●カイロのビル郡を探して
2日目は、「カイロの中心」を求めて歩きました。
銀行や国営企業、外資系企業のビルなどが集まる場所が
あるはずだーと思って、それらしき方向へ歩いてみたのですが、
なかなかない。
そしてやたら軍や警察がいる。
大統領府として使われていて、使われていた当時は半分を
公開していたというアブディーン宮殿はクローズ。
やたら人が出入りする廃墟があると思ったら、Police office
(おそらく行政手続き用の?)だし、
緑の建設用の垂れ幕のようなものに囲まれた建物はNotional bank
だというし(おそらく支店)、近代的建物など全然出てこない。
郊外からの長距離路線発着駅、ラムセス駅に着いたら
ようやく駅越しに大きなビルが見えた。Post officeのようでした。
カイロは一箇所にビル街が固まっているということは
ないのかな、と思い、地下鉄でカイロタワーへ。
上から見下ろすと、やはりビル街はちらほら分散していて、
古くて崩れそうな高いビルがけっこう多い。
「ピラミッド以降建築技術は発展しなかったのか!?」と思う
くらい、大きなホテルと宮殿やモスクなどの建物以外に、
おおーっと思うものはなく、思いがけず都市の居心地の悪さを
感じてしまった。
建物の立派さなんて、見栄の表れだーくらいにしか思っていなかっ
た
が、建築物のある程度の秩序や安定感がないと、都市としての
信用をなくす、といえるかもしれない。
●富裕層の集う場所?
というわけで、ビル郡はあきらめ、大商業施設を見るべく
中心地から空港の方面にタクシーで約40分、シティースターズに
行ってみた。正確には、シティースターズという大複合施設の中の
大ショッピングセンター「シティーセンター」へ。
シティースターズは、インターコンチネンタルホテル3つ、オフィスビル、210室のアパート、病院の機能が合わさった街で、
「中東最大、7.5haに800ミリオン$以上が投資されている」とうたっている。
http://www.citystars.com.eg/citystars/corporate/
空から見えたウソピラミッドも、このビル郡の中にある。
センターの中は、日本人にとっては普段使いのものから
豪華なドレスまで、という感じで、見慣れた専門店街だ。
ただし、規模がでかい。
映画館も、パイレーツオブカリビアンの看板があったから
欧米系が多いのかもしれない。ただし、本屋のベストセラーの棚には
コーラン。書店お勧めの棚にもコーラン。
お客さんは欧米の人というよりエジプト人で、カイロもこのような
投資に見合うだけのマーケットになってきたということか。
他にこのような施設がなかったから、ここまで思い切った施設が
出来たのだと思う。
●カイロの夜
あっという間にカイロ最終日の夜。ナイル川の周りに人が集まる。
ここだって車の排気ガスがすごい気がするのだが、みなどこ吹く風。
ナイル川に浮かぶ電飾で飾った船には、カップルや家族が大音量の音楽を
楽しむ様子が見える。水の上だけがカイロ中心部のオアシスといえるのかもしれない。
翌日は、オールドカイロに立ち寄り、この日にトーマスクックで急遽手配したカイロ→アテネの飛行機に乗った。
1週間エジプトにいるとしたら、だんぜん田舎がいい。
久しぶりに旅日記を書くと、パソコンが古いこともあって
なかなか進まないな・・・。挫折の予感。
トルコ航空での旅。イスタンブールで5時間待ち、いよいよ
カイロに入った。飛行機からは土色の大地に、まっすぐ伸びる
道。空港から降りても、街の中も砂漠も、今思えば同じ色。
初めて(一応)アフリカ大陸に着いた。
●宿へ
旅の前に、カイロの安宿だけ予約しておき、空港にも迎えに
来てもらった。街中までは1時間弱。乗り物ばかりで酔ってきた。
交通マナーは恐ろしく悪い。タイやベトナムは、バイクが多い分
なんとなくみんながよけ切れそうな予測があったが、カイロは
ほぼ全てが車。後で聞くと、4500ドルくらいから買えるそうだ
(きっと中古だろう、道の上にはバックミラーやサイドミラーが
取れ、電気コードむき出しの車がわんさか連なっていた)。
横入りの車にひやひやしながらダウンタウンに到着。
カイロでの一番の失敗かな、と思うのだが、ダウンタウンは人が
住むところではない。古くからの衣料品やカフェが1階部分に
ぎゅうぎゅう詰めになっていて、薄暗くて崩れそうな階段を登って
いく。Berlin Hotel という名前の宿だが、人は悪くなかったし、
トイレやシャワーも割りときれいだったのだけど、この階段と
蚊には疲れ倍増だった。最初からこんなこと書くのもなんだが・・・。
後でタクシーの運転手らに聞いても、「僕はstupidじゃない、
郊外の町から1時間かけてカイロに来てるよ!」などと言っていたし、
少しはずれたオールドカイロなどは少し住みやすそうだったので、
カイロ人もダウンタウンには住みたがらないのではないのかな、と
思っている。
宿の人が、「エジプト人は親切だが、一部の人はあらゆる手を
使ってあなたのお金を取ろうとする。どこかへの行き方を教えたり
して、『これはEgyptian Hospitalityだ』と言う。でも、本当に
親切な人は自分でHospitalityなんて言ったりしない!
よく気をつけて」。これからカイロに行こうと思う人のために
一応書き留めておきます。
●ピラミッドへ
ピラミッド、といってもいくつもあるのか――とガイドブックを
見て初めて知った。ピラミッドの役割はなんだったのか、いくつも
説があるらしいが、寺院のようなものだと思う。一番有名なギザの
ピラミッドではなく、その手前にある、比較的には小規模な?
アブーセール、サッカーラ、ダフシュールのピラミッドを見に行った。
大それたことを言う知識はないが、「これほどに残っていれば、
研究しないわけにはいかないだろう」と思ってしまうほど、
4500年前のものが目の前にある。
人間、目にしたものから疑問がわき、研究が生まれる。
そこから探求があり、ツタンカーメンの財宝など、信じられない
発見もある。
本を読むことも同じ意味で大切だが、目の前のものは圧倒的な
力で疑問を投げかけてくるものだ、と分かったような分からないような
感想を抱いた。
とりあえず、現物のピラミッドを見てからエジプト博物館に行くことを
お勧めします。
●「子どもは2、3人でいい」
カイロの初日、カイロ大学の4年生という青年と、その友人で30歳過ぎの中学校教師と話す機会があった。
「政変後は何か変わった?」「景気はどう?」なんて話をしていて、
印象的だったのは、もうすぐ2人目の子どもが生まれるという男性教師の方の言葉。
彼は7人兄弟の上の方らしく、今も、自分の家族とは別に
幼い兄弟のために世話をしなくてはいけない。
「こんな苦労を自分の子にはさせたくないから、自分は2、3人で
いいと思ってる」。
子どもが農業の担い手ではなくなっていき、教育が必要となることで
教育コストは高くなる。労働者としての「投資」ではなく、立派な
子どもを育てることを目的とした「消費」の意味に近くなる。
その過程で、親だけでなく兄弟たちが下の子どもたちの教育費など
を払う段階が出てくる。
インドでであった青年も「働いてもたくさんお金を親に払わなくては」と言っていたな。同じ理由を言っていた気がする。
この負担が、少子化につながる、、とあまり真剣に考えたことは
なかったが、そういうモデルもありだと思う。(ありそうだ)。
教育費の上昇率、もしくは都市化と、少子化。
(参考)
この2人にしか聞いていないが、政変後初の選挙への期待は高い。ただ、後ほど書こうと思うのだが、ムシャラフ前大統領に対抗していた、次の与党最有力の党はムスリム同胞団という。すなわち、イスラームを前面に出す政党のようなのだが、これがどうエジプトを導くだろうか。政教分離を打ち出したトルコを見た後、なおさら興味深い。ムスリム同胞団の政策を少し調べた上で、何か書けたらいいかなと思っている。
会社員になって初めて、9連休を取った。「結婚休暇」というやつだ。
エジプト・カイロ、ギリシャ・アテネ、トルコ・イスタンブールの3都物語。
政変が起きたカイロや破綻国家寸前のギリシャ、イスラエル大使館テロで
揺れるトルコ、と現代沸騰都市を垣間見ようと、なんとなくこんな
旅になった。
元々世界史に疎いこともあり、知らなかっただけに興味深い
歴史の世界、民族の世界に思いをはせた部分も多い。あまり考えていなかったが、3都市はかつてビザンツ帝国(キリスト教国)であり、その後はオスマントルコ(イスラム教国)の支配下にあった。その中で、政教分離を強く打ち出し、強行に浸透させた1922年以降の現代トルコの力強さが、際立っているように映った。
最近の旅にはなく忙しい日程になったけど、「3都比較」に
意味があった、ということでよしとしよう。
それにしても、金沢から関空が一番遠く感じた…。
(日程)
9月25日22:50 関西空港→カイロ
26日カイロ
27日カイロ
27日カイロ→アテネ
28日アテネ
29日アテネ→イスタンブール
30日イスタンブール
10月1日イスタンブール
23:50発
10月2日関西空港着 (→金沢)
<参考資料>(外務省HPなどから)
エジプト | ギリシャ | トルコ | |
人口 | 7870万人 | 1113万人 | 7370万人(2010) |
民族 | アラブ人 | ギリシャ人 | トルコ人 |
言語 | アラビア語 | ギリシャ語 | トルコ語 |
宗教 | イスラム教90%、コプト教7% | ギリシャ正教 | イスラム教 |
面積 | 100万km2 | 13万km2 | 78万576km2 |
GDP | 1883億ドル(2010) | 3299億ドル(2009) | 7358億ドル(2010) |
1人あたりGDP | 2070ドル | 29241ドル | 10079ドル |
実質成長率 | 5.20% | △2%(2009) | 8.90% |
物価上昇率 | 16.50% | 4.23% | 6.40% |
失業率 | 8.80% | 16.7%(2011/6) | 11.90% |
産業 | 農業14.6%、鉱工業17.5%、貿易、金融18.4%、石油12.9%、運輸10.6% | 海運、観光、農業、軽工業 | サービス業74.7%、工業17.9%、農業8.4% |
歴史 | |||
ローマ領 | BC1~ | BC2~ | AC4~ |
ビザンツ | 4C~ | 4C~ | 4C~ |
7C~イスラム化 | 1071~1243セルジューク朝 | ||
オスマントルコ | 16C~ | 15C~1821 | 1299成立 |
19C~ムハンマド・アリ | |||
独立 | 1922 | 1821 | 1919~1922祖国解放、トルコ共和国に |
1952NATO加盟、1967~1974軍事政権 | 1952NATO加盟 |