ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

熊沢誠(2013)『労働組合運動とはなにか-絆のある働き方をもとめて』

2013-05-03 09:06:14 | Book

熊沢誠(2013)『労働組合運動とはなにか-絆のある働き方をもとめて』

 タイトルだけ見ると、イデオロギーの強そうな本に見えるが、中身は大方が実証的、つまり歴史を客観的に分析した本で、それを論拠として「今こそ労働組合運動が必要だ」と説いている。日本の労働界を見ていては分からない、元来の「労働組合の機能」と、「なぜ日本はそこからかい離したのか」という問いへの答えがある。連続講座をもとにしたものだから、全体を俯瞰するのにちょうどよい難易度とボリュームになっている。著者は京大出身、労使関係論の研究者で、甲南大名誉教授。

 著者の根底にある考え方は、「労働組合はノンエリートのためのもの」ということ。有名大を出て、社長を目指して出世欲高く働く人たちというより、家庭を大事にしながら、ほどほどに、生活のために働くという大多数の労働者。この人たちは転職による処遇改善が難しい。だから、労働組合で団結し、使用者に対峙する必要がある。
 この意味で、日本では一般的ではない労組の役割は、「競争制限」だ。こう書くと少し過激な感じがするが、要はワークシェアリング。著者は「就業者と失業者の協力」とさえ書いている。少し考えれば当然の考え方だ。みんなが追い立てられて、サービス残業をしながらどんどんと仕事をこなしていけば、「こんなに従業員は必要ではなかった」ということになる。

 非常に印象深かったのは、アメリカで実施されている(実施されていた)という「ストレート・セニョリティ」という解雇ルール。能力主義を否定し、勤続年数のみで評価する仕組み。これの一番重要な点は、レイオフが必要になった場合に、企業に被解雇者を恣意的に選ばせない、ということ。勤続年数はごまかしようがないから、業務量の減少により3人の解雇が必要となれば、比較して新しく入ってきた順に3人を選ぶことになる。その後スタッフを増やす必要が出てきた場合には、そのレイオフされた人の中から、勤続年数に従って雇用する。もうひとつ重要なこのルールのポイントは、レイオフされた人が全員復職するまで、就業者の残業は原則禁止すること。
 人事部が査定し、希望に関わらず地域・部署横断的に異動を命じる(代わりに解雇はしない)日本では、「勤続年数のみで評価を」と訴えることはできないだろう。労働組合も、「競争的に働く」ことを前提にしているところがあると思う。上記のルールは、一般・非熟練労働者の要求であって、専門的労働者ではないが、まさに「ノンエリート」らしい、合理的な要求だと思う。

 日本は、なぜこのような「ノンエリートらしい要求」をしない労働組合運動が発展したのか。やはり大きな理由は「企業別組合」となったことだ。企業別組合では、「企業の支払い能力に、要求範囲を抑制する」ことが自然と求められる。業界のスタンダード、労働者としてのスタンダードというより、企業の中でのスタンダードを整備していく中では、当然そうなるだろう。また、経営者文化と労働者文化が未分化だ、とも指摘する。労働組合の役員になることが、企業の中での出世コースである企業は多い。明日は使用者側、という人が、労組側として強い要求をするのは難しい。

 ではなぜ、企業別組合になっていったのか。著者が挙げていたのは、

・欧米に比べて急速な機械化→旧職人型の労働者は不必要になり、権利意識の低い非熟練労働者が大量に生まれた
・農家の余剰人口(次男、三男など)がその送り出し元であり、彼らは家族でではなく、個人で上京した。
→ほかによりどころがない人たち=企業への執着性が強かった
→半農半工の人が多く、企業内で技術を習得した=企業への執着強い
→年功賃金など、企業個別に整備される労働条件が非常に魅力的だった
・昭和初期のこのころ、労働組合法、失業保険はなく、労働者側がストライキや解雇されたとしても保護するものはなかったため、労働組合運動の継続は難しかった
・企業側の徹底的な「横断組合」の阻止→「縦型(企業別)組合」として第二組合を支援、超強力労組として知られた電産が、過激運動過ぎたことなどが原因で、企業が支援した企業別に分裂した歴史は有名

 この企業への執着性が、欧米のように「失業者を含む労働者としての平等を求める」志向ではなく、「従業員としての平等を求める」志向となったのではないか、と読みながら思った。具体的には、非正規労働者が近年まで労組の保護の外に置かれていたことの理由になる。

 昭和40年代(1960年代後半)以降、「日本的能力主義」が確立され、能力=年齢+査定という定義(決して、特定の仕事に対してどれほどの成果を出せるか、という意味での能力ではない)で、配属、職務の範囲、仕事の質や量、残業への適応を労働者に求めるようになった。すなわち「なんでも屋」の能力が、査定に反映された。何でも屋の能力を、フレキシビリティと呼ぶとすれば、「フレキシビリティを競う」のが労働者の姿となった。だから、競って残業をする。

 非常に共感したのは、「多くの女性は、”強制された自発性”により、一般職、非正規になっていった」という記述だ。少し思想的な表現かもしれないが、上に書いたような「フレキシビリティを競う」職場では、結婚、子育てを両立させようという女性は相当ハードな生活を強いられる。配属、転勤などではどうしても「フレキシブル」にはなれない場面もある。もし、彼、彼女たちが、学歴や知的労働のスキルなどの意味で「ノンエリート」だったとしても、エリート並みのフレキシビリティを求められてきた。これが、現在にわかに議論が出てきている「限定正社員」導入の、本当の意義だと思う。そういう背景で出てきた議論ではないのかもしれないが。

 国民会議をネットで傍聴していて、連合の発表には本当にがっかりした。彼らには、こういう思想はきっとないだろうと思うと、現実に目を向けてため息が出る。著者は最後に、確かコミュニティユニオン(非正規の人たちなどが、業種横断的に駆け込み寺的に入れる労働組合)に期待をしていたが、もし希望があるとすればそこなのだろうか。