2日目はまず東本願寺へ。たぶん私が行ったことがないから、という理由で。京都国立博物館が展示改装のためほとんど休館、というのも理由。
・東本願寺
京都駅近くの一等地に広い四角い境内。親鸞が開いた浄土真宗の拠点。世界最大の木造建築らしい、仏殿が2つあり、ひとつは親鸞像を、ひとつは金箔を張り巡らせた空間の中に阿弥陀如来像がある。
阿弥陀如来は立っていて、片足が少し踏み出している。これは、阿弥陀さんが自ら、「あなたのそばへ参りますよ」という姿勢を表しているのだとか。阿弥陀如来の周りには花やら、鳥を描いた襖やらがあり、壁天井柱には金箔。経典に書かれた「浄土」を表しているんだって。そこは光り輝く場所だから金箔。
・西本願寺
ところで、東本願寺があれば西本願寺もある。東本願寺が浄土真宗大谷派、西本願寺が浄土真宗本願寺派。違いをよく知らなかったので、西本願寺にもこの後行ってみた。
境内の建物配置、デザイン、阿弥陀如来像に親鸞像まで一緒。違うのは、東本願寺が4度の大火ゆえに建屋が明治再建であるのに対し、西本願寺は燃えてないから江戸初期、400年前の建物だということ。その分裂の由来は、信長との戦いの頃にある。
真宗トップが顕如上人の時代、信長の弾圧にあい、当時拠点だった大阪で信長に白旗を揚げたのが顕如。それに反発してなお籠城して戦ったのが顕如の息子・教如、らしい。顕如側は秀吉に京都の土地を与えられ、西本願寺をつくり、教如は徳川家康に土地をもらって東本願寺をつくった。
つまり、教義の違いはないので同じデザインのものな並んでいる。
親鸞そのものを仏像にして祀るのには抵抗があるが、「修行を積めばあのように仏になれる」ということなのだろうか。全く同じ経典を元にした両者だが、どちらかは確か世襲で座主が決まっている。そういうところが仏教の世俗的で、ある意味微笑ましいところのように思える。

・東大寺
奈良の大仏さんは毘盧遮那仏。これまでに見に行った記憶がなくて目的地にしたのだが、自分のブログを検索したら、過去行ってました。
聖武天皇が仏教の中でも華厳思想に心酔して取り組んだ大仏事業。東大寺ミュージアムあった千手観音も素晴らしかった。周りには、藤原氏の氏寺である興福寺、その氏神を祀った春日大社。
京都から奈良に行って感じたのは、京都は仏教思想の拠点、研究拠点として今も生きている感じだが、奈良は仏教美術の拠点ではあるけど思想的な拠点ではない、美術館のような雰囲気だ。公園には鹿だし。
それはきっと、東大寺の思想の元となった華厳宗がはやらなかった、深まらなかったということなんだと思う。では華厳宗とはどんなものか。本をちらっと読んだが、「万物に仏が宿る」みたいな、わかるようなわからないようなものでした。
この日は奈良公園脇にある大仏館に宿泊。
・東本願寺
京都駅近くの一等地に広い四角い境内。親鸞が開いた浄土真宗の拠点。世界最大の木造建築らしい、仏殿が2つあり、ひとつは親鸞像を、ひとつは金箔を張り巡らせた空間の中に阿弥陀如来像がある。
阿弥陀如来は立っていて、片足が少し踏み出している。これは、阿弥陀さんが自ら、「あなたのそばへ参りますよ」という姿勢を表しているのだとか。阿弥陀如来の周りには花やら、鳥を描いた襖やらがあり、壁天井柱には金箔。経典に書かれた「浄土」を表しているんだって。そこは光り輝く場所だから金箔。
・西本願寺
ところで、東本願寺があれば西本願寺もある。東本願寺が浄土真宗大谷派、西本願寺が浄土真宗本願寺派。違いをよく知らなかったので、西本願寺にもこの後行ってみた。
境内の建物配置、デザイン、阿弥陀如来像に親鸞像まで一緒。違うのは、東本願寺が4度の大火ゆえに建屋が明治再建であるのに対し、西本願寺は燃えてないから江戸初期、400年前の建物だということ。その分裂の由来は、信長との戦いの頃にある。
真宗トップが顕如上人の時代、信長の弾圧にあい、当時拠点だった大阪で信長に白旗を揚げたのが顕如。それに反発してなお籠城して戦ったのが顕如の息子・教如、らしい。顕如側は秀吉に京都の土地を与えられ、西本願寺をつくり、教如は徳川家康に土地をもらって東本願寺をつくった。
つまり、教義の違いはないので同じデザインのものな並んでいる。
親鸞そのものを仏像にして祀るのには抵抗があるが、「修行を積めばあのように仏になれる」ということなのだろうか。全く同じ経典を元にした両者だが、どちらかは確か世襲で座主が決まっている。そういうところが仏教の世俗的で、ある意味微笑ましいところのように思える。

・東大寺
奈良の大仏さんは毘盧遮那仏。これまでに見に行った記憶がなくて目的地にしたのだが、自分のブログを検索したら、過去行ってました。
聖武天皇が仏教の中でも華厳思想に心酔して取り組んだ大仏事業。東大寺ミュージアムあった千手観音も素晴らしかった。周りには、藤原氏の氏寺である興福寺、その氏神を祀った春日大社。
京都から奈良に行って感じたのは、京都は仏教思想の拠点、研究拠点として今も生きている感じだが、奈良は仏教美術の拠点ではあるけど思想的な拠点ではない、美術館のような雰囲気だ。公園には鹿だし。
それはきっと、東大寺の思想の元となった華厳宗がはやらなかった、深まらなかったということなんだと思う。では華厳宗とはどんなものか。本をちらっと読んだが、「万物に仏が宿る」みたいな、わかるようなわからないようなものでした。
この日は奈良公園脇にある大仏館に宿泊。