マクロビオティックな歯医者さんの食と暮らし                   食養塾 無何有庵の日々

無(む)と空(くう)の癒しの時間の中で、心食動息の一つ一つを共に考えていきたいマクロビオティックなスペース。

土鍋で玄米を炊く暮らし…生きる羅針盤

2020年03月28日 17時37分07秒 | いただきますの法則
仕事に追われたりすると、つい玄米ご飯の炊飯は機械頼みになってしまいます。
炊飯器がいけないということではないですし、炊き方は圧力鍋やステンレス鍋、鋳物鍋、土鍋、羽釜…、
ライフスタイルで選べることも楽しみの一つです。

最近まで、電気圧力炊飯器を使って炊飯をしておりました。

そして、今、土鍋で炊飯しています。
炊き方を変えたのは、新型コロナウイルスです。

中国武漢から発症した当時は、まさに対岸の火事でした。
長年食養を学び実践をする中で、どこか私は大丈夫という根拠のない、いや、根拠はあるけれど、
絶対ではないはずの危機感が薄れていたように思います。

そんな中、9年前の東日本大震災の日を迎え、
今でもボランティア活動を続けている友人たちの思いに触れ、
ハッと武者震いのような、電気が走るような不思議な感覚に落ちました。

あの時、横浜にいた私が受けた強烈な揺れ、TVから流れる見たことのない映像、原発事故の恐怖は
私を一瞬で揺り動かしました。
すぐさま石巻に行くことを決心できたのも、とてつもない大きなエネルギーに揺さぶられたからだと思います。
そして、多くの方が同じように感受して、共有した危機感を持てていたと思います。
でも、時とともに薄れていたんですね。
震災命日でもある3月11日に、あの時の絶対的なインパクトの記憶、動物的な直観が再び私を動かし始めたのです。

今や世界を震撼させている新型コロナウイルスは
発症当時から、震災の時と違い揺れもなく、五感で感じるものもなく、

香川は大丈夫。

実際のところ感染者情報は1名に留まっているということもあり、
本当に今でもどこか大丈夫なんじゃないかというバイアスがかかっていて、
自分たちだけが安全なシェルターにでもいるような錯覚を起こしていたのです。

しかし、田舎といっても地方都市の県庁所在地での暮らしは、そこそこ都市型ですし、
当院は8割が県外患者さまのため、コロナのためのキャンセルも相次いでいるのが現状で、
安心なのかどうか迂闊な判断は命取りになると思えます。
じわりじわり、まるで真綿で首を絞めるがごとく、
気が付いたら手遅れの状態がすでに都会では起きていることが証明しています。
私たちの意識の脆弱性が浮き彫りになって、改めて直観を働かせることの大切さを感じています。

そして、生きる。

そのために、私にできることは
玄米ご飯を他人任せ?機械任せにしないこと。

そんなことで?と思われる方もいるだろうし、
それが正しい方法なのだと声高に言うつもりもありません。
自分が納得できることをする…ただ、それだけ。
それは、人によって違うのだと思います。

玄米ご飯を炊くこと。
それはエネルギーの源であることは間違っていないと思うから、
コロナウイルスも含めて、自然は全てあるがまま。
一切の敵も味方もなく、なるようにしかならないのだから、怖がることもなく。
淡々とイノチの元を理にかなうよう明日に備えることを繰り返すのが、私の暮らし方。
きっと未来の羅針盤になると信じて。

はじめちょろちょろ、中ぱっぱ。
じゅうじゅう吹いたら…ごく弱火で30分。おこげが欲しいときは弱火で。
30秒強火にして火を消して蒸らし10分。
美味しい玄米ごはんの炊きあがり。


浸水は8時間以上。水を替えて炊く準備。


内蓋をします。


ドーム型の外蓋。オリジナル黒体セラミックぢわもん鍋。
炊き方が違うのは、浸水の違い、季節の違い、お米の違いなどがあります。炊き方は、その人、その時に合った方法を選択できるといいですね。


穴から湯気が上がります。


極弱火にして残り10分。木栓をして、圧をかけます。


カニの穴は美味しい証拠。







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