旧約聖書を読む 19

2018-02-11 17:41:29 | 

 古代ユダヤにおいて、人身供犠は行われていたのか。

 「 あなたの神、主に対してはカナン人と同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである 」( 申命記12、31 )。

 これだけを読むと、人身供犠は禁じられているように見える。だが、神は 「 カナン人を滅ぼし尽くせ 」 と命じている ( 申命記20、17 )。女子供も含めて、だ。どうしてここまで極端なのか。それは、神にささげる供犠だから、ではないか。実際、カナン侵攻の初期までは、ユダヤ人はこの神の命令を忠実に守っていた ( たとえばヨシュア記6 )。

 他にもある。「 特に、永久に神に奉納された奉納物が人である場合は、その人を買い戻すことはできず、必ず殺さねばならない 」( レビ記27、29 )。これは、どういう意味なのだろうか。

 実際に、自分の娘を神にささげた例がある。ユダヤ人の指導者 ( 士師 ) エフタは、アンモン人との戦いを前にして、神に誓う。「 もしもわたしを勝たせてくださるなら、わたしが家に帰って来たときに戸口から出て来た者を、焼き尽くす献げ物といたします 」。戦いに勝ったエフタの前に、自分の娘が現れた。やむなくエフタは、誓ったとおりにした ( 士師記11 )。神が拒絶した様子は、ない。

 こんな話もある。ダビデ王の時代に、3年続けて飢饉になった。神は、 「 ギブオン人を殺したサウル王とその家に責任がある 」 と告げた。そこでダビデは、サウルの子孫から7人を選び、ギブオン人に引き渡した。彼らは7人を処刑して、さらしものにした ( サムエル記下21 )。
 これは、間接的な人身供犠と言えるのではないか。

 ユダ王アハズは、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中を通らせることさえした ( 列王記下16、3 )。

 ロバートソン・スミスは、カナン人が息子や娘を生け贄にささげたのはかなり稀なケースで、聖書の記述はユダヤ人によるプロパガンダではないか、と主張している ( 「 セム族の宗教 」)。

 果たして、ユダヤ人とカナン人に、どれほどの違いがあったのか。少なくとも創世記には、カナン人の人身供犠の記述がないのだ。

 

 
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