旧約聖書を読む 33

2018-02-26 18:56:22 | 

 創世記の神と、出エジプト記以降の神。もしくは、アブラハムの神と、モーセの神。

 創世記の神は、アブラハムに「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12、7他)と言ったが、「カナン地方の先住民を滅ぼし尽くせ」(申命記7、2)とはひとことも言っていない。先住民を殺さずに、カナンの支配権をユダヤ人に移す。どうしてそんなことができるのか?

 それは、創世記に出てくるこの神が、カナンの主人であり、所有者である神バアルだから、ではないだろうか。だから、戦争抜きで、ユダヤ人にカナンの支配を約束することができた。

 創世記第1章の謎も、これで説明できる。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(26)。そう言って、神は人の男女を創造した。「我々」とは、バアルとその妻アシュトレトのことだろう。

 さて、アブラハムから400年以上の時を経たシナイ山で、モーセの前に神が現れた。この神は、前の神と同一なのだろうか?

 違う、のではないか。まず、アブラハムの前に現れた神は名を名乗らなかったが(創世記12、1)、モーセの前に現れた神は「わたしはあるという者だ」と言っている(出エジプト記3、14)。

 また、人を殺す時の手口が違う。創世記の神は、大雨を降らせてノアの一族以外の人間を皆殺しにした(創世記7)。だが、出エジプト記以降の神は、この殺し方を一度も使っていない。創世記の神は、水の豊かなカナンの神バアルだから、大雨を降らせることができたのではないか。出エジプト記以降の神はこれとは逆で、紅海やヨルダン川の水を分ける、つまり、水を乾燥させる能力を発揮している(出エジプト記14、ヨシュア記3、列王記下2、8)。

 さらに、創世記の神がユダヤ人に課した義務は割礼くらいだが(創世記17)、出エジプト記以降の神は、実にこまごまとした掟をユダヤ人に課している(レビ記、申命記他)。

 ユダヤ人及びカナンの支配をめぐって、バアル神と新しい神との間に戦いがあった。それは400年以上続いたが、新しい神、いわゆるエホバの神が勝った。彼はユダヤ人を唆して信者にし、カナンを奪い取るために、モーセの前に現れたのだった。モーセは現代でいえば、「新興宗教の教祖」といったところか。

 この説に、突っ込みどころがあるのはわかっている。創世記の神は、硫黄の火をソドムとゴモラに降らせて滅ぼした(創世記19)。これは、シナイ半島の火山の神であるエホバの神を思わせる。逆に、エホバの神は、ユダヤ人の求めに応じて、荒れ野の岩から水を出してやった(民数記20)。

 だが、創世記と、出エジプト記以降、それぞれの最大のイベントは何だったのか。そこに、バアルとエホバ、それぞれの特徴が出ていると言えるのではないか。

 
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