がブームだ。映画「硫黄島からの手紙」が公開されたのをきっかけに、多くの関連本が発売されている。
硫黄島に限らず、戦争がすっかり「コンテンツ化」している。毎年夏になると、各テレビ局は戦争をテーマとしたドラマを放送する。そのすべてが、日本が参加した60年以上前の「あの戦争」に関するものだ。視聴者は俳優が演じる戦争を観て、空襲の悲惨さやら、戦場での人々の勇気やらに衝撃を受ける、というわけだ。
だが、もうこれ以上、「あの戦争」によって人が死ぬことはない。私たちが実際に巻き込まれるかもしれない戦争の姿を、私たちと同時代の戦争を、テレビ局はテーマとすべきではないだろうか。今の悲惨さとは、勇気とは何なのかを。
・・・と書いて、私は空しさを覚える。たとえば、「振り込め詐欺」について、テレビに限らず新聞、週刊誌等のあらゆるメディアが年がら年中報道している。それなのに、なぜ「振り込め詐欺」を防げないのか。報道というか、表現というものの限界なのだろうか。人は「表現されたもの」と「実際のそのもの」を知らず知らずのうちに区別してしまう。テレビで見た詐欺の手口と、自分のところにかかってきた「弁護士」からの電話は別物、というわけだ。戦争も、また。
硫黄島に限らず、戦争がすっかり「コンテンツ化」している。毎年夏になると、各テレビ局は戦争をテーマとしたドラマを放送する。そのすべてが、日本が参加した60年以上前の「あの戦争」に関するものだ。視聴者は俳優が演じる戦争を観て、空襲の悲惨さやら、戦場での人々の勇気やらに衝撃を受ける、というわけだ。
だが、もうこれ以上、「あの戦争」によって人が死ぬことはない。私たちが実際に巻き込まれるかもしれない戦争の姿を、私たちと同時代の戦争を、テレビ局はテーマとすべきではないだろうか。今の悲惨さとは、勇気とは何なのかを。
・・・と書いて、私は空しさを覚える。たとえば、「振り込め詐欺」について、テレビに限らず新聞、週刊誌等のあらゆるメディアが年がら年中報道している。それなのに、なぜ「振り込め詐欺」を防げないのか。報道というか、表現というものの限界なのだろうか。人は「表現されたもの」と「実際のそのもの」を知らず知らずのうちに区別してしまう。テレビで見た詐欺の手口と、自分のところにかかってきた「弁護士」からの電話は別物、というわけだ。戦争も、また。