事実を確かめるよりも前に、
逃亡のおそれも証拠隠滅のおそれもないのに身柄が拘束され、
取り調べを受けた理由を追いながら、人間や時代を詳細に描いた、
元読売新聞社会部で、当時立松記者の近くに居た本田靖春によるノンフィクション。

 新聞記者、検察という組織と検察官、新聞社、
五十五年体制ができあがった頃の時代とは何か。
すべてが周辺の事実ではなくて、本筋の要素として
浮かび上がってくる。
「不当逮捕」というくらいで、その不当性を訴えたい思いも
読み取れるのだけど、それより何より
「こんな面白い話を書かずにはいられない」という気持ちが
あったに違いない。と思わせるほど、どの場面、どの人間に関しても
記述が細かい。絵を描いているようで、ノンフィクションということを
本当に忘れてしまいそうだった。

 事件そのものは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E6%98%A5%E6%B1%9A%E8%81%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 「なぜ立松が名誉毀損罪で逮捕されたのか」。
これに対する著者の仮説は、講談社文庫の316ページから、

・財閥解体後の昭和電工に社長についた日野原がらみで、
 GHQ内の対立(GS:民政局VS GⅡ:参謀第二部)が顕在化する

・このとき、GSを舞台から降ろしたいGⅡが執拗に捜査(を検察に命じ)、
 読売の立松記者らにリークしたりしていた

・財閥解体や財界有力者の追放が相次いだ占領前期、政治に財界の存在はなかったが、
 この疑獄で芦田内閣が倒れ第二次吉田内閣が成立して以降、
 池田勇人や佐藤栄作ら官僚出身者が大臣となり、官僚が国会を支配する
 保守体制の原型が形成

・ 一方で朝鮮特需などで財界は存在感を増す

・それゆえ、1954年の造船疑獄では検察は佐藤栄作を逮捕できなかった

・財界を含めた保守勢力の圧力に、屈し始め、占領前期のような検察の権限は弱まり、
 立松が書いた贈収賄についても、確証を抱く段階ではなかった

・それに付随して、検察の内部闘争(馬場派VS岸本派)があからさまに繰り広げられ、
 馬場派から情報を得ていたと思われる立松に、岸本派から大胆な攻撃が仕掛けられた

・立松は、昭電疑獄後、名誉毀損罪となった贈収賄事件まで、
 病気のため入院して、十分に背景を体得していなかった

というもの。
 「事実は小説より奇なり」と思わされるし、ノンフィクションというのは
ここまでできるものかと驚かされた作品でした。

 正月には『誘拐』も読みました。